視野を”広く“して
美しさを知ることはつまり、
美しくないものが何かを認識することでもある。
何かを知ると、その反対側に存在するものを
定義することができるようになります。
その考えの広がりを
これから先の私はどれだけ大切にできるだろう。
免許合宿で路上を運転する際、
慣れない頃は「遠くを見るんだよ」と
何度も共感から注意をされました。
遠くを見たら自然と走行位置を捉えられる、と。
最初は遠くなんて見る余裕全くなくて、
近くに来るもの、標識、周囲の確認、
それら全てで意識がいっぱいだった。
今自分がどこを走っているかなんて、考える暇もない。
でも、慣れると遠くを見る余裕が出てきました。
そして遠くを見るようになって実感しました。
この世は美しさで溢れています。
地元で車に乗る時といえば、
だいたい両親が運転する横に腰をかけて
おしゃべりしたり、聞こえてくる音楽やラジオを楽しんだり。
フロントガラスから視界に入り込む景色を
深呼吸するようにめいっぱい自分の中に取り込んだり。
助手席は全ての邪念が吹き飛んで
自分が自分らしくいられる感覚がするから大好き。
私の中で特に好きな光景があります。
というと土地勘があまりないので正しい場所である保証はないのですが、
名古屋市港区から名古屋駅方面へいく高速道路を走って
名古屋駅の摩天楼たちが近づいていく様子を助手席側の
窓から眺めるのが大好きです。
いやごめん、本当に港からかは保証できない。
港じゃなかったら緑区?いや方面的には一緒か。
うーんわからんけど
まあ高速から降りそうになった時にみえる名駅が好き!
名古屋は何かあるようで何もない、
何もないようで全て揃っている、そんな街。
そんな街を何も考えずに少し離れた位置から見ると、
吸い込まれそうになる。
名古屋の摩天楼は、私の感覚からすると他と少し違う。
それが歪で好き。
助手席ではこんなにも様々な感覚を覚えるのに、
運転席にいるといろんなところに意識を向けなきゃだから
頭をUFOキャッチャーの爪で掴まれてる感じがしまし_。
慣れるとそんな感覚が少しずつ和らぎ、
このクソ田舎で遠くを見てみると
田んぼ、海、山、いつもと違う空、時々イノシシ
私が大好きな景色とは全然違う光景が広がっていました。
こっちもいいな、と思った。
結局私は助手席で見る名駅のあの摩天楼に固執するのだろうけど、
だからと言ってどちらが良い悪いというわけでもない。
どちらも、等しく、美しい。そう感じます。
ただそのベクトルが違うだけで。
それに加えて、私の座る位置が違うだけで。
たしかに、美しいものを知ったら
汚れを帯びているものを美しくないと知ってしまう。
でも、美しいものを知れば知るだけ
自分の中の美しさの種類が増えていくと思うと、
世の中は0と1だけでできているわけではないと痛感します。
世の中は0と1ではなく、
A、B、Cでできているのかも知れませんね。
何か一つ概念や言葉があったら、
それに対する考え方は何通りもある、という意味です。
つまり、
一つに対して両極端な考え方をするのではなく、
一つに対していくつもの考えを持っていていいし、
そうすれば世の中が広くなり、
許せるものや受け入れられるものが増えていき、
日常が豊かになるのだろうと感じます。
新しい経験を積むと、
良い人にも悪い人にも出会う。
だけど、悪い人に出会って嫌な思いをした分、
別の素敵な感覚が私を待っていると思うと
人生が不思議と幸せに満ちていく気がします。
ま、悪い人に出会ったら
考える暇もなく淘汰ですね。相手にすることねえよ。
さ、あとちょっと免許合宿頑張るぞー!
26/Aug/2024