金具屋の歴史その1(江戸時代1758-)
このマガジンでは金具屋の歴史を紹介していきます。
「温泉宿」としての金具屋の創業は今から約260年前、宝暦8年(1758年)。
温泉宿を始める以前は鍛冶屋(金具師)で、飯山から渋温泉に移住をし商売をしていました。それが宝暦4年、土砂崩れにより裏山「神明山」が崩れ被災。復興中に敷地より温泉が湧き出したため、温泉宿をはじめたとされております。
金具職人であることから屋号を「金具屋」と命名され松代藩に届を出しています。
この画像は江戸時代、神明山が崩れる前の渋温泉の様子(発行は明治14年)。現在と同じように中央に高薬師、東に温泉寺があり、外湯も確認できます。(現在と名前・場所が多少異なります)
しかし、地図を見るに傾斜はなく、大湯(本湯)のまわりがすべて道である点が現在と大きく異なります。
中央の神明山が崩れた際、その土砂が大湯周辺に押し寄せ土地が盛り上がったため、現在のような傾斜地になったといわれています。傾斜のフチに新たに土地が割り当てられたため、大湯の周りが窮屈になってしまっているのです。金具屋の場所がまさにそこでした。
その後渋温泉は再興し、温泉場として多くの人が訪れるようになっていきます。遊興目的の客も多く、一大歓楽地となっていたのですが、風紀の取り締まりに厳しかった佐久間象山に目をつけられ(湯女追放令)、当時渋温泉で一番目と二番目の旅館がおとりつぶしになったとされています。
職業を追われた湯女たちが蜂起し、太鼓をもってデモ行進を行った「象山湯女追太鼓」はこの地域の芸者さん達に受け継がれておりました。
そのような時代を経て、金具屋は江戸末期には、鍛冶業をやめ湯宿に一本化し、狭い土地ながらも徐々に客数を増やしていったということです。
これが金具屋の4代目、5代目の時代となります。
(つづく)