金具屋の歴史その10(平成初期1990-2000)
80年代の終わりに行われたふるさと創生1億円。この施策の評価はともかく、超好景気(バブル)の活性を都市だけでなく地方にまわそうという国策がいろいろありました。
その中で行われたのが1990年から2年間で行われた渋温泉の街並み整備事業。路面を石畳に貼り替え、風情溢れる温泉街にするというものでした。
これで現在の渋温泉の街並みとなります。
さて、そんなバブルで躓いていた金具屋。ここで大きな判断をすることになります。銀行のすすめで、志賀高原のホテルででた利益を借入金の返済にあてず、金具屋の再生に使用することになったのです。そんなことになるほど金具屋の数字が悪かったということにもなりますが、これにより八代目が指揮をとり、金具屋の大改装を行います。善光寺の修繕にあたっていた当時社寺部の部長であった宮大工さんと見たこともないような玄関、廊下、宴会場をつくっていきます。
それまでの洋風の玄関・ロビー・フロントを、江戸時代の蔵の部材を使用し日本式にしました。これで現在の姿となります。
斉月楼のライトアップを始めたのもこの頃です。
この時に館内の売店をなくします。街並みの石畳整備に合わせ、温泉街の保護のために売店をなくし、お土産を買うのもお客様に街へ出ていただくようにしたのです。
また90年代後半にはじまったインターネットを使用して世界中からアクセスできる自社ホームページの導入も早く、コンテンツには「金具屋バーチャル宿泊」なんてものも最初からあったくらい(これは八代目のアイディア。簡単に言うと娘と友だちを使った宿泊体験記みたいなのを載せていた)
これは1998年の長野オリンピックに向けて、高速道路や新幹線ももちろん、いち早く光ファイバーによるネット回線(志賀高原)が敷設され、インターネットの先進地になったのも大きかったかもしれません。
世の中ではすでにバブルが崩壊していましたが、この地域はオリンピックのおかげで若干タイムラグがあったようです。
このタイミングで大改装が行えたこと、完全な和装の旅館に切り替え、日本旅館、古い建築に文字通りスポットライトを当てたこと。インターネットへいち早く対応したこと。
ここで、現在の金具屋の基礎ができあがったといえます。
もし昭和30年代に斉月楼を取り壊していたら。
もしバブル時にものすごく稼いで事業を拡張していたら。
さまざまなifがありますが、このような時代を経て現在の形になりました。
さて金具屋の20世紀の話はここまで。
21世紀、2001年には九代目が金具屋の経営に加わります。そして同年「千と千尋の神隠し」の公開。金具屋をとりまく状況はさらに大きく変わっていきます。
そのお話はまたのちほど。