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3歳の時、夜通し震えた「死の恐怖」とは
人は死んだら別のものになる。
3歳ごろのある日、私はそんな「知識」を得ました。
死を考えるきっかけが何だったのか、覚えていません。1967年ごろのことです。何かで読んだり聞いたりしたのだと思います。
当時のテレビや絵本で「死」に関係する印象の強かったのは斎藤 隆介・滝平 二郎の名作「ベロ出しチョンマ」だったので、それを読んでもらって死を考えたのかもしれません。
5歳上の姉が小学館の「小学〇年生」を買ってもらっていたので、それの死後の世界の特集話を聞いたのかもしれません。
ともかく私はだれかから「死んだら幽霊なんかになり、別の世界に生きるのだ」というような知識を得たのでした。
その知識を信じた私はその日の夕方、父にその知識を披露したのです。毎日帰宅が遅かった父が珍しく早く帰ってきたのがうれしくて、自分の博識ぶりを自慢して褒めてもらおうとしたのでした。
今となっては何と言ったのか覚えてないのですが、「おとうちゃん、人は死んだら幽霊になるんだよ」みたいなことだったのでしょう。何かの拍子にそんなことを父に話しかけました。
ところがそれに対する父の反応は、私の予想をまったく裏切るものでした。
「そんなことはない。人が死んだら何もなくなるんだ」
父は3歳の私に、さらりとこんなことを言ったのでした。
私は何か聞き返したり言い返すこともなく、この話はそれで終わったのですが、私の心の中にその言葉は反響しつづけました。
人は死んだら何もなくなる
それは恐ろしいことでした。みんなが笑っている世界で、自分だけが真っ黒い影になり、存在が消えてしまう、そんなイメージでした。
当時私は、並んで寝ている両親の母の布団の方に入って寝ていました。この日、私は布団に入るといつもと違って布団の中深くもぐりました。
「死にたくない」「死にたくない」「死にたくない」
布団の中で丸くなり、私は繰り返し繰り返しつぶやいたのでした。何時間そうしていたのか分かりません。ついに疲れて眠ってしまいました。
「死にたくない死にたくないって、遅くまでずっと言ってたよ。どうしたの」
翌朝、母があきれたように私に言いました。何と言ってごまかしたのか覚えていませんが。
ところが「死にたくない」はこの夜だけで、もう次の夜からは普通に眠ることができました。何があった訳でもなく、私は「死んだら何もなくなる」ことが恐怖ではなくなっていました。
■
それから47年後の2014年、私はがんの疑いで手術を受けました。摘出してからでないと生検できないところで、仮に悪性腫瘍であれば5年生存率50%程度のものでした。
手術を決めてから入院するまで約2週間。単身赴任中だったこともあり、東京に戻り家族に話をし、その足で田舎に向かい両親やきょうだいにも話しました。そして手術を受けてから結果が分かるまで1カ月弱。
結果は良性で全く問題なかったのですが、死が目の前にちらついた50日間は、私にとってとても興味深い日々でした。
死が目の前に見えてきた時、自分はどのようになってしまうのか。あの3歳のときのようにパニックしてしまうのか。
私は自分を観察していたのですが、われながら実に淡々とやるべきことをこなしました。眠れないということもありませんでした。あきらめる、運命なら受け入れるというのではありません。生に執着し家族や自分のために生きることを追求するのですが、死の恐怖に苛まれるというようなことは一度もありませんでした。
死んだら何もなくなる
むしろこのことに、私は静かな安らぎのようなものを感じていました。
3歳のあの震えるような恐怖は何だったのだろうか、と今でも時々思います。暗闇でつぶやいた「死にたくない」は今でも鮮明に覚えています。
でもあれがあったのだから今の静けさが、安らぎがあるのだということも、それがどのようにつながっているかは分からないけれど、今の私には実感として分かるのです。