見出し画像

『ジーンズの可能性と文学の限界』 著者:9月のワンピース

はじめに


この本は、長年ファッション業界で確固たる地位を確立し、どの時代においても万人に愛され続けてきたジーンズが辿ってきた道のりと、その秘めたる可能性、芸術、文学における形容することの難しさや限界について書かれた1冊です。
ファッションにあまり関心がない方でも誰しも必ず一度は耳にしたことがあるであろうジーンズ。
また、普段活字を避ける人にとっては天敵とも言える文学。一見、無関係に見えるジーンズと文学ですが、私はそこに切っても切っても切り離せない深い繋がりがあるのではないかと捉えています。
文学は本だけではなく、例えば言語によって表現される芸術作品なども含みます。文学という響きだけで嫌悪しすぎず、少しでも見てみようかなと思った時や、気が向いた時にでもふらっと読んで頂けると幸いです。今後もジーンズが私たちの可能性を無限大に見せてくれることを願って。


ジーンズの歴史

皆さんは、ジーンズがどこでどのようにして誕生したのか知っていますか?
その起源は、アメリカにあります。時は遡ること150年以上前、19世紀半ば、アメリカではゴールドラッシュを背景に誕生した労働者の作業着として広く普及しました。
ゴールトラッシュとは、1848年頃、たまたま金鉱が発見された地に金を探し当てて一援千金を狙おうと各国から採掘者たちがカリフォルニア州にこぞって殺到した一連の流れのことを指します。このゴールドラッシュは、1800年代のアメリカ、カリフオルニア州の河川で大工のジェームズ・マーシャルが偶然砂金を発見したことが始まりと言われています。
ゴールドラッシュという言葉だけを見るとなんだか経済が急に発展し、80年代のバブルのように、イケイケドンドン状態を思い浮かべる人がいるのではないでしょうか。私自身も、初めてゴールドラッシュという言葉を目にした時、カジノ用語、もしくは海外版バブルのようなものだと勝手に思っていました。
しかし、ゴールドラッシュの始まりは、決して明るくありませんでした。先述した通り、ゴールドラッシュでは世界各地から一千金を狙って人々が集まりました。しかし、そう簡単に金を採掘することはできません。残念、私もゴールドラッシュで一援千金狙いたかったのに。独り言は置いといて、今の時代で例えるなら、一千金を狙いにみんなが宝くじ売り場に列をなす風景と似ているのではないでしょうか。数万円程度なら当たったことがある方が身近にいてもあまり驚かないと思います。しかし、なかなか1等、2等、3等などは当たりませんよね。
さて、話を戻すと、ゴールドラッシュでは人が多く集まっているうえ、採掘自体も容易ではありません。そこに集まった人々は懸命に金鉱を探すのですが、そこにはある問題が浮上しました。それは、「土や水にさらされるほど過酷な環境なので、作業着がボロボロになってしまう」ということです。採掘は普段着で行うわけにはいかず、作業着が必須です。当時は作業着がすぐボロボロになったため、次第に丈夫な作業着を求める声が大きくなってきました。その後の流れは勘のいい方は何となく察したと思います。その通りです。ゴールドラッシュに集まった人たちの丈夫な作業着が欲しいという願望から、ワークパンツを提供し始めたのが、あの世界的なジーンズブランド、リーバイスの創業者、リーバイ・ストラウスです。あの有名なリーバイスという名前は創業者のリーバイ・ストラウスから来ていたんですね。かっこいいな。僕も洋服を作って、それを着て街を歩きたい。
先ほどのリーバイスについての補足説明をすると、丈夫な作業着が欲しいという願望は初め、仕立て屋のジェイコブ(ヤコブ)・デイビスへ行きました。仕立て屋とは簡単に言えば、客の注文服を裁縫、縫い直し、修理する職人のことを指します。仕立て屋であるジェイコブは、織物商人のリーバイ・ストラウスから生地を仕入れ、ジーンズを制作しました。その後、ジェイコブはリーバイスと2人でリーバイスを誕生させました。ジーンズの誕生にはこのような背景があったんです。とても奥深い。
その後、様々な過程を経て、皆さんがイメージしているようなジーンズが現在に至るまで広く愛されてきました。ジーンズがどのような過程を経てここまできたのか綴りたい気持ちは山々ですが、皆さんにはできるだけ気軽に読んで頂きたいので、あえて省略させて頂きます。もし、知りたい方がいらっしゃいましたら、時間がある際にネットで、「ジーンズ歴史」などで調べてみてください!
ここまで、長々とジーンズの歴史を書きました。文章だけを読んでいても、しんどいと思うので、実際に写真とともにジーンズを見ていきましょう。


ジーンズ七変化

以下の写真では、全て同じジーンズを履いています。
上着に注意が行くと思いますが、ジーンズに注目して見てみると、また違った角度から捉えることができます。それぞれの写真でジーンズがどのような存在をなすのかといった見方をするだけでも無限の可能性が広がってきます。もちろん、「そこまで考えずに気軽に見たいわ!」という方もいらっしゃると思うので、そのような方は「どのコーディネーションが好きか」、のように軽く見てみてください。
それでは早速行きましょう。



【壱】

【弐】

【参】

【肆】

【伍】

【陸】

【漆】


形容することの美しさと愚かさ


さて、みなさんにはジーンズの七変化を見てもらいました。いかがだったでしょうか。
全て同じジーンズなのですが、上着などの装飾品が異なるだけでここまでジーンズの見え方が多彩でそれぞれが強固な存在感を醸し出すところにジーンズの真価が発揮されていますね。
また、それぞれにテーマを書いてみようと思い書いてみた結果、形容することの美しさと愚かさについて気づきました。ジーンズに限らず物事を形容することで、それ自体に何らかの意味を持たせることはできます。しかし、時に形容することで招く愚かさも存在するのではないでしょうか。ジーンズを含め、形あるもの全てを執拗に形容せず、それ自体を見つめるということを私は常日頃、大切にしています。そういう意味で、ジーンズは言葉だけでは形容できないという言葉の意味を無意味に意味として昇華していると僕は意味もなく感じています。


洋服と対話する


普段私たちは、洋服を着ています。例外もありますが、学生は制服、社会人はスーツなどが多いですよね。制服を着ると人は学生になり、スーツを着ると人はサラリーマンになる。なんだか不思議に思います。例えば、このような場面を想像してみてください。
ある日あなたは祖父母の家に久しぶりに帰ります。そしたら、祖父母が制服を着ていました。あなたはそこでどう思いますか?
おそらく大半の人が「何してるの?」と思います。そこで、あなたは祖父母のことを純粋に学生と思えますか?
それとも、ただコスプレしているだけに見えますか?
このように、洋服は同じ学生服にしてもスーツにしても着ている人間によって異なる味が出るという現象が起こります。簡単に言えば、この服、モデルが着ている服と同じように見えない!ということです。なので、私は組み合わせや色使いなどを参考に組み合わせすることはありますが、基本的には自分だけの世界に浸りながら自分自身を見つめて組み合わせることが多いです。よく考えてみれば、私たちは自分自身の身体の動き方、姿勢、身体のしなり、骨格しか理解することができないのです。なので洋服と対話し、着用の是非を決定します。


着るか着られるか論争


「洋服に着られる」という言葉を聞いたことはありますか?
その名の通り、着ている人よりも服が立派であったり、サイズが大きく、服と人が釣り合っていないことを指す言葉です。とりあえず高い服を着る、流行りに合わせる、買ってもらったものを着る、それぞれ悪い訳ではないですが、僕は自分が着たい服を着たい時に着ています。洋服に着られてしまうと幅が広くならないし、自己の存在が薄くなります。そうならないためにも洋服とどのように向き合うのか僕なりの捉え方を共有します。それは、

「洋服には絶対着られない、
                           むしろ、洋服が自分を纏う」

という捉え方です。洋服が好きと言うと、洋服第一主義のような印象を与えてしまうかもしれません。洋服自体が好きなのは事実で、それを発展させ、洋服が如何に私の存在を無限に引き出してくれるのか。まさに自分自身が主役なのです。


誰でもパリコレに出れる方法を見つけてしまったよ冗談だけど


パリコレという言葉を聞いたことはありますか?
一応簡単に説明すると、パリコレとは、世界の高級ブランドが新作を発表するファッションショー「パリ・コレクション」の略称です。いやいや、誰でも出れる訳ではないと思ったそこのあなたに朗報です。次の手順を見て頂ければ、パリコレに出れます。是非やってみてください。
(※決してパリコレを甘く見ている訳ではなく、尊敬の念を持って真似してみただけですのでその点ご了承ください)


おわりに

まずは、この本を手に取り、ここまで読んでいただきありがとうございました。個人的な話をすると、僕は中学生の時にたまたま本を読んでみたことがきっかけでそれ以降、本を読みふけるようになりました。もともと文章を書くのはとても苦手で、作文では、「~です。~です。だから、~です。」のように文末が毎回同じ言葉でしか書けないくらい不恰好な文章でした。そのせいでいつも、提出期限ぎりぎりまで頭を抱えていました。そんな中、本と出会い、言葉の美しさや儚さ、無限に広がる可能性に魅了されました。はじめの頃は、純粋に本を読むことだけが好きで、ひたすら本を読んでいました。
その過程で、私の心の中に「いつか自分の本を出してみたい」というとても潰れそうなほど小さな気持ちが芽生えてきました。しかし同時に、「自分の文章力では本を書くなんて絶対に無理だ」という気持ちもありました。本を書きたい、自分には無理、本を書きたい、無理、絶対に無理というように何度も何度も書きたいと思っては無理だと嘆いてきました。そんな思いを馳せながら本を読む生活を続けていました。ジャンルを問わず様々な本を読んでいく中で、点と点が繋がる感覚が身に付き、私の中である結論に至りました。

「自分の想いは自分自身で信じるしかない、
想念は人間の可能性を無限に広げる力を持っている」

ということです。そして今、このような形で本を出すことができました。一般的に本を出版するためには、おそらく編集部による企画、ライターによる執筆、編集部による校正作業、入稿、印刷会社による印刷と製本、取次を経由して世に流通という流れがあります。もちろん、その過程で日々活動されている方にはとても尊敬の念を抱いています。その気持ちを持ちつつも、本はこうあるべきだという概念に傾倒せず、自分の言葉で、自分の感性のままに書き綴りました。普段読む本は数百ページあるので、この本はとても少ないですが、大事なことは本の厚さよりも信念の熱さだと思います。以前は、どのくらいの方にこの本が届くのかなと不安な気持ちがありました。けど今は、無事に自分の思うままに本を書くことができたので、それだけで万々歳です。もちろん、これで終わりではありません。また何か本やそれ以外でも何か形にできることはないか模索しています。
それがいつか、皆さんのもとに届くといいなと願っています。今の自分の全てを出せて良かった。そう思いながら今、この文章を書いています。ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。ファッションや文学がより楽しめる世界になりますように。



最後までご覧頂き、ありがとうございます。
必ず本を出版します。
X、Instagram、Tiktokにも本を載せているので、各SNSのチェックお願いします!
各SNSの概要は以下の通りです。

【Instagram】
本が苦手な方、気軽に読みたい方向けに文字が大きめで横書き。

【X】
縦書きの本を載せています。
※初めから横書きの本を除く

【Tiktok】
本の内容に合うような音源と共に投稿しています。
「音楽×本」をイメージとしています。

気になる方はご確認お願いします!
また、感想などがございましたら、どの媒体でも良いのでお待ちしております。
そして、この本は、次に載せる【言葉と虚構】に繋がる本となっています。気になる方は是非、フォローよろしくお願いします!
それでは〜。

いいなと思ったら応援しよう!