村の交通安全標語、50年後も立っているその数奇な運命(下)
50年前に私が考えた交通安全標語が、故郷・岩手県九戸村の国道340号に立ち続けているという前回の話の続きです。
「中学を卒業して村外で暮らすようになると、帰省するたびに見かけるこの看板に愛着を感じるようになりました」
前回このように書いたのですが、何十年も立っているとちょっと気になります。
なぜ、50年も立ち続けているのか。
交通標語のコンクールは主催や形は変わっても毎年行われているようで、村の広報に毎年結果が載っています。だとすれば看板に載せるのは別にこの標語である必要はないはずです。毎年とはいわなくても、何かの折に新しい作品にしてもおかしくありません。
ここ数年で書き直し
なのにこの看板、近年書き直されているのです。
google ストリートビューで確認すると、2018年6月までは最初のバージョンでした。そして2013年段階ですでに赤字の「たしかめて」が色落ちしてほとんど見えなくなってしまっていました。
それでも新しい標語に差し替えられることなく、その後書き直され、現在のものになったのです。2021年10月に帰省した時にはすでに変わっていて私が撮影しています。また2019年11月には父の入院で頻繁に帰省していたのに変わった記憶がありません。ですので恐らく2020年から21年の間に書き直されたのではないかと思います。
今回、この記事を書くにあたり、関係者に聞きました。
二戸地区交通安全協会の九戸分会長さんは「いつだったかははっきり覚えていないが、字がすすけて見苦しくなったので会の予算で書き直してもらったよ」と話してくれました。
標語差し替え「考えたことなかった」
今の子供たちの作品に差し替える選択肢はなかったのかと聞くと、「今までそういうことは考えたことなかったなあ」。さらに「やろうとすると他にも看板はあるからどうやって決めるか。お金もかかる」ということでした。
村の関係者によると、交通安全協会九戸分会には県の交通安全協会から会費名目で集められたものが分配されているほか、村からも年間24万円の補助金が交付されているそうです。
私の標語が看板になったころは、運転免許更新にともなってほぼ全員が会費を納めるようになっており、県の交通安全協会からかなりの額が配分されていたようです。ですからこのころは多くの場所に新しく交通標語看板が立てられていました。
しかし全国的に「強制」批判が起こるようなり、完全任意となりました。
岩手県交通安全協会が2014年に発行した創立60周年記念誌を読むと、2006年3月の閣議決定で会費徴収方法の適正化を進めることになったそうです。それを受けて警察庁が全国の警察に①警察の運転免許更新窓口と安全協会の入会・会費徴収窓口を完全に分離する②入会や会費納入が任意であることを県民に積極的に求めさせるようにするーーなどの指導がなされたということでした。
それによって県交通安全協会の収入は激減、支部への配分が大幅に減ったため、大きな交通安全標語看板などは立てられなくなったのです。少ない予算の中、一番やりやすいのは不都合が生じない限りそのままにしておく、ということだったのでした。
「いや、私の作品が50年も立っているのはありがたいことですが」
交通安全協会九戸分会長さんとの電話の最後に私が言うと、
「それはよかったじゃないか。でも、今の子どもたちの作品を載せるのもいいアイデアだ。今度考えてみるよ」
分会長さんはそう言って電話を切りました。
この標語がいつまで立っているか。新しくしたばかりなのであと20年ぐらいはあり続けるかもしれません。還暦を迎えた私とどちらが長く生きながらえるか。帰省するたびに確認することになりそうです。