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『不変へ向かう北風』 著者:9月のワンピース

どうやら世の中は、変化と不変があるらしい。権力、お金の価値、社会の仕組みや常識。真実、愛、人の価値、自然法則、知識。どちらに分類されるのかは言うまでもない。あえて言うならば、後者は3次元世界において視覚的に捉えることが不可能である。また、前者が近視眼的であるということも同時に言えるだろう。視覚化できるか否かは現時点ではあまり重要ではない。しかし、視覚情報をもとに生きている現代の社会において、視覚化不可能な事柄を見ようとする人は少ないのかもしれない。そこで重要になってくることは、物事をどのように捉え、信じるべき所がどこに存在しているのか、そしてどのようにありたいのかを常に思考する事だ。そして、物事自体が如何にして物事として成っているのか問うことも必要だ。それらは知識人、あらゆる特権階級や人種に限ることなく、実は全ての人に備わっている能力だ。唯一、言うとするなら、「瞬間」に向き合えるか否かで結果が天と地ほど異なる。瞬間の中には高周波帯が存在し、あらゆる同等の高周波と共鳴を起こす。高周波はエネルギー濃度が物質よりも凝縮されている。凝縮されたエネルギーが物質世界の形に変形し、私たちがこの目で見ることができるようになる。私たちは振動に逆らうことはできない。瞬間には流れがあり、それはまるで血液のように全身を循環する。循環しているという行為が変化のように見えるが、実はそうではない。循環がどこかで滞っている状態を変化と呼ぶ。変化しているものは、必ずどこかで停滞している。同様に不変は、必ず全体を循環している。その様子はまるでタイムパラドックスのようだ。変化は常に不変であろうとする。しかし、「変化」という存在であり続ける時点で不変にはなれない。そして興味深いことに、不変の中には変化がある。この場合の変化とは、好転変化のことを指し、決して狂信には走らない。未来を見つめるために瞬間を見る。ここに不変の中の好転変化が存在する。現代では、ようやく変化の中から不変がふつふつと沸きはじめてきた頃だろう。この状態は喜ばしいことであるとともに、破壊的な激しさを増す。変化から不変へのスイッチング作用は極めて単純な構造をしているが、残念なことにスイッチを押すまでの間には様々な障害物がある。この障害物を「怖い」と捉えるか「乗り越えたい」と捉えるか。障害物は怖いと信じさせて恐怖に陥れるようなことはあってはならない。「乗り越えたい」という純粋な気持ちだけが不変へと向かう。近頃感じるようになったことは、不変に向かって風が吹いているような感覚。それは北風のようだ。見えないものたちが、自分たちの存在を知らせるように流れてくる。不変が不変であるために。変化には不変を隠すことはできても、消すことはできない。そう思っている間に、北風の冷たさは確実に温かくなってきている。きっと北風が太陽を呼び起こしたのだろう。



風は見えないけど、確かにここにある。
不変もまた、同様に。
といった感じでしょうか。
最後まで見ていただき、ありがとうございました。
必ず夢である
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を叶えます。

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