あの歌は本当にあったのか? 記憶を記録にして伝える大切さ
私の父(故人)は北方領土・国後島からの引揚者です。
父たちは戦後3年間のソ連による抑留生活の後、1948年(昭和23年)8月末に国後島から立ち退かされ、樺太を経由して9月、引揚船で函館に上陸しました。家族はその後、祖父の故郷である岩手県九戸村に住むことになりました。
国後での生活から九戸村への引き揚げ、一家の苦労と再起については5年ほどの期間をかけて関係者に取材し、「Tiatiaの子」というブログにまとめています。引き揚げ70周年の2018年に55回の連載を完結させました。
父のきょうだいは12人いましたが、幼い頃に2人が国後で亡くなっており実質10人きょうだいでした。父は10人のうちの5番目で、引き揚げた時は13歳。国後のことを覚えているのは父までの5人でした。
ところが私が取材を開始したときには上の3人はすでに鬼籍に入っており、国後のことを詳しく聞けたのは父と2歳上の伯母だけだったのです。人の記憶はあいまいです。本人が確信をもって話す内容でも、事実として間違いであることは多々あります。
「Tiatiaの子」関連の取材で、いまでも印象に残っている場面があります。
父たちが1948年8月に国後を離れるとき、乗せられたソ連貨物船の甲板で、みんなで「ラバウル小唄」を歌ったという話は、父から何度か聞いていました。
さらば茶々山よ
また来るまでは
しばし別れの涙がにじむ
…
「さらばラバウルよ」が正しい歌詞ですが、この時は「茶々山」に変えて歌ったというのです。茶々山とは写真やイラストにある国後島最高峰であり北方四島最高峰でもある爺爺岳(1822m)のことです。父たちは爺爺岳の麓の集落・礼文磯に住んでいました。
父たちが乗せられた船は、国後から日本人が退去させられた最後の船です。そこには父と同じ留夜別村の住民が278人、隣の泊村の住民も1427人乗っていたとされています。
なのに、この船で島を離れたことを書いたり語っている人は、誰一人としてラバウル小唄のことには触れていないのです。でも父は「北方領土の語り部」として聴衆の前でその話をし、檀上で歌ってさえいたのでした。
あの歌は本当にあったのか。
私は実は父の話をずっと疑っていました。
Tiatiaの子の取材を始めてしばらくして、私は秋田に住む伯母に九戸まで来てもらいました。父と2人で2日間にわたりずっと思い出話をしてもらうためです。
父と伯母は国後の思い出を語るのが大好きです。身振り手振りをしながら、泣いたり笑ったりしながらいつまでも話し続けます。この時も国後での生活から終戦、脱出失敗、ソ連占領下の3年間の話を聞いていきました。
そして引き揚げ命令、家を出て留夜別村中心部の寺での1カ月、最後の大宴会などがあって、いよいよ国後を去るところになりました。私はラバウル小唄のことは何も言わずに2人の話を聞いていました(伯母からその話は今まで聞いたことがありませんでした)。
貨物船へは大きな貨物用のモッコに乗せられ、艀から一気に10メートル以上吊り上げられて甲板に落とされます(この怖すぎる体験は多くの人が語っています)。そして船内の話、怖い怖いトイレの話などがあり、父と伯母が二人で甲板に上がった時の話になったのです。
「礼文磯が見えるというので甲板に上がって、姉と見ていたんだ」と父。伯母はウンウンとうなずいていました。何人ぐらいいたの? と聞く私に、父は100人ぐらいはいたなと答えます。
「そのうちにほら、みんなでラバウル小唄を歌って」
父が言いました。
伯母は一瞬、ポカンというような表情をし、次の瞬間、目を輝かせて言ったのです。
「ああ、みんなで肩組んでな」
その時、ラバウル小唄は本当にあったんだと私は確信しました。伯母の表情がすべてを物語っていたからです。そして肩を組んで歌った、というようなことは父からは一度も聞いたことがなかったからです。
取材の過程では、父の多くの記憶違いを指摘しました。また今でも事実関係がはっきりしない重要な場面もあります。
体験者(一世)の話は、その人しか語れないことであるがゆえに、私たちはそのまま受け取ってしまいがちです。しかし、体験者といえど記憶違いや勘違いからは逃れられません。
一世が生きているうちに話を聞いて、他の資料やデータと突き合わせて事実を確定して、それを次世代に引き継ぐ。それは二世しかできない、二世がすべき仕事だと私は思います。
その点で父が亡くなる2年前に完結させることができたTiatiaの子は、がんばってやって良かったと、本当に思います。
ブログでのTiatiaの子は、すべて仮名にして書いていますが、親族用にだけ実名のバージョンを作り、なおかつ大きなフォントで印刷製本して配りました。
伯母は今年91歳になりますが、電話で話すとその本を開いては泣きながら読んでいるといつも言ってくれます。それが一番うれしく、励まされます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?