新海誠「もう誰も横浜の果てで涙という名の 同窓会だけ見えない」

2016年06月12日14:31


 眼帯が好き。
 欠けた心が好き。
 それでも、いびつな形は嫌い。

 眼帯から覗く眼光が好き。
 完璧なものなど存在しない不確かさが好き。
 だから、いびつな形は好きではない。

 そういった嗜好がどこにでもあるように、何に嗜好を偏らせるのかは心の形(在り様)を眺められるようで、そういった創作作品をみて「国語の時間」を思い出します。
 その時の作者の気持ち。
 文章から読み解くというのはなんの代替行為なのか、それとも単純に文章作品への特化教育なのか、世界はテキストで支配されているという解析の結果なのか、よくわかりませんが、国語の時間といえばそれでした。

 彼女と彼女の猫 Their standing points

 ほしのこえ(2002年)
 雲のむこう、約束の場所(2004年)
 秒速5センチメートル(2007年)
 星を追う子ども(2011年)
 言の葉の庭(2013年)

 新海誠作品をWikipediaから抜き出しました。
 どれも観ています。
 「ほしのこえ」「秒速5センチメートル」「言の葉の庭」がとても印象的でした。
 「雲のむこう、約束の場所」はいまいち内容を思い出せませんが、美しい映像を覚えています。三角関係だったような。そうでないような。覚えていません。
 「星を追う子ども」は、新海誠だとは思わず借りて、どこかのタイミングで新海誠のクレジットをみつけて驚いたのだけは覚えています。

 今年8月10日に「君の名は。」が公開されます。
 どんなものであれ楽しみにしています。

 TRPGSNSなのでTRPGの話しをしようと思うのか、TRPGの話しに関係があるからTRPGSNSに投稿しているのか、どちらかと区別をつけるつもりはありませんがここからはTRPGの話しになります。

 TRPGの主人公たち(PCたち)はヒーローになれます。
 地味で能力値が低く判定に失敗しても、誰かを救おうと思えば手を差し伸べることができます。

# GM「え、泣いてる人に声をかける?」
# PL「うっす。<言いくるめ>なり<外交>なり何でもいいっすよ」
# GM「やー。君、『かんしゃく*』かつ『直情*』持ちだよね。
#   とりあえず『直情』の自制判定どうぞ。目標値は12だっけ」
# PL「(コロコロ)…失敗しました。
#   仕方がないので壁パンして叫びます俺は無力だ!」
# GM「それは直情の結果なのか。
#   本気で殴ったなら5点毎に1点ダメージを右手に受けといて」
# PL「もちろんブラスナックルをつけての壁パンだよハハ!」
# ――GURPS

 その誰かがシナリオ(システム)で規定されていようとされていまいと、GMから「その人はシナリオに関係ないんですみません」と言われようと、構造としては変わりません。
 ヒーローになろうとすると死んでしまうというのは、どこかの戦場ではよく言われてしまいますし、美しく死ぬことに価値があるかどうかもわかりませんが、シナリオの都合というか戦力減になってしまうので死なれてしまっては困るものは困ります。
 困らないなら死んでもいい気はしますけどね。コミックスでも渡してソファーで寝ていてもらいましょう。許容されるなら新しいキャラクターシートを渡すのもいいですね。
 ともあれ、たくさんの犠牲(?)があったりなかったりでヒーローになれます。

 恋愛ゲームで「初期の状態でも確実に落ちるだろ」という設定のヒロインがいて、なぜ選択肢に告白するのがないんだろうかというよく疑問を抱いていました。
 何年か悩んで、けっきょく「面白くない」「選択肢としてそれを選ぶとそこでエンディングになる」「そういうゲームもあって、そこからが本編(エロ)」「そのタイミングで告白しても2か月後には別れてる」などたくさんの解答に至っています。
 TRPGにも「GMの限界、同卓する面子の限界」などありますけど、だいたいのことはどうとでもなるような気持ちにさせてくれるような気がしないでもありません。

# GM「では、個別導入を始めますよ。PC1は・・・」
# PC1「村を焼き討ちしてます。山賊なので!ひゃっはー!」
# GM「PC1は悪事の限りを働く悪党です。そして数年後」
# PC1「数年後!?」
# GM「その日の朝はいつになく清々しい気持ちで目を覚まします」
# PC1「昨日略奪した村娘が傍らに眠っているからですね!清々しい!」
# GM「そうですね。ではまた数年後。
#   その村娘とのでなくてもいいんですが、子どもができました」
# PC1「子ども!?」
# GM「最近は体力の衰えや古傷、仲間との軋轢などで余裕がありません。
#   国の警戒度が増す中、根城を移し転々としてきました。
#   シノギが難しくなってきたことも察しています」
# PC1「えええ、じゃあ最後に一花咲かすかなぁ…」
# GM「では最期は最悪の結果を招きました。
#   ついに騎士団が貴方の根城を見つけたのです。
#   子どもは流れ矢で息絶え、貴方は火あぶりにされます」
# PC1「はじまってもいないのに俺の冒険はこれで終わりか…」
# GM「という夢をみたので、がんばって冒険に出てください」
# PC1「…同じことを繰り返したら?」
# GM「冒険に出るまで似たような悪夢を繰り返し見ます。イザナミです」
# PC1「oh…真っ当に生きろと何者かにいわれてるぜ…」
# GM「ハンドアウトの内容は省略しますがセッションに使うので悪しからず」
# ――そもそもこの程度の内容は事前にすり合わせておけとかなんとか

 何を書きたかったのかそろそろ思い出せなくなってきました。
 これくらいにしておきます。

追記

 新海誠の作品群は、恋を描く物語だと読み取っています。
 報われないとか、すれ違うとか、お互いの距離を測りあうとか、そういった成果を結ばない映像は、人生の中の一部分を切り取ったような通過点で、もちろん世の中の作品群はそういった誰かの人生の中の一部分を切り取っているように描かれていることが多くあるので、一言ではその差異を言い表せはしません。

 たまたま目に留まった作品への感傷から、TRPGを照らし合わせて、複数の人間が意思を介在させダイスで成否を決めるような遊びであったら、新海誠の作風のシナリオでセッションしたところで、誰だってヒーローになってしまうことができるのがTRPGのありようなのだなぁと思った次第です。

 行動の結果、成否を楽しむ。
 行動ができないことを楽しむ。

 行動ができないことをストレスフリーに楽しむのは可能でしょうか。
 GURPSは自制判定により、思った通りに行動ができないこともあります。
 そういうキャラクターを遊ぶので、仕方がないのかもしれません。 
 ふと、GURPSは新海誠のような、…ではなく、ショートショートのような、短編的な、人と人との機微に触れる遊びに向いているのかもしれませんね。
 と、思いました。
 はたしてそれが面白いかどうかは知りませんけど。

 「もう誰も横浜の果てで涙という名の 同窓会だけ見えない」の方が、アプローチとしては正しいような気がしないでもありません。

 というような趣旨のお話でした。

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