人生はフェアじゃないけど死にたくもないよ。
うちの母は芥川龍之介のファンで、兄の子、つまり甥っ子が7月23日に産まれた時に心の中だけで、「河童忌前か…」と呟き、さらに姉のちゃむ(精神疾患あり)の愛息sunaoも偶然にも7月24日に産まれた時にも心の中だけで「河童忌か…」と呟いていたという、誰にも言わずひっそりと芥川龍之介を想うところがなんともディープなファンと思わせるところです。
冒頭から母の話で始まるところがまさしく自分を見失ってるな、というか、こんにちは、遠山ハルです、精神疾患ありです、といつも始まるのに、なんともはぎれが悪くなってまいりました。
この夏はずーっと体調崩しておりまして、
「苦しい、苦しい、こんな思いまでして生きていかなければいけないのかよ」
と、毎晩唸っておりました。
花火がなると母が駆け出して
「どこ?!どこでやってるの?!」
とベランダへ直行。
「芥川龍之介も言ってるでしょう?花火は人生みたいなものだ(すみません、ボーっと聞き流していたのでうろ覚えです)って、何かい、お前知らないの?」
と励まし?てくるのが辛かったですね。
人生を何かに例えないでほしい。
呪になる感ある上にちょっとかんに触る。
人生はフェアじゃないって言葉は、ジョシュに言われた言葉で、「確かに」と、実感した夏でした。自分はそんなに恵まれてないわけじゃないけど、仕事場で震えたくないのにわたしの中の神経がぶるぶると震わせる手や、手すりがないと降りるのが怖い階段。あまりにも震えていたせいで1時間だけ働いて帰らせてもらう日もあり、正常な脳か、お金があればなぁと悲しくなっていました。
しかし、「明日も仕事だ〜、嫌だなぁ〜」とまたもや唸っていたある夜、「ほんとに生きてかなきゃいけないの?」と自分にふと問いました。
生きてくためには仕方ない、とか、そもそもこんなちっぽけな自分、生きている理由があるの?
そしたら
「やだ!今まだ死にたくない!」
って強く思いました。
ほんとに素直にそう思いました。
だからこの夏はその一心だけでなんとか生きてることが出来ました。
友達いなくても才能なくても身体が言うこときかなくても仕事したくなくても電車のるの辛くても彼氏と別れたくても、
死にたくだけはないな、と。
我儘な子供のように思いました。
精神疾患になってからずっと死にたい死にたいって思うことはあるけど、初めて理屈なく死にたくないって思えました。
だからって強くも生きれないのですが。
最近は母がまたもゴッホを(何故か常にゴッホ)引き合いに出して、
「ゴッホのように生きるんだよ、ハル!他人と比べちゃダメだよ!」とか励まし?てくれるんですが、明らかにゴッホの不幸度の部分をわたしの人生と並べている比喩的表現が、彼女の視点によるわたしへの同情垣間見える感ありまして、毎回言われてはうっすら悲しくなってます。
ゴッホと比べちゃダメだろ。
ああ、今回着地点はどこ?
さて、自分の人生、次はどうしたらいいんだろう?
遠山ハルでした。