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クローゼット

 酒の席だからこそ話せるヤバい話を聞きたい?
 悪趣味な提案だな。誰が言い出したんだ?
 それで、なんで僕が最初なんだ?
 僕が電話している間にじゃんけんで決めたって?
 まぁいいよ。こういうのは後になれば後になっただけプレッシャーがかかるものだ。前の奴よりも面白い話をしなきゃいけないだろうってね。
 ん? どうした? 一番手を譲ってほしくなったか?

 何を話そうかな。ああ、そうだ。思い出した。とびっきりのやつがあったよ。
 でもこの話をする前に保険をかけさせて欲しい。
 簡単なことだよ。話の大部分は真実を。でもほんの少し。スパイス程度に嘘を加えてもいい。いやむしろ、これをルールにしないか? その方がずっと楽しくなる。
 異論はないみたいだね。
 それじゃあ僕が小学生だった頃の話をしよう。
 まだ小学校低学年だった頃に、女子大生と不適切な関係になった話だ。
 おっと噴き出すなよ、汚いな。サトシも、前のめりになりすぎだ。なぁ、実にお前たちにぴったりなヤバい話だろ?



 
 ……あれは小学三年生のことだった。
 季節はちょうど今くらい。五月晴れが続くいい時期だった。
 つつじが満開だったのをよく覚えてる。あの頃のガキは花をつんで蜜を吸ったりなんかしてたからさ。対して美味しい訳でもないのに、何故だか楽しかった。
 僕らはクラス替えをして、ようやく新しい環境に慣れ始めてた。仲の良い連中と違うクラスになったのは寂しかったけど、学校が終わればいつも通りだ。みんなで公園に集まって遊んだり、誰かの家に行ったり。
 彼女に、その女子大生に出会ったのもとある放課後だった。
 僕らはまだ子供だったのをいいことに、色んな裏路地を探索した。
 私道はもとより、壁に間に入り込んで人の家の庭に忍び込むこともあったし、家と家の隙間を探検して回るのは楽しかった。
 そうして、とあるアパートの隙間を歩いてた時のことだった。
 その裏道はそこそこ広かった。大人でも余裕で通れるくらいには広かったんじゃないかな。
 僕と悪友たち数人はそんな細道を歩いていて、アパートの窓が空いているのに気が付いた。背伸びして中をのぞき込むまでもなかった。窓の位置は低かった。だから中の様子は丸見えだった。
 そこには女の人がいた。
 当時の僕らから見れば大人の女だ。
 姉よりもずっと年上で母親よりずっと若い。
 彼女は夢中になってテレビゲームをしてて、それは僕らには衝撃だった。
 だって大人の女性はゲームなんてしないと思ってたからね。
 同じくらい驚いたのは、彼女があまりにもゲームが下手くそだったことだ。僕はそこまでゲームをする方じゃなかったけど、それでもあんな凡ミスはしない。そう思うくらい下手だった。
 それで、誰かが声をあげたんだよ。
 彼女がミスをした瞬間に思わず「あ!」って声が出た。
 彼女は驚いて振りかえって、僕らも僕らでびっくりした。それで、てっきり怒られるかと思って身構えた。
 でも彼女は怒らなかった。
 それどころかコントローラーを持ち上げて「これ、クリア出来る?」って聞いて来たんだ。
 僕らはまるで餌を与えられた鯉みたいだった。我先にとばかりに手を挙げて「出来る出来る」と食いついた。
 彼女は笑いながら僕らを部屋に招き入れた。
 もの凄く緊張したよ。だって部屋は僕らがはじめて触れる見知らぬ女性の場所だった。いい匂いがしたし、フリルのついたクッションがあった。床にはマニキュアが転がっていたし、化粧台には沢山の化粧品があった。
 僕らはガチガチに緊張してたけど、すぐに打ち解けた。
 彼女は一緒にゲームをして遊んで、僕らにお菓子やジュースを出してくれた。
 僕らはすっかり舞い上がってた。



 それから後も、僕らはたびたび彼女の元に訪れた。
 少しずつ聞いた話だと、彼女は大学生で、その年の春に上京してきたらしい。だから友達もいなくて寂しかったそうだ。僕らみたいな小学生を部屋に招き入れてしまうくらいにね。
 勿論、いつも彼女がいた訳じゃない。
 彼女は大学生だったからいない時もあった。
 でも僕らは期待に胸を膨らませながらこっそりとあの裏路地に入って、彼女の部屋の窓があいていないか見に行った。そうして窓が開いていると中に迎え入れて貰って一緒に遊んだんだ。
 知らない人の家に行っちゃいけないって事は分かってた。でも彼女は「女」だったし、一緒にゲームをする「友達」だったから問題ないと思ってた。
 いや、心の片隅では問題があるって分かっていたかも知れない。
 だってあの部屋を訪ねていたのは、結構いた筈だ。友達が友達を誘って行くこともあったから、最終的にはクラスの半分くらいの男子があの部屋に訪れたことがあったと思う。
 でも僕らのうちの誰一人として、彼女のことを親や先生に話す奴はいなかった。
 たかだか小学生のまだ尻が青いようなガキが誰一人漏らさなかったんだ。奇跡みたいな話だと思うよ。
 それくらい彼女の存在は僕らにとって、まるで神聖なものみたいな、そんな共通意識があったんだ。
 まぁ実際僕らの気持ちは神聖とはかけ離れていたけどね。小学三年生と言えど男は男だ。むしろ、性の違いなんかに敏感になる年頃だった。
 僕らは彼女にひっそりと恋焦がれて、時折なにか「過ち」がないかと期待した。
 部屋に干してある下着に興奮して、短パンからむき出しになっている脚に見とれていた。
 きっと、彼女は全部気付いていたんだと思うよ。
 分かっていて、猿の群れみたいな僕らを揶揄って楽しんでた。
 あの頃の僕らはそんな彼女に翻弄されて「大人の女は違う」だなんて思っていたけれど、今思えば、小学生をどんどん家に招き入れるのは正直ちょっとおかしかったんじゃないかと思う。
 それほど寂しかったのか。優越感か、承認欲求を満たされたかったのか。
 彼女はひどく「飢えて」いたんだろうね。



 それが「不適切な関係」の話かって?
 いやいや、安心して欲しい。この話にはまだ続きがあるし、そっちの方がヤバい話だ。
 あの部屋に出入りしていたガキは多かったけど、僕は彼女のお気に入りになった。あの頃の僕は、飛び切りに可愛かったからね。
 おっと、叩くなって。
 だって事実だろ? ガキの頃の写真を見れば分かる。我ながら可愛い顔をしてたと思うよ。
 実際、僕はモテてたし、今だってまぁ、そこそこに人気がある。でも顔がいいってのは良い事ばかりじゃないさ。それだけで営業に回されるし、いざ仕事をとってきても「顔のお陰」だなんて言われる。
 それに、セクハラも酷いもんさ。
 でも僕は男だろ? 女性社員に何か言われたって我慢するしかない。飲み会でお局に胸を押し付けられたってニコニコ笑って気付かないふりをするんだ。突然ハンドクリームを塗られたって文句の一つも言えない。
 ……話を戻そう。
 僕は彼女のお気に入りになった。
 それに、僕は鍵っ子だった。両親が帰って来るのは夜の9時過ぎで、日付をまたぐことだってざらだった。
 つまり僕は夕方を告げるチャイムが鳴っても慌てて帰る必要なんてなかったんだ。
 だから僕は大抵、一番最後まで部屋に残っていた。
 そこで「過ち」が起こった。
 ……いやいや違うよ。僕が直接なにかされたって訳じゃないし、僕だって何もしてないさ。
 ただ僕は、部屋にいただけだ。
 部屋の、クローゼットの中に。



 あれはもう夏休みに入るころだった。いつもみたいにダラダラと残って遊んでた僕に彼女が言ったんだ。
 これからバイトがあるって。
 だから僕は帰ろうと思った。
 でも彼女は僕にクローゼットに入るように言った。
 意味が分からなかった。でも僕は好奇心から頷いてクローゼットに入った。
 そうしたら、しばらくして男が来た。
 50代くらいのおっさんだったと思う。その後は、まぁお察しの通りだよ。僕はクローゼットの隙間から一部始終を見ることになった。
 彼女はベッドの上から時折僕に視線を送って楽しそうに笑ってた。
 僕は、……呆気にとられてた。見ちゃいけないと思ったけど目が離せない。それがどういう行為か分からないほどガキじゃなかったけど、勿論、生で見たのなんて初めてだ。
 あまりにも衝撃的過ぎてただただ息を殺してた。
 全部が終わって、男が出ていった後に、彼女がクローゼットを開いた。
 僕は何も言えなかった。そのまま、フラフラと家に帰った。その晩は眠れなくて、何度も何度も彼女の姿がフラッシュバックして大変だった。
 興奮するには刺激が強すぎて、ただただ衝撃だったんだ。
 あれは見ちゃいけないものだった。僕はとんでもないものを見てしまった。その事に罪の意識すら覚えた。
 僕は悪い子になってしまったと思ったんだ。



 今考えれば、悪い子は彼女だったし、あれは未成年者に対する性的虐待だった。
 そう、今になって思えば色々と分かることもある。
 上京してきた彼女は知り合いもなく孤独だった。それでたまたま小学生を部屋に迎え入れて、例えガキと言えどもその視線を一身に集める快感を知ってしまった。
 そうして彼女は踏み外した。
 あの頃の僕らにとって彼女は「大人の女性」だった。でも実際には、彼女はまだ大学生だった。
 大学に入って上京したばかりと言ったら、二十歳より前だったかもしれない。彼女はまだ全然「大人」じゃなかった。
 でも世間は、本物の「大人の男たち」は、そんな彼女を食い物にする事に躊躇なんてしなかった。



 結局僕は、その事があって以来も彼女の部屋を訪ねていった。
 罪悪感と好奇心は心の天秤に同じ重さで乗っかっていた。
 僕は、クローゼットに隠れて何度も行為を目撃した。でも毎回、僕は興奮しきれなかった。男たちがあまりにも醜悪で、自分もいつかあんな風になるのかと思うと悍ましいとさえ思った。
 それなのにやめられなかった。
 あれはきっと怖いもの見たさに近かったんだろうね。
 それに、あの覗き見るという行為が、彼女と僕を「特別」なものに変えていた。
 僕はあの夏休みの間中、そんな「不適切な関係」を続けていた。



 その後、どうなったのか。
 僕らの「不適切な関係」はどうやって終わりを告げたのか。
 それは唐突に訪れた。
 本当に、突然のことだったんだ。
 夏休みが終わって、僕らは暫くの間は新学期で慌ただしく過ごしていた。
 正確に言えば、夏休みの宿題が終わり切っていなかったから、最初の授業までになんとか終わらせるのに必死だった。
 そのせいで2週間くらい、彼女の所へ訪ねていく事が出来なかった。
 ようやく宿題を片付けて訪ねて行った時には、彼女の部屋はもぬけの殻になってた。
 何もなくなってたんだ。
 家具は全部運び出されて、花柄のカーテンも外されてた。
 むき出しになったフローリングの部屋はやけに広く見えたもんだよ。
 それで終わり。
 全部終わり。
 小学生だった僕らには彼女がどこに行ったのかなんて知る由もなかった。
 あれは僕らにとって甘苦いひと夏の思い出になった。

 ……どうだい? 僕の話は。
 もうちょっと刺激的なことを期待した?



 それじゃあ、もう一つのエンディングの話をしよう。
 ほら、映画とかでもよくあるだろ。スタッフロールの後に別ヴァージョンのエンディングが流れるタイプの話だ。



 彼女はね、……殺されたんだ。彼女が招き入れた「大人の男」によって。
 僕はその一部始終もクローゼットの中から見守ってた。
 男がふいに激高して、枕元にあった目覚まし時計で彼女の頭を何度も何度も叩くのをただじっと見詰めてたんだ。
 男が腕を振り下ろすたびに目覚まし時計についた金属がチリンチリン鳴っていて、なんだかそれが滑稽だった。
 彼女は抵抗しようとしたけど無駄だった。
 男を掴みかかろうとした手はいつの間にかダラリっと力なく垂れ下がって。
 ……男は、彼女が動かなくなってから暫くして、ふいに我に返った。
 そこからは大慌てだった。下着を履こうとしてスっ転んで、ズボンに片足を突っ込んだまま玄関に逃げて行った。もう彼女は動かないんだから、あんな怯えなくても良かったのに。
 その後、一度戻ってきて慌ててビニール袋にゴミなんかを詰めたりしてたけどね。
 子供の僕から見たって、あんなんで何か誤魔化せるとは思えなかった。
 だって彼女の全身に、あの男の形跡が残ってる。
 男はみっともなく泣いてた。蜂に刺されたガキみたいに顔を真っ赤にして泣いてたよ。
 俺じゃない、俺がやったんじゃないって繰り返して、そのうち部屋から出て行った。
 僕は大分長くクローゼットに隠れて様子を伺ってた。もしあの男が戻ってきたら、僕はきっと殺される。それくらいは分かってた。
 だから十分に時間をかけて待ってから、ようやくクローゼットから抜け出したんだ。

 彼女は酷い有様だった。
 顔がぐちゃぐちゃで、どこが目でどこが鼻かも分からなかった。
 気持ち悪いというよりも、なんだか不思議だった。だってそれはとても人間には思えなかった。彼女の裸体をはっきりと見たのは初めてだったけれど、何だかそれも嘘っぽかった。まるでマネキンみたいだったんだ。
 僕はしばらく彼女を見詰めてからいつも通りに窓から帰ろうとした。
 そうしたら、声がしたんだ。
 声、いや、動物の呻き声みたいな、潰れた音。
 驚いて振り返ると、彼女の顔だった場所が奇妙に動いているのが見えた。
 それは思いっきり噎せかえって血を吐いた。
 そう、彼女はまだ生きてたんだ。
 僕は呆気に取られて彼女を見詰めてた。彼女は僕に向かって手を伸ばして、何か言っていたんだと思う。
 多分、「助けて」とか、そんな事を。
 でも僕は、それを見なかった事にした。僕は見ていないし、ここにも来ていない。
 彼女は美しいまま、僕の思い出の中で死んでいくべきだと思ったんだ。

 僕は彼女の部屋から逃げ出した。
 それから数日間は怯えて過ごしたよ。いつ警察が来るんじゃないかってビクビクしたし、パトカーのサイレンにもぎょっとした。
 でも結局、警察は僕の所へは来なかった。
 彼女がどうなったかは分からないし、あの男が捕まったのかも分からない。
 僕は美しいままに彼女との思い出に蓋をした。



 さて、どうだったかな。もう一つのエンディングは。
 どっちが本当の話なのか。スパイスとして加わった嘘はどこなのか。
 それは君達が判断してくれて構わない。
 僕にとってあれは、美しくも妖しいひと夏の思い出話なんだよ。

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