フントウドリョクノカイモナク

奮闘はフントウとカタカナに書き換える。

奮闘努力ではなく
どんな漢字をあてるのか、それは想像してもらえたらいいと思っている。

いまネタを考えている。
どんなネタかというと
マンガです。

どんな内容かというと、

1たす1は5とか 3たす7は18とか
事実と違う内容が書いてある教科書しか、手に入らない国で
そんな教科書を、素晴らしい本だと思っている人々が
一生懸命努力をして、必死に勉強してしまうという物語である。



とにかく、その奇妙な教科書を覚えるために人々は必死である。
1たす5は30だとか 20たす80は190だとか、
内容はめちゃくちゃなんだけど、その教科書を、
みんな必死になって一言一句間違いのないように覚える。
必死に頑張って、努力して覚えて、
そのテストには90点なり100点なりで合格するという。
そのテストに合格すると、
めでたくカンリョウや、ケンイになれるという。

とにかくすごい努力で、
デタラメの教科書を覚え、
そのデタラメを必死でガクシュウしてシュウトクした人は、
とにかく偉くなれる。
そして、そのデタラメを人々にひろく教えることでもって、
高収入を得るダイガクのエライエライ先生方が、非常に鼻高々で
「うぇっへん、偉いだろう」と威張っているという、そういう物語である。

そこへ、トラさんというフーテンの人がやってきて、
「なんだよう 1たす1は2に決まってるじゃねえか」と
言ったりする。

気づいている人は「シー」と言う。

偉い偉い先生方は、なにしろ「1たす1は4とか5」が正解である、というもっと上のケンイの先生に「それは間違っています」と言えない。
とにかく、コワイので「それは間違ってます」と言えない。
だから、ずっと永遠に「1たす1は8だったり30だったりしても」
上の、だれかのプライドと生活とケンイ、そのだれかのタマのような経歴に傷つけたり、指摘して生活が変わってしまったり、立場が変わってしまったり、世界をひっくり返す事を恐れて、だれも「間違ってます」とは言えない。
でも、そう言う事を トラさんは指摘してしまう。

ケンイの先生方は、そんなトラさんは、「世間知らずで無知だからそんなことが出来るんだ」とバカにする。
「バカだなあ、あの偉い人がうんこをダイヤモンドだと言ったら、そうですね、と答えるのが正しいんだ。それができないなんて、世間知らずでバカなんだなあ」と「この世界では鼻くそをズルしてでも逆立ちで掘るということが尊敬されるスキルなんだ。それさえ知らないなんて、話にならない」などと、正しい指摘をするトラさんは散々ばかにされて、蔑まれて、無視される。
でも、1たす1は、50だった100だったりという勉強をしても、
真実は1たす1は2であり3たす3は6なのは確かで、
どんなにその奇妙な教科書を勉強したところで、世の中の役にたちはしないし、逆に有害であった。そして、ケンイと言われる人たちの間だけで「エライ エライ」とおだてあいをして、ケンイといわれる人の頂点にたった人たちだけがお金を大量にもらえるようになっているので、みんな仕方なく、まちがっている事をしっていながらもそれを指摘する事こそが間違っていると疑わないという、
そういう物語である。

そのうち、トラさんも馬鹿馬鹿しくなってしまって、
フントウドリョクをしている人をしりめに、
どうでもいいから別の世界で生きる事を決意して、

去っていくしかないと決める。

そんな流れ。そのあとどうするかはまだ決めてない。

努力して、努力しても、その教科書が間違っていたら
奮闘ではなく 糞である。


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