狭間の社
小学校の頃に、映画観賞会という行事があった。
学校の体育館や、地域の文化センターに行って映画を見る。当然選ばれるのは「教育上相応しい映画」だった。末期がんの患者と過ごす中で見つけた大切な何かとか、愛犬との絆によって人生を取り戻すだとか、そういった映画だ。
その年は、スタンドバイミーだった。少年たちが列車にはねられた死体を探しに行く。道中での青春の眩しさと、過ぎ去ったあとも胸に燻り続ける灯を描いた名作だ。
正直なことを言えば、まだ小学生だった僕たちはあの映画をほとんど理解できていなかった。だってあれは、大人になってから過去をふり返って描いたものだ。だから、子供の感覚では分からない部分が多かった。けれど、あの日のきっかけを作ったのは間違いなくスタンドバイミーだった。
そう、僕らはあの日、死体を探しに近所の神社へと出掛けたのだ。
僕の住む町には3つの神社が存在する。
1つは県外からの観光客もやって来るとても大きくて有名な神社だ。
駅前から長い参道が続いており、祭りがなくとも出店が立ち並んでいる。大晦日ともなれば沢山の人が訪れて、大賑わいになる場所だ。
もう1つは観光地というほどでもないが、夏祭りやお正月になれば町の人たちが集まってくる神社で、みなから愛されている場所だ。
そして最後の1つは、5年ほど前に神主が不在になっているさびれた神社だ。境内は荒れ放題になっていて学校の先生や親たちからは近寄っては駄目だと言われている。
当然、死体探しに向かうことになったのは、この3つめの神社だった。
僕がもっと小さかったころ、この神社は他の神社と同じように、近所の人々から愛されて、季節の要にはお祭りをするような場所だった。通っていた幼稚園が、ちょうどこの神社のすぐ隣にあったので、僕には馴染み深い場所だった。
あの頃の神社には神主さんもちゃんといたし、境内も綺麗に掃除されていた。
けれども、何故だろうか。当時でも僕はあの神社が怖かった。
理由はよく分からない。
すぐ隣の幼稚園に通っていたので、僕らはお散歩の時間になると神社の境内を散歩した。
一見すればなんの変哲もない場所だった。
でも僕らは漠然となにかの気配を感じていた。
子供同士で大騒ぎしている時には気が付かない。けれど、ふと友達の輪を離れた瞬間にすとんっと暗い穴に落ちるような、底知れぬ不安に襲われる。
何かに見られている気配がする。一人ぼっちになってしまった気持ちになる。あるいは、一緒に遊んでいた筈の友達が見知らぬものに見えてくる。
僕らはたびたび言い知れぬ不安感を味わった。
そうしてある日、神主さんが失踪した。
詳しい経緯は分からない。だがそれ以来、神社は後を継ぐ者もいなくなって、だんだんと寂れていったのだ。
5年の月日が経った今では、境内には雑草が生い茂り、社には落書きまでされている。近所の住人が時折は掃除に訪れているものの、手入れが行き届いているには程遠い。境内は昼間でも薄暗く、空気が淀んでいるようだった。
「2丁目のお米屋さんのおじさんが行方不明になったんだって」
クラスメイトのサトシはいつだって好奇心が旺盛だ。子犬のように目をきらきらと輝かせて、何かを追いかけまわしている。
それが不謹慎な内容であっても、彼の興味本位を押さえることなどできなかった。そんなサトシの一言が、冒険のきっかけになったのだ。
サトシいわく、お米屋さんのおじさんは3日ほど前から行方不明になっているとの事だった。
それでなぜ神社を探しに行くことになったかと言えば、それがこの町では暗黙の了解になってしまっているからだ。
神主不在になってから、神社では鳩やカラス、あるいは猫の死体が転がっていることが増えたのだ。噂によれば、深夜になると境内を叫びながら走り回るおかしな男がいるそうだ。その男が、動物を殺しているのだという。
やがてそこは、動物だけに留まらず、人の死体まで発見されるようになった。
最初は、近所に住んでいた高齢のお婆さんだった。おそらくは境内を掃除に来たのだろう。家族が捜索に来た時には、草むらで冷たくなっていた。
その後も時折、境内では人が死んでいた。
たいていそれは自殺であったが、中には殺された人もいるらしい。
どこまでが本当だかは分からない。そういった噂話は尾ひれ背びれがつくものだし、どの話も「友達のお姉ちゃんから聞いた」だとか「お母さんが駅前の花屋さんから聞いた」だとか、出どころが曖昧なものだった。
ただ、何人かの死体があの神社で見つかったことは紛れもない真実だ。
だからこの町では誰かが行方不明になると、またあの神社で見つかるんじゃないかと囁かれる。
僕たちが死体探しに神社へ行くことになったのは、そういった経緯からだった。
秋も深まる10月半ばは、日が落ちるのも早くなる。午後4時を回ったころには夕闇の気配が迫っていた。
学校を終えて、玄関にランドセルを放り込んだ僕たちは、自転車に乗って駄菓子屋の前で集合した。それぞれちょっとずつお菓子を買ってから出発する。わーっと大声をあげながら、颯爽と風を切っている時、僕らはまるで無敵になったように思えるのだ。
住宅街を走り抜けると少しずつ畑が増えてくる。田舎町というほど山も林もないけれど、都会というにはところどころにまだ自然が残っている。夜になればタヌキやハクビシンが出るような、とてものどかな町だった。
件の神社は、畑と住宅地の割合が同じくらいになった場所に建っている。隣接していた幼稚園はいつからか閉園になっていて、子供のはしゃぐ声は聞こえない。神社はいっそう、もの悲しい景色になっていた。
「ねぇ、やっぱりやめようよ」
神社に続く階段も、石畳の隙間から雑草が伸び放題になっている。高く伸びる杉の木がまるで壁のように神社の周囲をとりかこみ、境内へ向かう道は日が落ちた後のように薄暗い。
声をあげたのは一番小柄なハルヒコで、彼はすっかり怯えた顔になっていた。
「だってさぁ、お母さんが入っちゃ駄目だって言ってたじゃん」
「じゃあ、ハルは待ってろよ」
「お母ちゃん、お母ちゃんって、赤ちゃんかよ」
口々に言われて、ハルヒコは泣きそうな顔になる。そんな中、サトシは我関せずに階段を登り始めていた。
本当を言えば、僕もハルヒコと同じくらい神社が恐ろしかったのだ。だからハルヒコが泣き出したら、全部責任を押し付けて、さっさと逃げ帰るつもりだった。けれど、サトシはいつだって好奇心だけで動き出す。1人でも歩きはじめてしまったら、僕らも後に続くしかない。
「ちょっと待てよ、サトシ」
探検隊は、僕とサトシとハルヒコ、それにトオルの4人だった。
そうして僕らは仕方なく、自転車を神社の入口に乗り捨ててサトシを追いかけていったのだ。
短い階段を登った先には大きな赤い鳥居が待ち構える。
その先も石畳の道が続いていて、寂れた社が夕闇に沈み込むように建っていた。社のそばには桜の木が広く枝葉を伸ばしている。まだ幼稚園生だったころには、何度かあの桜の木の下でお弁当を食べたことを思い出す。とくに桜が咲いている時期はとても綺麗な場所だった。けれど今は葉の一部は赤や黄色に色づいて、枯れはじめているものもある。桜までもどこか寂しげだ。
思ったより狭いところだったんだ。
それが最初の感想だった。
昔、ここに訪れた時にはもっと広く感じたのだ。
けれど今見てみれば、神社は鳥居の下から境内がすべて見通せるほどの大きさだ。
「死体なんてないんじゃない?」
僕は周囲を見回しながら呟いた。
「死体がある所には、カラスがいっぱい集まって来るって言ってたよ。ここにはカラスはいないから、死体なんてないんじゃないかな」
トオルが物知り顔で言う。
「じゃあさ、もう帰ろうよ。大人に見つかったらヤバイって」
ハルヒコはずっと涙目だ。
「えー、でも折角来たんだしさ。ぐるっと一回りくらいしようよ。もしかしてすっごい宝物が見つかるかもしれないし」
「宝物ってなんだよ」
「分かんないけど、とにかくすっごいやつ」
「あーもう分かったから、さっさと回って帰ろうよ。こんなところ来るくらいなら、家でゲームしてた方が楽しかった」
サトシだけは相変わらずやけに乗り気のようだった。僕らはぶつくさと文句を言いながらも、1周だけは回ってみることに同意する。
怖い思いをして来たのだから、土産話の1つくらいあったっていいじゃないか。多分、そんな気分だった。
1周とはいったものの、見渡せるほどの広さなのだ。隅には小さな社務所があるが入口はベニヤ板でしっかり塞がれてしまっているし、本殿の入口も格子戸も閉じられているようだ。
サトシが先頭をたって歩き出し、その後を僕が、僕の後ろにはべったりとハルヒコが張り付くようにしてついてくる。しんがりはトオルで落ちていた枝を拾って退屈そうに振り回しながら歩いてくる。
参道をまっすぐ進み本殿の前まで行くだけだ。桜の木のそばには2匹の狛犬が出迎える。すっかり苔むしているせいで、まるでゾンビ犬のありさまだ。
本殿は遠目から見た通り、格子戸がぴたりと閉じられて、中の様子は分からない。お賽銭箱も空っぽで目ぼしいものは何もない。
「ほら、何もないって。だからもう帰ろうよ」
ハルヒコがぐずるような声をあげ、僕の腕を引っ張った。
「ちぇ、お金でも入ってれば良かったのに」
「神社から盗んだらやばいって」
「神様がくれたって思えばいいんじゃない?」
他愛ない会話をしながらも、僕の足は神社から逃げ出したくてじりじりと本殿から離れていく。
何もなかった。おかしなことは何もないのに、なぜだかひどく怖いのだ。
「ほら、サトシ、諦めて帰ろうぜ」
声をかけると、サトシはいかにも拗ねた顔をしながらも、神社の入口に向かって歩き出す。そのまま本殿から10歩ほど歩いたあたりのことだった。
耳鳴り。
いや、電車に乗ってトンネルの中に入った時に鼓膜がおかしくなるあの感覚。
ぶわっと何かが耳の奥で膨らんで僕らは顔を見合わせた。
「なに、今の」
「分からない。なんか、耳が変だった」
「なあ、あれ、……」
サトシがふり返って本殿をそっと指さした。皆も本殿へ向き直ると、格子戸がわずかに開いている。
「さっきは閉まってたよな」
背筋がぞわりと粟だった。細く開いた格子戸の隙間は真っ黒だ。そこから何かが、例えば白い腕がにょっきりと生えて来るんじゃないか。そんな恐怖に襲われる。
「おれ、ちょっと見てくる」
「よせよ、やめとけって」
サトシはあまりにも好奇心に忠実だ。僕らが止めても格子戸に引き寄せられるように歩き出す。仕方なく僕らもサトシの後ろを、そろりそろりと足音を殺してついていく。
サトシは格子戸の前まで近づくと、鼻先を突っ込むようにして暗闇の中を覗き込んだ。
「……なぁ、なにもないだろ? もう帰ろうぜ」
「そうだよ。そろそろ帰らないと母ちゃんも戻ってくるし」
「たくさんいる!!!!!」
ふり返ったサトシがとつぜん大声をあげるのに、僕らは飛び上がるほど驚いた。
「たくさんいる!! たくさんいる!!! たくさんいる!!!!!」
サトシは大声で繰り返す。
「何言ってるんだよ。やめろって!」
腕を掴んでやめさせようとした所で、サトシの様子がおかしなことに気が付いた。
サトシは大きく目を見開いて、瞬き1つしなかったし、黒目は少しも動かない。身体はまるで何かの発作をおこしたように、関節が強張ったまま固まっている。
「たくさん、たくさん、たくさん!!!!!!!」
ただ唯一、口だけがぱくぱくと慌ただしく開閉し、同じ言葉を繰り返す。
「帰ろう。帰ろうって、ヤバいよ。ねぇ、帰ろうよ!」
「分かってる。サトシ、行くぞ!!!」
涙声のハルヒコを宥めながら、僕とトオルでサトシの腕を無理矢理掴んで引っ張った。サトシは転びそうな足取りで何歩か歩くとふいになにもない場所を指さして「たくさん、たくさんいる!!」と吠えたてる。
早く行かなくちゃ。
帰らなくちゃ。
僕は必死にサトシの腕を引っ張って、石畳の参道を歩いていく。
狛犬の前を通り過ぎ、雑草に足をとられながらも必死になって鳥居を目指し、進んでいく。
サトシはときおり腕を振り払うように暴れては「たくさんいる!」と繰り返す。
「もう、やだ、怖いよ、やめてよサトシ君」
ハルヒコはめそめそと泣き出して、腕にしがみついて離れない。サトシは何度も腕を解こうと暴れては、先を急ぐ僕らの邪魔をする。
「いい加減にしろよ、サトシ!!! 置いてくぞ!!!!!」
「たくさん!!!!!!!」
その瞬間、サトシはまっすぐに頭上を指さした。先ほどまでは、あちこちをふらふらと指さしていたのに、今ははっきり頭の上を示している。
そこは鳥居の真下だった。
僕らは怯えたまま立ち止まり、ゆっくりと頭上を振り仰ぐ。
たくさんの、足があった。
いや、最初に足が見えただけで、その先にはだらりと弛緩した身体がある。
血の気が抜けた真っ白な足。
力なく垂れ下がった長い腕。
奇妙に伸び切った首には深く縄が食い込んで、口からはだらりと舌が垂れている。
「ひっ」とハルヒコが引き攣った声をあげ、その場にべったりとしゃがみこむ。僕も、トオルも動けなかった。
鳥居から垂れ下がった沢山の、沢山の首吊り死体。
それはまるで、そよ風で揺れる風鈴のようにゆらり、ゆらりと揺れている。
ギィイ、ギィイっと縄の軋む音がする。
とっくに死んでいる筈なのに、死体の足は時おりビクビクと痙攣し、蛇のように伸びた首からは隙間風のような声が漏れている。
「たくさん! たくさん!!! たくさん!!!!」
サトシの声で我に帰ると、がむしゃらに腕を引っ張って走り出す。トオルもなんとか動きだし、僕らは神社の階段を転がるように駆けおりる。
見られている。
そう思った。
鳥居にぶら下がった人たちが、じっと僕らを見詰めている。
恨めしそうに。苦しそうに。
彼らの視線が、うなじに突き刺さるようだった。
足を止めたら戻れない。転んでもいい。落っこちてもいい。とにかくここから逃げなくちゃ。
その一心で、ひたすら階段を降りていく。
最後の一段を降りた時、またあの感覚に襲われた。
電車でトンネルに入った時の、鼓膜が鈍くなるあの感覚。次の瞬間、耳にはりついた靄が消え去って、唐突に真っ赤な光に照らされる。
「ここにいたぞ!!」
「小学生4人、発見しました!」
突然のことに、なにが起こったのか分からない。
階段を降りたところにはパトカーが何台も止まっていて、赤色灯がぐるぐると周りながらあたりを照らし出している。
僕らはすぐに警察官に囲まれた。
口々に何かを聞かれたが、頭にはさっぱり入って来なかった。だがそれでも、助かったことだけはよく分かる。
僕らはその場にへたりこみ、あるいはわんわんと泣き出した。
そうして僕らの死体探しの冒険は、不完全に燻ったまま、歪に幕を閉じたのだ。
あのあと、僕らは4日間も行方不明になっていたのだと聞かされた。両親には散々叱られたし、学校でも全校朝礼で、今後はにあの神社には絶対に近づいてはいけないと厳しく指導されるほどだった。
サトシは大きな街の病院に入って、二度と戻って来なかった。
僕らはお見舞いにも行かせて貰えなかったし、その後サトシがどうなったのかも、教えて貰えないままだった。
きっと数か月でよくなって、街の学校に通ってるのよ。
母さんはそんな風に慰めてくれたけど、それがただの希望的観測であることは小学生の僕でも分かっていた。
自称、霊感があるという叔母が言うには、あの神社は、よくないものが集まりやすい場所になっているそうだ。大きな神社が他に二つあるために、一番小さなあの神社に悪い気がすべて逃げ込んで、ひどく歪んでしまっている。
「だってね、ほら、地図を見ればわかるだろ? ここは盆地になっていて、周囲は高い山に囲まれてる。そこに三つの神社があって、あの神社はその中でも鬼門の方角にあるんだよ。だのに、他の神社の方が強いから、悪いもんが全部流れていってしまうんだ」
僕は地図を眺めながら、ただただ首を傾げていた。
でもきっと、サトシが言っていたように、あそこには沢山いるのだろう。
僕らと違って戻って来れなかった人たちが。たくさんたくさんいるのだろう。
あれ以来、僕はときおり夢を見る。
真っ赤な鳥居と、たわわに実った葡萄のように、無数に垂れ下がった死体たち。
その下で、サトシが手を振っている。
遊ぼう、遊ぼう、また一緒に楽しく遊ぼうと、僕らが来るのを待っている。