家康「自称・三河の君主、松平家康、行きまーす!」
(2023年2月26日 第8回「三河一揆どうする」視聴後)
前回のサブタイトル「わしの家」
「三河はわし(家康)の所有物」という意味合いで、その思い込みで勝手に徴税した結果が、三河一向一揆。
まあ、武田信玄や今川氏真の根回し説もありますが、徴税しないという約束は、家康の祖父の代からの公約なので、それを曲げるにはきちんと交渉して年貢を納めてもらうのが筋です。
そこいら辺の交渉事を吹っ飛ばして、弱小で若輩の家康の徴税を許す程、当時の一向宗は甘くないですね。
これ、当時の家康の立場が曖昧なのも、影響しています。
実の所、松平家は「自称・三河守」なんです。
祖父の代から。
当然、家康の三河守も、自称です。
今時で例えると、「自称・愛知県県知事の三代目」
そんな微妙な存在に、税金を納めようと思いますか?(笑)
まあ、実力主義の戦国時代ですから、非公認三河守でも、他の宗派は年貢を納めていたようですが、一向宗は全国規模の大勢力。
三河支部は、抗争を決めちゃいました。
いざとなれば、全国から武器・軍資金・兵力が集まりますので、そらあ強気。
織田信長すら、部下に手を出さないように厳命していましたから。
無駄だったけど(笑)
立場が弱い以上、戦国大名が考える手段は。一つですわな。
戦争!
若い頃は、キレたら信長より激しかったんですわ、家康。
つーか、だから信長に気に入られていたと思う。
信長って、自分よりキレ易い人を、妙に可愛がるし(笑)
本多正信が家康を罠に嵌めて、ヘッドショットしたくなった気持ち、少しは察してみよう。
今回は、これまでにいたしとうございます。
アテブレーべ、オブリガード
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