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『異次元と分断』              著者:9月のワンピース

社会における分断が拡大している。分断は如何にして生まれるのだろう。結論から言えば、「分からない」というのが正解だろう。これは何も、思考を放棄した訳ではない。社会の分断に限った話ではないが、あらゆる出来事が起こる原因は結局、誰にも分からない。このような前提を持っておくことによって世俗的な意見への傾倒を防ぐ一つの手段を獲得できる。現実問題、社会の分断が引き起こっている訳だが、分からないなりに考えるということは何よりも大切なことだ。物事を考える際にはいくつかの段階がある。その一歩目は、関心を持つことだ。普段生活していると、自分の身の回りで起こった出来事は目の前で生じるため、直接触れたり、例え関心がなかったとしても関心を持たざるを得ない状況になる。目の前で生じた出来事は自身の身に何かしらの影響を引き起こす可能性があるため、関心を持ちやすいだろう。しかし、社会で起こっている出来事に対して関心を持つのかと聞かれると、関心を持つ人と持たない人の極端に分断される。世の中の出来事に関心を持つ人は、自分が社会の一員であり、全体の一部、自然の一部だと認識している割合が多いのではないだろうか。何故なら、前述したように、人間は自身に影響を及ぼす可能性がある出来事にしか関心を持たないからだ。それは、狩猟採集時代の生存本能が現代の人間にも僅かに備わっているが故だと考え得る。生存本能自体は生きていく上で必要不可欠だが、現代の日本において命の危険が晒されるほどの影響が身近で起きるのではないかと考えている人は少ない。こうした構造のために、関心を持つという行為が全体に広がっていない。また、世の中の出来事に関心を持たない人は、その人自身の問題だけではなく、出来事自体の増加と複雑化、そして扇動による影響を強く受けている可能性があると考えられる。したがって分断は、構造化が招いた結果だろう。この構想そのものを再検討しなければならない。また、分断は各人の外界との境界線の幅の太さが関係している。自分と他人の境界線の幅が太ければ太いほど、内的思考の活動範囲が狭まり、さらに、異なる意見を無一文に遮断してしまう恐れがある。換言すると、自己の鎖国状態とも言えるだろう。自己の確立のためには自分がどのような存在なのか、何が好きなのか知る必要がある。自己のアイデンティティを確立していくにあたって、外界との境界線の幅を太くして内側を観察することは、先述した鎖国状態に繋がりかねない。結局は人によって捉え方は異なるため、全ての人に当てはまるとは思っていないが、外界との境界線の幅を如何に細くできるかが分断を見直すきっかけの一つになると思われる。分断は、双方が敵と見なすことによって生じる。自分たちの意見が正しいと信じ切るが故に、それ以外の意見を発すものは全て敵のように見えてしまう。もちろん、明らかにおかしいこと、命を脅かす存在に対しては正そうとする信念と守ることは必要になってくるが、基本的にはどのような人に対しても敵と認識しない方が良いだろう。いくら周りから賢明だと言われていても、特定の人間を敵と認識する時点で一切悪意はなくとも、自分が分断に加担しているかもしれないと常に細心の注意を払うことが求められる。本来ならばここまで注意を払う必要は無いはずだが、情報統制やそれに伴う混乱の状況下では、一人一人が考慮しなければならない範囲が終わりなきほど広範囲に広がった。もはや、一般大衆が専門家並みにあらゆる情報を調べ尽くして研究し、総合的かつ冷静に、そして何よりも賢明に判断しなければならない状況と言っても過言ではない。その過程は針の筵かもしれないが、それでもなお信じて続ける所に点同士の繋がりが認識可能になる。また、分断は次元も視野に入れておかなければならない。例えば、ある社会問題において専門家が真相を知っているとしよう。今何が起こっているのか発信する。受け手がその情報を受け取る。その時、受け手はあらゆるバイアスがかかった状態で受け取る可能性がある。その一つとして、権威バイアスが挙げられる。権威バイアスとは端的に言えば、人はついつい偉い人の言うことを実際よりも高く評価して認知してしまうことだ。通常、人はどれだけ偉大だとしても間違うことはある。しかし、特に世間が混乱している時にこの当たり前のことを忘れてしまうのだ。専門家は複雑で余計に混乱を招く専門用語を羅列するばかりではなく、可能な限り大衆に理解しやすい言葉で説明する義務がある。そして大衆は情報を受け取るだけではなく、情報が歪曲されていないか、また、特定の団体に有利になる情報ではないか注意深く見定めることが求められる。このようなバイアスを持ち合わせている数の違いが次元の違いに繋がるように考えられる。分断が進み、人々が対立してくると逆にバイアスを強めてしまう恐れがある。目の前で批判されると人は無意識に苛立ちを感じ、応戦してしまう。ここでどれだけ冷静でいられるかが鍵となる。三次元から二次元に語りかけても答えてはくれない。同じ三次元に生きていても、超ミクロ、細かく言えば量子の世界で次元が異なる。次元が異なる人に対して情報をそのまま伝えても共振は起こらない。むしろ、狂信に走ったと揶揄されるだけだ。なので、相手の次元を確認し、高い次元で包み込むことが大事である。ここで注意すべきことは、振動数を減らしてはいけないということだ。振動数が多くなるには、振動数が少ない所からの努力が必要である。滝を見てこれが自然の摂理と思うのか、逆流こそ自然の摂理と思うかによって結果が分極してしまう。以前から幾度となく分断は生じていたが、そこに近年、異次元という要素も加わった。見えないものの実体がはっきりとしてきた現代において、見えないものを見なければならなくなってきた。現時点では目測ではあるが、実体の輪郭がぼやけて見えるようになってきた頃だろう。どれだけ非物質を見ようとするかによって今後の異次元と分断の行く先が決定される。例外なく、全ての人が分断なき世界で過ごせる未来が来ることを無条件に信じ切ることが唯一、この瞬間から実行できる方法である。ジェット機に乗るのか、世界を歩いて渡るのかは貴方自身に委ねられる。



異次元と分断でした。
社会は異次元へ突入していますね。
異次元に突入する際に一番懸念される要因が「分断」ではないでしょうか。
もしかしたら分断の陰に潜むものが社会発展への鍵かもしれません。

ということで、ここまで読んでいただきありがとうございました。
夢である

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