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おまえらが大切でしかたがない

 捕食者である以前に哺乳動物なのだ。おまえらはかつて俺が愛玩していた妻の乳房を奪い合いギュンギュン吸いとっていく。彼女は乳腺で血液を材料にして乳を造り出す。乳房ばかりを肥らせ身体はすっかり痩せ細っていった。
 その変わり果てた姿にいてもたってもいられない。今すぐ石槍を握ってイノシシ狩りに飛び出したい気分だが、おまえらはまだ乳飲み子だ。時は令和だ。玄関から飛び出したところで、コンビニへ無駄買いに走るだけ。財布を忘れて愉快にバーコード決済だ。まったく不愉快でならない。母親は自らの肉体を削ってあいつらに乳を授ける。俺だって肉体を駆使しておまえらのためにはたらきたい。乳飲み子に糧を与えることのできない俺はスマホをピッとして妻にプリンを買い与える。湿った布団でぐったりしているニンゲンにプリンは特別な効能を秘めている。本当は家族のために山野で獣を追いかけたい。捕食者だもの。あ、袋いらないです。スプーンもいいです。ポリプロピレンの容器を手に俺は溜め息をついた。
 行儀よくまじめなんて出来やしなかった。この母乳から卒業したおまえらはひとまず離乳食だ。ベースは米でいいか。乳歯が生えはじめる前になんとか水田を黄金の稲穂で埋め尽くしたい。そして、おまえらに歯が生え揃った頃、いよいよ俺は石槍を握って立つ。四角四面の公教育を経て経済活動の歯車として社会に放り出された俺だ。おまえらが母乳を卒業するまでに備えておくべきことが山ほどある。そもそも俺には田んぼがない。あれだけ経済活動に励んできたのに一畝の田んぼすら持てない。この国に暮らしていながら個人の領分がまるで無いという悲劇。引退した百姓の耕作放棄地ならば格安で手に入るかしら。おまえらを育むという目的があれば、このえげつない経済活動をしばらく続けてやろうという気にもなる。儲けることがなによりの社会貢献だと元上司は得意気に言う。御国に税金を払っているからなんだって。それ誰でも言ってるよ。俺たちは飯を食っても野糞をしない。経済活動からはじめて循環の重要性を知る。
 牛がいるよな。耕作放棄地を水田に変えるには、馬でもいいな。痩せ細った土壌を耕し、水を張った田んぼを代搔きするため、馬鍬を引く家畜がいるだろう。牛や馬にたっぷりとと牧草ロールを食わせておけば、馬鍬を引きながら糞便をたらす。そいつを一緒に掻き込めば栄養たっぷりの土壌に変わる。俺も半裸で糞をたらそうか。
 並行してイノシシの狩場を探さなければならない。御手手の皺と皺を合わせていただきます。それは命をいただくことに対する祈りの行為。俺が自ら手を下し、妻がそれを魔法の料理に変える。ジビエであってこそ胸を張っていただけます。
 犬がいるよな。狩りには相棒が必要だろう。犬は飼ったほうがいい。赤子と触れ合う動画となんか目尻を垂らして眺めてしまう。俺もバズりたい。否、そんなことが主目的ではない。狩りには鼻の利く犬がいい。獲物を見つけたら遠くまで響く声で吠えるやつがいい。狩猟採取民社会は、生きるための労働に費やす時間が実は近代産業社会のそれよりずっと少ない。余暇の多い豊かな社会がそこにある。
 俺は数年後のミライを見据えながら乳を吸い続けるおまえらに目を細める。一人のおまえが乳首から唇を離してとろんととろけた。咄嗟にその小さな背中に手を添えて優しく抱え込む。背中を叩けば小さなげっぷとともに屁を漏らす。妻と目を合わせる。全ての生理現象が愛おしい。もう一人のおまえは黒目がちに俺を見つめる。おまえも飲めよと誘っているのか。
 ニンゲンなんて生まれながらにケチである。そう思っていたのだが、おまえは分け与えることを惜しまない。俺は懺悔する。ミスターイトウのアメリカンソフトを部屋に隠し持って一袋を食べ切ったことがある。しっとりとした食感の生地に香ばしいマカデミアナッツとごろっとしたブロックチョコが練り込まれたあれだよ。一時期ひどくはまっていたのだ。一度に食べたわけではない。二月ほどかけてチマチマ食い尽くした。嗚呼、卑しい。いつまでもそれを覚えているのは悔いがあるからで、惜しみ無く分け与えるおまえたちが眩しい。
 区役所通りに選挙カーが走り抜けた。連呼される名前がドップラー効果で歪む。あんたは俺の子どもたちに惜しみ無く与える気概はあるか。更なる格差を生むことで優位性を保ちたいだけではないか。八〇年後のセカイを語れるか。俺の子どもたちは死の床で満足な生涯だったと微笑みながら死ぬことができない。そんな気がしてならない。水田と狩場が手に入ったら税金は免除されるか。俺はもうこのホシに直結すると決めたんだ。

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