鏡の向こうのもうひとりの自分
マヤ暦、ネットで調べられる程度の情報しか知らないのですが。
調べていて鳥肌立ったことがあるのでシェアします。
マヤ暦には現代マヤ暦と古代マヤ暦があるそうです。
マヤ暦占いでは生年月日でkinナンバーを出しますが、現代マヤ暦と古代マヤ暦でkinが変わってきます。
現代kinは現代マヤ暦から導き出す、現世での本質・使命や課題。
古代kinは古代マヤ暦から導き出す、その人が何度生まれ変わっても持っている魂の本質。
気になったので自分の古代kinを調べてみたところ、kin104でした。
なんか見覚えがある数字な気がして、自分の現代kin157と比較してみたら、、
なんとkin157の「鏡の向こうのもうひとりの自分」がkin104だったのです。
そんなことあるのか?これが普通なのか?と軽くパニックになりながら、家族など生年月日がわかる人のkinも調べてみました。
が、私のように強い相関関係がある人は見当たらず。
これってもしやめちゃくちゃレアなのでは...と震えています。
「鏡の向こうのもうひとりの自分」とは、
『260のKinの中に1つだけ。なかなか出あうことがなく出会えたときは超ミラクルです。お互い共鳴して自分の隠れていた知らない(潜在的な)才能を引き出してくれる相性関係。一生にどれほど出会えるかという存在で、出会うこと自体がシンクロニシティー。今の生き方を宇宙が応援し、サポートしてくれているとても良い兆し。お互いが今進んでる道は、間違いないというサインです。』
とのこと。
現代kinと古代kinを見比べると、私の感覚では古代kinの方がしっくりきます。
現代kinにはあまり当てはまってないような気がします。
魂の癖が抜けなくて現世での使命や課題が疎かになっているんでしょうかね。
自分の中に鏡の向こうの自分もいるなら、他人なんていらないのでは、と一瞬切なくなりました。
でも、その状態の自分でこの場所この時期を体験したくて、私はここにいるんですもんね。
鏡の向こうのもうひとりの自分がこんなところにいて、魂の本質と現世での本質がこんな形でつながっているとは。
なんだか本当に、私はこの私を選んで生まれてきたんだという気がします。
存在そのものが祝福されているような感覚にもなります。
魂と現世が『お互い共鳴して自分の隠れていた知らない(潜在的な)才能を引き出してくれる相性関係』になれている感覚は残念ながらありませんが、このことを知ってますます自己信頼が高まりました。
もっと自分を知り、自分を大切にしていこうと思います。