騙されていない意味
日々、あまりのゲンジツの創造行為に驚きつつ、
なぜここまで私たちを騙そうとするのか考える
私たちが悟ろうが、どうしようが、なにも抵抗できないという事であれば、
なにも事実をありのままにすればいい。だが、どうしても私たちを騙す必要がある。巧妙に、注意深く、お金をかけて騙す意味があるとしたら、
私たちが「気づく」事が「マズイ」と「考えているから」だ。
私たちが気づくことが、どう「マズイ」というのだろう。
虫けらのように、無差別に殺そうとしている相手に「気づかれる」ことに、恐怖を感じているのだろうか?
一方、どんなに説明しても「は?」という感じで入っていかない人たち。
その中には、スピリチュアルな事に通じている人たちも含まれる。
ネガティブな事を考えると、ネガティブな現実を創造する、とひたすらおそれている。だから、見ようとはしないし、知ろうともしない。むしろ、そんなことに気づいて、注目する事じたい「自分よりも外に注意が向いている」と「他人軸になっている」とでもいわんばかりだ。
たしかに、海外で起きている事だろうが、
枠で人が亡くなっている事だろうが、
自分の身の回りにすぐさま直結して生活に困るわけではない。
事実とされることを知っていようと、知っていなかろうと、生活は変わらない。それが事実かどうかを証明する術はないのだし、ただ自分の感覚から言えば、それのほうが事実なのだ。
自分は騙されていない(と思っている)
人が騙され続けていることを見ている(と思っている)
実害はすぐには 自分に向かってはこない。
自分のことではないから、自分は、危険をあるていど避けることができるから、他に向けている注意を自分の内側に向けて、ひたすら瞑想すればいいのか。(やってみるか)そうすれば、意識が変わって「気にならなくなる」のだろうか?
騙されていない意味とはなんだろう?
気づかないことを決めてきたという魂もあるという。
ただ ひたすら、だれかの都合で騙されている
人権もなく、バカにされて、搾取されて、いいように利用されて
それで、なんともなく、ただ騙されるまま、気づかないまま。
それも仕方ない、それも一つの生きる道、魂が選んだ道
だれかを変えることはできない
自分を変えること以外は。
と。
達観して?
そう、まさしく それしかできないかもしれない。
でもね。
そういうものだろうか?
あの、本当の気持ちが、目に現れていた。
どれだけ孤独だろう。どれだけ、想いが強いのだろう。
すべてを見据えて、責任を背負って
強い意志で、辛抱強く、長いこと一つの道を。
信念にそって生きる姿を見てしまったら
そういう「素晴らしさ」を
ただ、心かるく「波動高く」生きること の意味は?
なにを大切に生きるのか、
どう生きるのか、
なんのために生きるのか、
自分の命を、どう 使うのか。
なんのために。
少なくとも信念を、どんな風にいきたいかという信念を
確かめながら。
コントロールできない現実も、見つめながら。
ねえ、どうして事実をみようとしないで
平気なんですか?