福の噛み
祖父母の家は、都会から電車で一時間ほどの距離にあった。
いまでこそベッドタウンとしてたくさんの家が所せましと建っているが、祖父母が越してきた昭和後期はまだ畑だらけだったと言う。
当時、小学生だった私たちが遊びに行っていた頃も、祖父母の家のそばには大きな畑が残っていた。
大きな里芋の葉や、丸々と育ったキャベツは都会育ちの私には物珍しいものだった。
祖父母の家は昔ながらの日本家屋で、庭に面した廊下には縁側があった。
私は縁側が大好きだった。
寒い冬の日であっても縁側は、陽が出ている間はぽかぽかと温かく心地いい。
西側の縁側に面した部屋には仏間があった。
仏間にしては広い部屋で日当たりもよく、そこは一種の物置のようにもなっていた。
昔の人は物を捨てられないと言うが、祖父母はまさしくその典型だった。仏壇の周りには実にさまざまなものがひしめきあって置かれていた。
例えばそれは木彫りの熊であったり、シーサーや信楽焼のたぬき、剥製のキジや鷹もある。五月人形は年中出しっぱなしでそこにあったし、いったいどこで手に入れたのか獅子舞の頭まで置かれていた。
あれはちょっとした博物館のようでもあった。
とはいえ、保管状態が良いとは言えず、すっかり日焼けして色あせてしまったものも多かったし、そのほとんどが埃をかぶってしまっている。人形の顔には小さなひび割れが目立ったし、片目がとれてしまっていたものもある。
実のところ私は、その部屋が少し怖かった。
昼間はいい。
日当たりの良い部屋に並んだ置物は行儀よく日光浴を楽しんでいるように見えていた。
けれど夜になれば一変し、影が深まり顔立ちの明暗が浮き上がる。仏壇を中心にずらりと並ぶ置物に、私は少なからぬ畏怖の念を抱いていた。
とはいえ、祖父母の家で過ごした思い出は、そのほとんどが楽しいものばかりだった。
私にとって郷愁の念といえば、あの家のことを思い出す。
縁側に寝そべって過ごしたこと。台所では祖母が煮物を作っており、コトコトと鍋の音が聞こえてくる。鼻孔をかすめるのは少し甘い味噌の匂いだ。
だが一つ、心に刺さったままの刺のように、奇妙な思い出が残っている。
それは私が中学にあがる少し前、冬休みに起こったこと。
あの仏間にあった置物にまつわる事件だった。
冬休みに入ると私と弟は、両親に先だって祖父母の家に訪れる。
年末は両親たちも仕事がたてこみ忙しかった。だから私たちの世話を祖父母に預けていたのだろう。
当時の私たちはそんな事情などとくに考えることもなく、単純に祖父母の家に行けることを喜んでいた。学校の友達と会えなくなるのは寂しくもあったが、その友人たちも年末年始は田舎に帰るものが多かった。
それに私たち姉弟は世間の基準からして、かなり仲が良い方だった。だからお互いを遊び相手にすることで何ら不自由がなかったのだ。
時折、姉弟中の良さをからかって来る人がいたものの、私も弟もまったく気にしていなかった。ただ「世間には変わった考えの人がいるものだな」と鷹揚に構えていたものだから、からかってくる相手もすぐに飽きていなくなる。
とはいえ、私たち姉弟はべったり仲が良いかといえばそんな事はなく、互いの会話もとくに多いということもない。ただ、私も弟も血を分けて長く一緒にいる相手を、それなりに尊重していただけだ。それは私の一族の気質とも言えるものだった。
人間関係における緩衝材。
特別に秀でている訳でもないが、その人がいればなぜだか関係が上手くいく。
主体性がない訳でもなかったが、私も弟も空気を悪くすることを回避するのがうまかった。
そんな一族であったから、祖父母もまた穏やかな良い人たちで、「物を捨てられない性分」を除いては非常に居心地のよい家だった。
私が祖父母に叱られた記憶は一度もない。
いや、ちがう。一度だけある。
それがあの仏間の置物にまつわる件で、だからこそ心に深く残っている。
あれはクリスマスも過ぎ、もうじき年明けという頃だった。
年末が近づくと、多くの家が庭木を整え、どことなくかしこまった顔になる。
膝を揃え、背筋をしゃんと伸ばしながら年が明けるのを待っている。町全体がそんな風になっていく様が、私はなんとも言えず好きだった。
クリスマス前までは西洋かぶれに浮足立っていた商店街も、25日を過ぎてしまえば途端に澄ました顔になる。
「良いお年をお迎えください」
そんな言葉がちらほらと聞こえるようになる。
その日は祖父母と一緒に駅前のスーパーに買い出しに行った。当時はまだ三賀日も営業している店なんてほとんどない頃だったので、年末の買い出しは重要だ。
たくさんの荷物を車に詰め込んで帰ってくると、今度はその荷物を所定の場所にしまっていく。
私と弟も一生懸命に手伝いをしたが、なかなかの重労働だった。
午後からは祖母とお節を作ることになる。毎年恒例のお節作りは、去年から弟も手伝うようになっていた。
買い物を終え、お節作りをする前の小休止。
私と弟はぽかぽかと陽が当たる縁側に寝転んで、何をする訳でもなくぼんやりとした時間を過ごしていた。
先に口を開いたのは弟だった。
「しず姉、いま何か言ったか?」
「いんや、言ってないよ」
私は首を横に振って答えたが、弟が何を言っているかは分かっていた。
カチ、カチと何かの音が聞こえてくる。
それはねじ式のタイマーが回る音にも似ていたが、それにしては感覚が長すぎるし、タイミングもばらばらだ。
カチカチカチっと続けて聞こえることもあれば、カチっと一度鳴ってから10を数えても次が聞こえないこともある。気のせいか、鳴りやんだのか。そう思うとまたカチカチと音が聞こえるのだ。
「なんだろうね」
私がのっそりと起き上がると、弟も同じように体を起こす。
「仏間の方かな」
「また爺ちゃんが新しいもんを貰ってきたのかも」
仏間の置物は減ることはないが時折、新顔が現れる。
今年の夏休みに来た時には大きな達磨が五体も一気に増えていた。私も弟も随分と驚いたが、「大人のやることには何らかの意味があり、それは子供にはよく分からないものなのだ」と思っていたから、とくに尋ねはしなかった。
それとこれは、説明するのはどうにも難しい感覚だけれど、私はあの置物たちを祖父母の家の「お客さん」だと思っていた。だから「お客さん」の素性をむやみやたらに尋ねるのは、行儀が悪いように思えたのだ。
ともかくも、そんな風にして私たちには理解できないものが増えていることがあったから、今度もまた何か新しものが加わったのだと思ったのだ。
例えばねじ巻き式の人形などではなかろうか。
私と弟はそろそろと起き上がると、二人して仏間を覗き込んだ。
幾分か陽が傾きかけた頃合いだ。夕方にはまだ遠いが、一方向から陽が差し込んできているせいで、置物たちは影が深くなっている。
カチっとまた音がした。
耳をそばだてながら近づいていく。
お行儀よく並んだ達磨たちに夏よりもひび割れが目立つ西洋人形。
カチカチ。
カチカチ。
これかと思って近づくと、他の場所から音がするようで、なかなか正体が分からない。
「しず姉、こいつじゃないか?」
弟が袖口を引っ張った。
見ると、そこにあるのは男の人を模した木像だった。お腹がぽっこり出ている姿は布袋様や恵比寿様によく似ている。
大きさは40センチほどで、人形としてはそこそこの大きさだと言えるだろう。
ただ私たちの目を引き付けたのは口だった。
笑い顔で開いた口にはやけに精巧に作られた歯がならんでいる。
まるで本物の歯を使っているように見えるほどだ。顔や胴体がデフォルメされているというのに口の中だけがリアルなのだ。
歯茎も丁寧に掘られており、浮き出した血管がはっきりと分かる。
なんだか気味が悪いな。
そう思ったがもちろん口には出さなかった。
この木像も祖父母の家のお客さんであるのだから、失礼な態度をとっては駄目なのだ。
弟も同じように思っているのか、眉間にしわを寄せながらも何も言わずにじっと木像を見つめている。
「この像、いつからいたんだっけ」
「さぁ覚えてないけど。夏にはいなかった気がするよ」
しばらく見つめていたものの、あのカチっという音はしてこない。
思えばなぜあの音がこの木像から発せられていると思ったのかも謎だった。
ただなんとなく、私も、そして弟も、この像が鳴らした音だと思ったのだ。
「音、しないね」
「うん」
しばし見つめていたものの、やはり音はしなかった。
その時の私たちは「じっと見つめているからこそ、音がしなかった」という事に、気づくほど聡くはなかったのだ。
だから二人して木像に背を向けた瞬間に「カチ」っと音はしたときは、飛び上がりそうになるほど驚いた。
間違いない。
音は確かにすぐ後ろから聞こえてきた。
弟と一緒に恐る恐る振り返る。
木像は相変わらず笑顔を浮かべ、ずらりと並ぶ白い歯を見せている。
ただ、先ほどは閉じている歯と歯の間が今は少しだけ開いている。
私たちは固まったまま笑顔の木像を見つめていた。
そうしていると、ふいに弟が木像の口の中に指を突っ込もうと手を伸ばした。
「ちょっと、……」
私は驚いて止めようとした。
だがそれよりも早く、祖父の大きな声がした。
「口に指入れたらなんね!! 味覚えらって食われっぞ!!!」
振り返れば、祖父が見たこともないような怒りの形相で立っている。
私も弟も驚きのあまりに固まった。
祖父はそんな私たちへ大股で近づくと弟の腕をいくぶんか乱暴に持ち上げる。
「口さ、指入れたかっ!?」
弟は気圧されて返事すらできずに、ただただ目を丸くする。
「指、入れたんか!?」
「入れてない、入れてないよっ!!」
私が慌てて割って入ると、祖父は大きく息を吐き出した。
その顔から怒りの表情が抜け落ちて、私もほっと息を吐く。
弟はあまりに驚いたせいか、わっと声をあげて泣き出した。
「悪かった。驚かせて悪かったな。怒ってない、怒ってないかんな」
祖父はそう言ったが、弟はなかなか泣き止まない。
私はそんな弟を抱きしめて、ぽんぽんと背中を叩いてやった。
「爺ちゃん、それはなんなの? 危ないものなら、どうして表に出しておくの?」
私は少しばかりの非難をこめて尋ねたが、祖父はただただ首を振る。
「仕方ねぇ。こういうご縁はあっちから結ばれたら勝手にやってきちまうもんなんだ。そういう時は好きにして頂く他にない」
「好きにさせる?」
「下手にしまいこんだら、かえって罰があたっちまう。だからな、静も健太も間違っても指なんか入れるんじゃない。分かったな?」
私も弟も、どこか納得できないままに頷いた。
だって大人のすることだから、きっと意味があるのだろう。
そう思って、それ以上深く聞くことはなかったのだ。
木像の事はずっと心に残っていた。
あれ以来も祖父母の家には何度もお世話になっていたし、木像も相変わらず同じ場所に飾られていたが、結局それ以上のことは起こらなかった。
カチカチと鳴る音を聞いたのも一度だけで、だから私も弟も何もなかったかのようにふるまった。
木像の話を再び聞くことになったのは、20年ほど経った後のことだった。
祖父母は5年まえに二人とも亡くなり、家にあった置物もほとんどが処分されたと聞いている。どこぞで鑑定してもらったが二束三文にもならなかったと親戚が嘆いていたのを覚えいる。
居心地の良かったあの家も解体され、跡地にはアパートが建っている。
真新しいアパートからはかつての光景は微塵も想像できなくて、随分と寂しい気持ちにさせられた。
「しず姉、爺ちゃんちにあったカチカチいう木像のこと覚えてる?」
久しぶりに弟と顔をあわせたのは従兄の葬式での席だった。
弟も私もそこそこの会社に就職し、そこそこ幸せに暮らしている。人間緩衝材としての役回りは思いの他重宝されており、いつもそこそこに恵まれていた。
「ああ、覚えてるよ」
私が頷くと、弟はそっと声をひそめた。
「実はね、あの像、形見分けの時に勝彦さんが持って帰ったんだってさ」
「え? そうなの? そりゃあ、良くないんじゃないかなぁ」
私は思わず渋い顔になる。
あの木像は、あの場所にうまくなじんでいた。ご縁があってあの場所にいたのだから、動かすのはあまり宜しくはない。上手く言えないのだが、なんとなくそう思うのだ。そして、私のこの感覚は、これもまたうまく言えないのだが、なんとなくその通りになる事が多かった。
「俺もそう思ったよ。勝手に連れていっちゃ良くないんじゃないかって。他の親族も止めたらしいけどね。勝彦さんは『こいつは掘り出しもんだ』って聞かなかったらしい」
「掘り出しもんねぇ、……」
「福を噛む、福の神だなんて言ってたらしいよ」
「福を噛む。だからあんなに立派な歯をしてたのかね」
ぼんやりと呟きながら見つめる先は黒い額縁におさめられた従兄の写真が飾られている。
「福の神だなんて言ったって、自分が死んじゃあどうしよもないじゃない」
「本当にそう思うよ」
だからご縁もないのに勝手に動かしちゃいけなかったんだと、弟も思っているのだろう。
勝彦さんは癌だった。まずは胃が悪くなって、手術でそれを取り出した。だが癌はあちこちに転移して、肝臓やら腎臓やら、あちこち取り出すはめになったという。
『まるで腹の中を食い荒らされたみたいだった』
親族の誰かが言っていた。
そういえば、半年ほど前に勝彦に会った時。はじめて手術で内臓を摘出したときに、彼は指に包帯を巻いていた。
機械に挟まれて切断されただなんて言っていたが、彼の仕事はトレーダーで、指を断裁するような機械とはまったく無縁のはずだった。
「指食われて、味を覚えられちゃったのかも知れないね」
私がぽつりと呟くと、弟も「そうだね」と頷いた。
そのあと、あの像がどこに行くのかは私も弟も知らなかった。ご縁があれば、また出会うこともあるだろう。
ただしご縁がないならば、無理やりに引き寄せればそれは悪縁になりかねない。
あの像はご縁を求めてまたいずこかへ行くのだろう。
カチカチっとどこかから音が聞こえた気がしたが、その出どころはついぞ分からないままだった。