見出し画像

Mondo Cane 腹黒男⑦

※この作品には動物(猿)に対しての残酷描写がありますのでご注意下さい。




 モンド映画って知ってるかい?
 いやいや、スイーツが受賞しているやつとはまったくの別物だよ。

 モンド映画というのは猟奇的な出来事に焦点をあてたドキュメンタリー、あるいはモキュメンタリーのことだ。モキュメンタリーというのは、ドキュメンタリー風の映像のことだね。
 一番有名なのは「食人族」かな。あれはモンド映画ブームの末期に作られたものだね。未開の地のとある部族を撮影にいったクルーたちが、紆余曲折あって美味しく召し上がられてしまう映画だ。最近になって「グリーン・インフェルノ」という名前でリブートされたからホラー好きなら知ってるんじゃないかな。
 あの映画はまだストーリー性があるものだけれど、初期のモンド映画はドキュメンタリーのパッチワークみたいなものが多かった。

 いまいちピンとこない?

 うん、そうだね。この手の映画を今の時代に作ろうものなら、教育委員会が泡を吹いて倒れるだろうし、倫理観を重んじるあらゆる団体から猛烈なバッシングを受けるだろう。だから現在ではお目にかかる機会はほとんどない。

 いつの時代の話なのかって?

 ああ、言ってなかったね。モンド映画と言われるジャンルが流行したのは1960年から1970年の半ばころまでだ。
 日本で言うならば昭和後期。アジアでは初となるオリンピックが東京で開催されたのが1964年。
 アメリカはベトナム戦争の真っただ中で、世界ではビートルズが大流行。黒人差別は公然と行われマルコム・Xやキング牧師が暗殺された。ケネディの暗殺もこの時代だね。
 世界はどんどんと広がり、多くの文化が交流し、人々は熱狂の渦の中にあった。
 反面、多くの血が流れ、初めてみる文化への偏見と恐怖、それに嘲笑も溢れていた。
 そんな中で世界の見慣れない風習を面白おかしく、あるいは悍ましく映し出した映画が作り出された。 
 犬を食べる風習や、水牛の首を切り落とす祭り。あるいは未開地における奇妙な信仰や、麻酔なしで行われる開頭手術や女性器切除の様子。そういった様子を、「文化人」だと思っている人々が眉をしかめながら眺めるような映画が、実際の映像とやらせを織り交ぜて作られたんだ。

 悪趣味にもほどがあるって?
 まぁそうだね。その通りだ。

 たとえばとある映画では、円卓を囲んで座る数人の男女が映し出される。彼らは、好奇心旺盛な白人のようだ。テーブルの中央には頭を固定された一匹の猿が酷く怯えた声を出している。
 客たちは小さなハンマーを渡され、それを猿の頭に振り下ろす。最初は加減してしまうせいで猿は死にきれない。憐れっぽくキィキィと鳴き声をあげる。だから彼らは次々にハンマーを振り下ろす。徐々に加減をなくしていって、ようやく猿は絶命する。
 これはね、猿の脳みそを出すレストランでのパフォーマンスなんだ。客たちは脳みそを食すために自ら猿を殺す。
 この映像はやらせだと言われているけど、実際に同じサービスを提供するレストランはあるんだとか。現存しているかどうかは知らないけどね。


 悍ましいかい?


 まぁこんな映像を今の時代にドキュメンタリーと銘打って撮ろうものなら、実体がフェイクだろうとなんだろうと大炎上間違いなしだ。動物愛護団体から殺害予告が送られて来そうな内容だね。
 俺自身もこの映像は見ていてとても辛かった。人間が死ぬ映像ならばいくら見ていても大丈夫なんだけどね。まぁだから、動物好きに悪人はいないなんて言葉は信じない方がいい。


 さておき、時間にして5分ほどの映像が終わると、また次のショッキングな映像が映し出される。先ほど話したような、血なまぐさい奇祭もあれば、飛行機墜落現場にまき散らされた肉片を映し出すものもあるし、屠殺場の風景なんかも入り混じる。
 それらは、作られたものである場合あるけれど、実際の事故現場の映像も入っている。
 次々に映し出される死の瞬間。
 あまりにもおびただしい死が溢れかえっていて、ドキュメンタリーとモキュメンタリーの境も曖昧になる。

 モンド映画のはじまりは世界の不気味な風習だったけれど、次第にそれは凄惨な事故現場が中心になっていった。
 何故か。
 単純な話だ。
 その方がずっと安上がりなんだよ。
 役者もいらない。血のりもいらない。そこで起こった事件を映して、脳髄を曝け出した遺体をズームアップする。
 作り物の死よりもずっと安価で刺激的なものがそこら中に転がってる。
 後進国のニュース映像や、偶然とられた事故のフィルムをかき集めれば出来上がりだ。

 君はこんな話を聞いたことがあるかな。
 現在までにスナッフフィルムの存在は確認できていない。
 ……スナッフフィルムとは何だだって?
 ああ、すまないね。スナッフフィルムというのは、主に性的な目的として行われた殺人を記録したフィルムのことだ。サスペンス映画の「8mm」というのがこれを題材にしているから、気になるようなら見てみるといいよ。
 つまりね、今までに警察関連の組織が、性的興奮を得るために殺人の様子を納めたフィルムを発見したことはない、と言われてるんだ。
 正直なところ、俺はこの話はかなり限定的な条件の上で成り立っているんじゃないかと思ってる。例えば「組織的に行われた」だとか「撮影設備が整った環境で」とか「市場に出回ってない」とかね。
 まぁこれが真実だとしても、だ。意図的に行われた殺人のフィルムは存在しないが、偶発的に起こった凄惨な事故現場を納めた、本物の死がうつっている映画は存在していた。
 そんな映画が大流行していた時期があったんだよ。

 モンド映画は日本にも輸入された。
 「世界残酷物語」や「ジャンク 死と惨劇」が代表例かな。
 ああ、ちなみに、この「世界残酷物語」の原題が「Mondo Cane」といってね。これこそがモンド映画の走りでもあり、この手の映画がモンドの名を冠するきっかけとなった作品だ。
 「Mondo Cane」を直訳するならば「犬の世界」、それの現すところは「どうしようもない、耐えがたい、絶望的な世界」といったニュアンスだ。
 そんな「耐えがたい世界」のモンド映画は、レンタルショップのホラーコーナーの最下段にひっそりと並べられていた。
 DVDじゃないよ。ビデオテープの時代だ。
 驚くべきことにこれらの映画は誰でも、未成年でも手にとって見ることが出来たんだ。
 レーティングはどうなってたかって?
 もちろんあったさ。1976年から映像作品における年齢制限が設けられていた。けれどこれは、「性的な表現」に関する規制で、暴力的な表現が規制されるようになったのは1990年以降だ。
 つまり、モンド映画最盛期に輸入された作品群は、レーティング規制をすり抜けた。

 規制の大切さがよく分かったって?
 あははははは。
 いやはや、それを真顔で、そんな真摯な声で言われるなんて思わなかったよ。その発言の危うさに気付きもしないところは、君をとりまく人間関係においては美徳とされてるんだろうね。

 さておき、モンド映画と言われるジャンルには日本でも愛好家たちが存在した。
 俺の知り合いもその1人でね。
 彼は高校生のころにモンド映画を見て以来すっかり虜になってしまった。
 同じビデオを何度も何度もレンタルして、憑かれたように繰り返し視聴した。
 彼自身、なぜ自分がそこまで死の瞬間に惹かれているのか、理解できなかったそうだ。だが、熱狂した。
 そのうちレンタルだけでは耐えられなくなって、ビデオ屋の店長に交渉をするに至ったほどだ。その結果、彼はアルバイトで稼いだ金をどんどんつぎ込んで、何本ものモンド映画を集めることが出来たんだ。
 
 とんだ変態野郎だ?
 まぁそれに関しては彼自身もそう思っていたようだね。彼はその趣味をひた隠しにしていた。
 彼はモンド映画が好きだという趣味を除いてはいたって真面目な人間だったよ。むしろ、彼はあの真面目さ故に、どこかでガス抜きが出来る場所を求めていたのかもしれない。
 人が死ぬ様は古今東西問わず民衆たちの娯楽だったからね。
 公開処刑ときけば黒山の人だかりが出来て、多くの人々を熱狂させた。
 今だってそうだろ?
 悲惨な事故現場に遭遇した人たちはあわててスマートフォンを取り出して撮影する。救急車やパトカーが止まっていれば、わらわらと人が集まってくる。残酷さに惹かれるのはごくありふれた衝動なんじゃないかな。

 ともあれ、俺の知人であった男は、いたって善良な市民であったけれど、その趣味故に一度だけ事情聴取を受けたことがあるんだ。
 ある猟奇的な殺人事件の犯人が彼と同じようにモンド映画を収集していてね。
 ちょっとだけ取り調べを受けたことがある。
 まぁ、彼が事件に関与していないことはすぐに判明したし、無事に犯人も逮捕された。
 おや、ようやく何か閃いたって顔だね。君を呼び出した理由が見えてきたかな?
 ひとまずそれは置いておいて、彼の話を続けよう。

 彼はともかく大量のモンド映画を収集していた。
 中には、動画サイトに一瞬だけアップされてすぐに運営から削除された事故現場の映像や、テロリストたちによる処刑のシーン、偶然にとられた自殺の瞬間、そういったものを即座にダウンロードして纏めた個人販売のDVDなんかも存在する。
 何のラベルもついていない、いつどこで手に入れたか忘れてしまったようなものも沢山あったんだ。
 ある時から、彼は奇妙なことを言うようになった。
 収集品の中に彼自身の死の瞬間が映っているものがある、とね。
 それはかなり古いビデオテープで黄ばんだラベルには「カルマ」と書いてあった。「カルマ」つまりは「業」、おおざっぱに言えば因果応報というニュアンスだね。
 例によって、彼はいつそのビデオテープを手に入れたのかは忘れてしまっていたそうだ。
 フィルムには一見なんの繋がりもなさそうな人たちの最後の瞬間を捕らえた映像が羅列されている。
 はじめて見た時は何も思わなかった。なにせ、映像の中の彼は、当時の彼よりもずっと年をとっていたからね。
 けれど歳月が経つにつれて、徐々に彼自身が映像の男に似ていっていることに気が付いたんだ。
 もちろん彼は足掻いたよ。
 髪型やファッションを変え、事故が起こったであろう現場には絶対に近寄らないように心がけた。
 でもね、彼はある日ふいに諦めたんだ。
 なんでだと思う?

 彼が事故死する1つ前の映像を理解してしまったからなんだ。

 それは1人の女性の死を映し出したものだった。
 事故現場ではなく、遺棄されたバラバラの手足を映し出した映像。まるでマネキンのように真っ白な腕や足が雨に濡れたつゆ草の傍に転がっている。
 さっき、猟奇殺人事件の話をしただろう?
 女性はその被害者だった。

 彼はね、事件に関与してはいなかった。
 ただ警察の事情聴取に対して、語らずにいたことがあった。それは、彼が知っていた何名かの同好の士の情報だった。彼は趣味のせいで疑われたことに憤慨していた。だから、自分の同士たちが同じ目に合うのをよしとしなかった。
 けどね、残念ながら、その同士の中に犯人がいたんだ。
 彼は苦悩した。
 もし自分はあの時、警察に話していたら女性は死なずに済んだ筈だ。
 あの事件の責任の一端は自分にもあるのだろうか。
 そこで彼は「カルマ」の意味を理解してしまった。自分が背負った業が、いずれ自分を殺すのだと分かってしまったんだ。

 結果がどうなったかは、君も知ってると思う。
 彼は死んだ。高層ビルから飛び降りて、文字通りのぺちゃこになった。
 おやおや、随分と嬉しそうな顔だね。
 まぁそうだろう。君は彼を追い詰めた人間の1人だからね。

 もちろん君のことは調べたよ。
 彼が事情聴取を受けたあとに、彼が事件に関与していないにも関わらず執拗に攻撃していた人たちが存在した。
 曰く、警察関係者に知り合いがいたから罪を逃れただとか、真犯人として捕まった男はスケープゴートだとか、あれこれ陰謀論をこねくり回して、何としても彼が犯人であると仕立てあげようと必死だった。
 家を探し当てて張り紙をしたり、ポストに手紙を投げ込んだり。果てはSNSに顔写真つきの情報を載せたり、いやはや恐れ入るよ。君達は実に恐れ知らずだ。
 今どきSNSでの匿名性なんてすぐに看破される。べたべたと指紋を残しながら誹謗中傷をやってのけるなんて、俺には怖くてとてもじゃないけど出来ないね。
 それならいっそ、こんな風に顔をあわせて話し合った方がよっぽどいい。

 なんで君のことを知っているかというと、1つは彼が裁判をおこすべく君達のことを調べていたからだ。
 もう1つはね、君の死にざまが件のビデオテープに映し出されていたからさ。
 そう、つまり、君は彼を自殺に追いやったカルマを背負って、めでたく凄惨な死を遂げるという訳だ。

 別に信じてくれなくたって構わないさ。
 その割には手が震えているね。大丈夫かい?
 ほら、落ち着いて。ここの紅茶は絶品なんだ。季節のタルトも美味しいだろ?
 新作は熟成させた和栗のモンブランに伊予柑マーマレードピュレをくわえた一品だ。
 栗の甘さにマーマレードの独特の苦みが加わって実に美味しくできあがってる。
 だから、ちゃんと味わって食べないと損だよ。
 だってね、これが君にとっての最後の食事になるんだから。

 心配しなくても大丈夫さ。それを食べている間、君に何かが起こることはない筈だよ。
 君が大型トラックに追突されて、その細い体が電柱とトラックの間に挟まれるのは、この店を出たあとだ。
 安心するといい。トラックは必死にブレーキを踏んでくれた。だから即死じゃない。
 鉄の塊と、電柱の間で自分自身の骨が軋む音をたてて、内臓が潰されていくのを感じながら君の人生の幕が降りる。
 ゾクゾクするだろう?

 俺はね、彼と違って死の瞬間には特等席で立ち合いたいと思ってるんだ。
 だから君のことを調べあげて、事故現場に近い場所に呼び出した。
 なんだって? それなら、次の犠牲者はお前になる筈だって?

 心配してくれて嬉しいよ。
 でも安心して欲しい。俺は件のビデオテープを視聴しているから、その次の犠牲者も知ってるんだ。
 君は今、とある人物に苦しめられてるだろ?
 いやいや、だから、俺のことじゃないよ。
 君が貯金を切り崩して貢いでやった人物のことだ。そいつのせいで君は今、破産寸前だ。会社の稼ぎだけじゃ足りなくなって、深夜のパートもいれたものだから、身も心もボロボロなんじゃないかい?

 あの人は何も悪くない。半年後には結婚してくれると約束してくれたって?

 ……余命僅かな君にこんなことを言うのは気が引けるんだけどね。
 君の愛しいあの人は、君以外にも6人の恋人がいるし、なによりも既婚者なんだ。
 君はただ、愛されているという幻想に溺れて、人生を捧げてしまった可哀そうな犠牲者だ。心から同情するよ。
 でも安心して欲しい。
 近い将来、君の思い人もあの世で再会できるだろうからね。今度こそ、手を取り合って針山登山を楽しんだり、血の池遊泳をして、お互いの関係を見詰め直すことができるんじゃないかな。

 どうしたの?
 全然タルトが減ってないね。
 まぁそれもいいさ。ならばもうちょっと、俺とのお喋りを続けようじゃないか。


 


いいなと思ったら応援しよう!