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#7. 半年。

 こんにちは。こんばんは。
 何気なくいつも通り、みんな当たり前にする歯磨きをしていた時に何故かふと「あと半年くらいか」って考えてしみじみ思っておりました。
 「これまでの人生で思い切った判断をした時ってそんなにあったかな…?」とか就活など行う中で考えたりしてたのを、改めて再考してみたり。

 ・小学校で4年やった野球をやめて中学で陸上競技を。(平成で唯一の男子駅伝チーム県大会出場)
 ・高校でバスケ部入って1ヶ月あるかないかで退部
 ・その後8月に陸上競技部へ。(学校史上初の駅伝公式エントリー、出場)
 ・偏差値全然足りてないけど近大受験、合格、一年半で退学。
 ・その半年後、現在の大学を受験、合格、東北に。
 
 色々とやってきたのかな...と。
 高校の時にケガした時は、記録会に申し込んでお金振り込んで、結局、当日レース棄権。
 私大無駄に通ったり、併願してたとこキャンセルしたり。
 泥に捨てて来たのは申し訳ないなとつくづく思います。
 大学を辞めた時、もう一回受験する意志が簡単に他の提案に折られるほどだったら、、、地元で働いてたりしたのかなと思うと、自分自身を殺していたのかなと考えると怖しかったりもします。

 当時、何人かの背中を押してくれた友人達がいました。今も連絡を取る人、その中でも会うたりする人、はたまた仕事柄付き合いが無くなった人、、
 これを書きながら頭に浮かんだその人達の8割くらいの方が陸上競技をする中で知り合った友達であり、性別問わずカッコいい憧れだったり、またライバルだったり、仲間だったり...
 私自身は本当、県大会なんて縁の無い地区予選敗退レベルの“ただの弱将校の陸上競技部員”でした。
 そんな私でも駅伝チームを作った時、なんとかエントリーしてアンカーまで完走した時、先に挙げた彼らに声をかけてもらえた時は、ほんの少しは認められたと思ってしまいました。

 残り2割の友人達はもっと強く背中を押してくれ、私が折れそうな時すぐ助けてくれるスペシャリストです。本当に素敵な友人達を持ちました。
 
 東北は山形に来て、残りおよそ半年を眼前にした今、4年前の選択が本当に正しかったのかと俯瞰して考えたりしました。
 全面的な成長があったわけではありません、しかし、確実に拡幅したり、柔軟性が増したり、人間的な自己を形成する部分での変化はあったように思います。
 あのまま地元にいたら出会うことのなかった現在の友人や先輩、大人の方達に出会えたこと、仲良くなれたこと。
 トータルで考えた時、やはり正解だったのかなと思います。金銭的な対価以上のものは私自身は得られたように考えます。
 
 残り、半年間、もっと思い出作っていけたらいいな。なんて、高3の引退が近づいた時のような、おセンチなモードになったり。

 僕、私と言うプレイヤーを使って行われるこのストーリーを面白くするのは自分次第なのでボチボチにやっていきたいと思います。

 拙文、読了していただいた方へー
 何の変哲もないですが、
 ありがとうございました。

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