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マスゴリ
「あれ? この店、いつの間にこんなに混んでたの?」
私は驚いて声をあげた。
穴場の喫茶店があるといって誘った店だ。時間は14時を少し過ぎた頃で、ランチの客はいなくなり、15時のデザートにはまだ早い。
普段ならば店は閑散として、店員たちも雑談をしたり、交代で休憩をとったりしている姿が見れるような時間だった。店の雰囲気は良かったし、閑古鳥が鳴いているというほど空いている店でもなかったが、ランチタイムでもない限りは全席が埋まっていることはほとんどない。
だが今日は、気が付けば店内は満員で、入口付近では席が空くのを待っている客もいるようだ。時間制限は設けられていない店だが、こうも混雑していると長く居座るのも気が引ける。
「普段はこんなに混まないんだけどね。近くで講演会でもあったのかな。ごめんね~、普段はもっとゆっくり出来る店なんだけど」
私の言葉に、チカは心底申し訳なさそうに眉をたれた。
「ううん、ちがうの。これ、私のせいなの。なんか久しぶりにやっちゃったみたい」
「え? どういうこと? もしかしてチカ、有名なインスタグラマーで店に来てること宣伝しちゃったとか?」
「そういうのじゃなくって。こんな話、信じて貰えないかもしれないんだけど、私の家系はね、ちょっと変わった力があってね……」
そうしてチカは遠慮がちに、家族が持っている不思議な力に関して話し始めた。
一族がその力を持つようになったのが、どれくらい昔からなのかは分からない。ただ祖母は間違いなく持っていたし、祖母の父も同じ力をもっていて、ご近所さんからは「招き猫」と呼ばれていたそうだ。
それは能力というより、体質のようなものだった。
人が集まってくる。
どんなに客の少ない店に入っても、しばらくするとどこからともなく客がやってきて、みるみる満席になってしまうのだ。
「前の別の子にこの話をしたら、その子が韓国に留学に行った時に似たような体質の人に会った事があるって言ってたの。だからたまにいるのかもしれない。その韓国人は自分の体質のことをマスゴリって呼んでたんだって。その言葉自体は初売りみたいな意味らしいけど、たくさん人が集まるから初売りセールとか、そういうイメージなのかな」
「へぇ、面白いね。まぁゆっくり過ごしたい時には不便かもしれないけど、自分でお店もったらいつでも商売繁盛ってことでしょ? それに、本当にゆっくりしたいなら完全予約制の店に行けばいいんだし」
「それが、そう上手くはいかなくって」
眉尻を下げたままのチカはかつて家族そろって完全予約制のフレンチを食べにいった時の話を語り出した。
その日は祖母の誕生日だった。
この奇妙な体質をもっていたのは、祖母とチカの2人だったので、完全予約制の店に行こうということになったのだ。
移動するのにも気を遣った。
なにせこの力はいつ発動するのか分からない。ふと気が付けば沢山の人がつめかけてくる。そうして、一度始まってしまえば、祖母もチカもその力をコントロールすることなど不可能だ。
祖母は以前に、この力のせいで大怪我をしそうになったそうだ。
「電車に乗っていた時に、どんどん人が入ってきて潰されそうになったんだって。その時はお腹に赤ちゃんが、つまり私のお母さんがいたから、本当に怖かったって話してた。やめてください、押さないで、お腹に赤ちゃんがいるんです。そう訴えても乗客はまだ増えていく。お願い、やめてと必死に訴えて、そばの席に座っていた男の人がなんとか席を譲ってくれて助かったんだって」
「それは、怖いね。じゃあチカも電車が怖い時ある?」
「うん、怖い。だから出来るだけ自転車とか車で移動する。でももっと怖いのはエレベーターかな。あれはドアが一か所しかないから、本当に逃げ場がない」
「そりゃ確かに怖いわね……」
そんな経緯があったので、家族での誕生パーティは銀座にある予約制のレストランをとったのだそうだ。
ここならば安心して食べられる。
そう思っていたのが甘かった。
食事をはじめて暫くすると、少し離れたテーブルでカップルが喧嘩をはじめたのだ。当然、店員たちが集まってなんとか場を収めようとしたものの、2人はヒートアップするばかり。
そうして、最終的に、カップルの女性が、相手の男の腹にむかってステーキナイフを突き刺した。
幸いにも、店はそれぞれの席がブースで区切ってあったため、事件を目撃することはなかっそうだ。だが、あっと言うまに警察官や救護隊が集まってきて、店は多いに混みあった。
普通に考えれば、それは偶然に遭遇した不幸な事故だと思うだろう。
だが自分達の体質を理解していた祖母とチカはひどく気まずい思いをした。
「それだけじゃなくってね。小学校の時に通ってた塾は人が少なくて、そこなら大丈夫って思ったの。でも、真下にあった中華屋さんから小火が出て、たくさんの消防隊員がつめかけてきた事もあったし」
なるほど。
そこまで来れば招き猫体質だと喜ぶだけではすまないだろう。
「それにね、どうも、この体質って、人じゃないものも呼び寄せてしまうらしくって」
「え? どういうこと?」
「あれは、おばあちゃんのお葬式の時だったんだけど……」
祖母が亡くなったのは暑い夏の最中だった。
そこまで交流関係の広い人ではなかったが、もしかしてまた大量に人があつまるかもしれない。そんな懸念があったために、少し広めの斎場をとることになったのだ。
そして案の定、葬儀が始まれば次から次へと弔い客がやってきた。
「でも、それまで集まったのは赤の他人だったんでしょ? お葬式だったら、喪服着てお香典もって来るんだよね?」
「うん、そうなんだよね。それでね、まず何だかおかしかったのは、真夏なのに真っ黒いコートを着た人が何人も来たの。
変なのって思っていたら、うちの叔母さん、……叔母さんはこのマスゴリ体質じゃないんだけど、霊感があるらしくってね、その叔母さんが真っ青になって『なんてもんを引き入れてるんだ』って言いながら逃げ帰るみたいにいなくなっちゃって。
それにね、あとで確認したら、芳名録に書いてある名前が半分以上読めないんだって。難解なくずし字みたいになってるんだけど、そういうのに詳しい人が読んでも読めないの」
「それじゃあ、お香典も空だったの?」
「そう思うでしょ? ちゃんと入ってたんだって。中にはどっさり入ってる袋もあって、そこに添えられてた紙にも文字があって、それは読めたんだけどね、『ごちそうさまでした』って書いてあったんだって」
「なにそれ? どういうこと?」
「分からない。でもね、……怯えて帰っちゃったおばさん、そのまま行方不明になっちゃったんだ。最後に見た時は、弔い客に飲まれるようにして見えなくなる後ろ姿だったんだけど、その後、家に戻らなかったんだって」
「それじゃあ……」
まるで、食べられてしまったようではなかろうか。
途端に周りの客たちが不気味に思えて、私はきょろきょろと周囲の様子を伺った。
おかしな人はいないだろうか。私は霊感なんて皆無だから、誰がおかしいかなんて分からない。ただ、やはりこの混みようは異常だった。
ふと見れば店の入口のウインドウに張り付いて中を覗いている人がいる。
なんだあれは。頭がおかしいのではなかろうか。
バクバクと心臓が早くなる。
その時、私は気付いてしまった。すぐ隣の席に座っている2人組はさきほどから一言も喋っていないのだ。店内は人で溢れかえっているというのに、がやがやとした音は少なく喋っている人はあまりいない。
そうだ。だからいつの間にか人が増えていたことに、今まで気付かなかったのだ。
ふと見れば、壁際に座った4人組はじっと私たちを見ているし、ウインドウに張り付いた不審者はべったりと窓を舐めている。
おかしい。おかしい。
くらくらと眩暈に襲われて、胃液が喉をせりあがる。
「ちょっとゴメン、私、御手洗行ってくる。戻ってきたらお店出ようよ、大分混んできたし」
私が立ち上がると、チカは心配そうな顔をする。
「うん、分かった。それじゃあ先にお会計済ませて外で待ってるね」
チカの言葉を最後まで聞き終えるより早くに、慌ててトイレに駆け込んだ。
個室に入って座面に座り、大きく息を吐き出せば少しだけ気分がましになる。
気のせいだ、全部。
斜め前の席の男の目が、すべて黒目に見えたことも。
たまたま満席になることだってあるだろう。
そう、だから、おかしくない。店に入ってきたカップルが「あれ? おかしいな。外から覗いた時はガラガラだと思ったのに」と言っていたのも、きっと聞き間違いなのだ。
はやくここを出て広い場所へ行こう。
今日は比較的、気候が穏やかだから公園を散歩するのもいいだろう。
そうだ。早く出よう。
その時、私はスマートフォンに着信があることに気が付いた。
届いていたのはショートメッセージで送り主はチカだった。
『この体質はたくさんの人を呼び寄せて本当に危険なの』
『だからね、たまに発散させないと危なくって』
『韓国の子はマスゴリって言ってたらしいけど、私は疑似餌って呼んでるの』
『私が疑似餌になって引き寄せて、ちゃんとした餌を引き渡す』
『ごめんね』
どういうこと? ごめんねって、それじゃあまるで、私に悪いことをしたみたい。
分かってる。何を言いたいのか分かっている。でも私は、ちゃんと理解するのを拒んでいる。
とにかく一刻も早くここから逃げるのだ。広いところに出てしまえば大丈夫。
ドアを開けて、私は大きく息を飲み込んだ。
ぎっちりと、みちみちと、そこには人がつまっている。男も女も関係なく小さな化粧室の中はたくさんの人でいっぱいだ。
いや、人? 人なのだろうか。
先頭の男の目は爬虫類のように奇妙な膜が見えているし、その隣にいる女は異様に舌が長かった。
みっちりと詰まった人たちは、我さきにと争うようにどんどんと個室へ迫ってくる。
「いただきます」
私が最後に聞いたのは、ひどく嬉しそうな声だった。