インシデントナンバー(申請中):餓死の悪夢
久地楽さんが好きそうな話を聞いたんですよ。
いつもの喫茶店というほど通いなれている訳でもないが、それでも二月に一度は訪れる程度には馴染みのある場所。
季節のタルトが評判だというこの店に訪れる時はたいていこの男、目の前の席に座って優雅に紅茶を飲んでいる男から呼び出しを受けた時だった。
正直に言えば付き合いを持ちたい相手ではない。
この男こそ怪異ではなかろうか。
そんな風に思ったことはあるものの、深く掘り下げたことはない。
それが、「明らかにおかしいが有害ではない」という自身の判断故なのか、あるいはこの男が本物の怪異だとして、その影響力で抑制されてしまっているのか、久地楽には判断がつかなかった。
久地楽のような職種の人間、裏道を生きるものではないが、大見得を切って正道だとは言い難い。世の中の怪異を調べて回る者にとって情報提供者は重要だ。
とくに、怪異の影響を受けることなく、そして善悪の基準に捕らわれず、フラットな視線で情報をくれる人物は、喉から手が出るほどに重要だ。
つまりそんな人物というのは、路傍の怪異よりもよほど奇怪であることを、身をもって知ったわけだけれども。
「見ると死ぬ夢って知ってますか?」
「知っていると言えば知ってるだろうな。そういう話はあまりにも亜種が多すぎる」
「まぁそうだね。この手の話は腐るほどにある。でも今回の話は前提条件があり、一定時期を過ぎれば被害者は生還出来る。そして、その後、まったく面識のない第三者に移行する。なかなか面白い性質だと思うんだ」
「……それで、どんな夢なんだ?」
まったくもって茶番だった。
この男は話したくて仕方ないのに、わざわざこうして久地楽の方から先を促してやる必要がある。
そうするとこの男はさも嬉しそうに薄い唇を持ち上げて、ゆっくりと口を開くのだ。
「俺が知る限り、この夢を見るのは5歳以上、18歳未満の女性だ。無粋な言い方をするならば処女である可能性が高い年齢といったところかな。生贄としての適齢期という訳だね」
そんな適齢期があってたまるか。
ぐっと言葉を飲み込んだのに気が付いているのか、男はますます楽しそうな顔をする。
「夢の内容はいたってシンプル。どこかの社の境内おぼしき場所で、同じところをぐるぐると円を描くように歩き続ける。力尽きて倒れたらおしまい。その場で動けなくなって餓死するまで放置される。
歩き続けるのはだいたい3人以上で年齢はばらばら。ほとんどの場合は生還できるけれど、たまに動けなくなって餓死してしまう子供がいる」
「まるで死のロングウォークみたいだな」
「そうだね。かの御仁の小説では一定速度より遅くなった場合は射殺されるというものだったかな。一見すると、射殺の方がセンセーショナルではあるけれど、本人にとっては餓死するより遥かにやすらかと言えるかもしれないね」
久地楽はただ静かに笑った。死の安寧を天秤にかける気にはなれなかった。
「とある少女、ここでは仮にA子さんとしよう。A子さんはこの夢を5歳あたりから小学校卒業の頃まで見ていたそうだ。
そして、この話を聞いた子をB子さんとしよう。B子さんはその後、別の少女からそっくりな話を聞くことになるんだ。
別の少女をC子さんとすると、C子さんは中学生に入ってから、毎年一度ぐるぐる回る悪夢を見るようになった。そして高校3年生になって年には見なくなった。
この悪夢を見たA子さんとC子さんはまったく面識がなく、住んでいる地域も離れている。離れている、といっても共通の友人としてB子さんがいる訳だから、ある程度の地域に絞られてはいるけどね」
「ここまでの話だと、ぐるぐる周り続けないと餓死する夢というものがあり、一度夢を見始めると5、6年の刑期のようなものがある。刑期を抜けると夢を見なくなる代わりに別の人員が補充される、ということか?」
「うんうん、その通りだね。
とはいえたった二例でルールを決めつけるのは危険だと思ってね。俺なりに調べてみたんだ。おもに個人ブログやSNSなどでの発言を拾ってみたのだけれど、何年か続けてこの夢を見たという女性のアカウントを複数発見できたよ。
アカウントに載っていた写真や、友人関係などから彼女たちはA子、B子、C子と同一県内に住んでいて、18歳未満であることも確認できた。
という事で、この悪夢がとある地域で毎年発生しているのはほぼ確実だろうね」
「とはいえただの悪夢ならば問題ない。だが、ただの悪夢でなかったから私を呼び出したんだろう?」
「俺としてはさしたる用事がなくとも、貴方とのティータイムを楽しみたいと思ってるんだけどね。でも貴方は忙しい人だから、不要不急ではない要件で呼び出したら、次からは応じてくれなくなってしまうだろうし」
――久地楽さんって怪異に好かれてますよね。
以前の同僚がそんな風に言っていたのを思い出す。
好かれたってろくなことにならないだろう? だいたいアイツらは恐ろしく気まぐれに人の命を握り潰す存在だ。そんなモノに好かれた日には明日に命があるかすら分からない。
――でも、久地楽さんは生き残ってるじゃないですか。同期の人で今も「まともな状態」の人ってどれくらいいますか? 五体満足で、精神も病んでない。それで現役で活躍している調査員なんてほとんどいないですよね。だからきっと好かれてるんですよ。多分それって僕らが理解出来るような好意ではなくて、庭先に訪ねて来る愛嬌のある野良猫みたいな感じかもしれないですけど。
「それで、実際に犠牲者が出ていたのか?」
同僚の声を振り払うようにして先を促す。
「ご明察。未成年者の餓死なんて珍しいからね。同じ県内で10年以内に3人も見つかれば十分じゃないかな? ただあまりにも奇異な事件だったからこそ、対して調べられることもなく親からの虐待だとして処理されたみたいだね。怪異が原因の冤罪事件っていうのがどれほど起こっているのか少し気になったよ」
「まだ話していない情報があるな。悪夢を見るのは毎年一度。その日はなにか特別な日なのか?」
「さすがは調査員だ。目の付け所がいいね。さてこの毎年一度の日に関してだけれども、『秋祭りの前日』であるらしい。ただ秋祭りというのは開催される日取りにかなり振れ幅があるからね。9月ごろの行う地域もあれば、11月の新嘗祭を秋祭りとする地域もある」
「逆に言えば、悪夢を見る日取りから、どの地域の秋祭りであるのかを絞り込むことも出来る」
「パーフェクトな推測だ」
「ならこのまま推測を続けよう。秋祭りの日取りに振れ幅があればこそ、どの地域の祭りであるかも突き止めた。元凶となっている社も検討がついているんじゃないのか? それで私を同行させようと呼び出した」
久地楽の言葉に、男は今日一番の満面の笑みを見せると「まさにパーフェクトだ」と呟いた。
男に案内されて辿り着いた先は、小高い丘のふもとにある神社だった。
大きな神社ではないけれど、境内は小奇麗に片付いており、地元民の憩いの場である様子が伺える。実際、神社に隣接されている公園では子供たちが楽し気に遊んでいた。こんな場所が呪いの震源地であるなどと、とうてい思えないような場所だった。
「まずは何故この場所に辿り着いたのか説明しないとね」
男が歩いていく先は、境内の一角にあるお稲荷さんの社だった。
近づいてみれば、その異様さに気が付いて思わず歩む足を止め、まじまじとその有様を確認する。そこにあったのはフェンスだった。お稲荷さんの像をぐるりと囲むようにして周囲にフェンスがはられている。
都会において、こういった事は稀にある。
心無い人がお稲荷さんに落書きなどの悪戯をしたりしないように。あるいは交通量の多い通りにある場所などは、車がぶつかって破損しないためのものがある。
だがここは、とても長閑な社だった。
そんな中でこのフェンスはやけに異質な存在だ。
「件の悪夢に関して聞いた時に、気になったのは『秋祭り』と『餓死』とが並ぶ違和感だ。秋祭りとは本来は豊穣に感謝して行われるものが多い筈だ。そんな祭りに餓死というのはどうにもちぐはぐに思えてくる。
そこで考えたのは、餓死が何に由来するかだ。社が関わってくるからには、恐らく根源はかなり古いものだろう。古い時代のもの、そして餓死。この二つから連想出来るのは飢饉だろう。それも、恐らく大規模なもの。社が建てられるほど大規模な飢饉が発生しており、悪夢を見る翌日に秋祭りが行われている地域。
その結果見つけ出したのがこの場所なんだ」
「ここは、飢饉があったために造られた社なのか?」
「まぁ、概ねそうだと言えるだろうね。ほら、そこに由来が書かれた石板がある」
男が指さした方向には、確かに立派な石板が立っていた。
「随分と古いものだからね。俺も読み解くのに大分時間がかかったよ。
かいつまんで説明すると、この小高い丘には洞窟があってね。狐の大穴と呼ばれていて、その名の通り狐が棲みついていたらしい。
ところがある時、この辺り一帯が酷い飢饉に見舞われたんだ。
人々は飢えてどんどん死んでいき、それを弔う余裕もない。そこで、仕方なしに狐の大穴に死体を投げ込むことにした。大穴は死体でいっぱいになり、あたりには酷い腐臭がたちこめた。
もちろんそんな仕打ちをされた狐はたまらない。狐の恨み、そして穴に放り込まれた者たちの恨み、そういったものが混じりあって、狐の化け物となって現れた。化け狐が里に降りて来ると、作物は腐って枯れてしまう。
そこで自らの行いを悔いた人たちが社を作って、大穴の狐と飢饉で死んだ人たちを丁寧に弔った。
それがこの神社のなりたちという訳だよ」
「今、考えれば、大穴の遺体から大量の虫が発生し、それが村に残った僅かな作物をも腐らせた、そういった経緯なんだろうな」
「まぁ恐らくはそうだろうね。
さておき、飢饉で亡くなった人々と、化け狐を鎮めるために建てられた神社だ。もう二度と飢えて苦しい思いをしないようにという思いを籠めて、いつからか村の人たちはこのお稲荷さんにご飯を捧げるようになったんだ。
捧げるというと、お稲荷さんの前に饅頭なんかがおいてあるのを想像するかもしれないけどね。ここでは、お稲荷さんの口にご飯やおはぎを入れて、まさに『食べさせて』いたんだよ。
だからほら、よく見るとここのお稲荷さんは口の所が真っ黒になっているだろう?」
「なるほど。だが今は、フェンスがはられていてそれが出来なくなってしまっている」
「ああ、その通りだ。ここの住職に話を聞いてみたのだけれどね、信心深いお年寄りなんかは毎日のようにご飯を食べさせに来ている人もいたそうなんだ。
けれどね、そこで困った事も多かった。お稲荷さんの像が汚れるというのはまぁ当たり前の事だけれどね。もっと問題になったのは、常にお稲荷さんのまわりにご飯があることで、この近辺に野生動物が集まってきてしまう事だった。
野良猫くらいならまだいいけれど、ハクビシンやらタヌキやら、挙句にここ数年では熊まで目撃されたことがあるらしい。
そうなると住民たちとしてはたまらない。見ての通り、この社には公園なんかもあるからね。好奇心旺盛な子供たちがタヌキを掴まえようとして指を噛まれたなんて事件もあったそうだ」
「それでフェンスをはって、捧げものが出来ないようにした訳か」
「まさか住職も化け狐の恨みが今もまだ残っていて、それで付近の住民が悪夢で呪い殺されることになるなんて思いもよらなかっただろうからね」
久地楽はあらためてお稲荷さんの像を眺めてみた。
口元が真っ黒にそまった狐の像は、少々不気味ではあるものの、人を呪い殺すほどの恐ろしいものには思えない。
だが恐らく、この男がわざわざ自分を案内して来たのだから、話は真実なのだろう。
「さて、これで事情は分かってくれたと思う。この社のお稲荷さんは、未だに飢え続けている。そして正しく祀られていないことに腹を立てているらしい。故に、この地方に住む人の中から生贄を選んで悪夢を見せ、儀式に失敗したものを餓死させているみたいだね」
「ぐるぐると歩き続けるというのは何なんだ?」
「ああ、それもここのお祭りの伝統に習っていてね。一晩中盆踊りをする徹夜踊りと似たようなものさ。この社の近辺では稲穂を持って一晩中村の中を練り歩き、今ではこんなに豊になったと示す行事があるらしくてね。その行事は今でも続いているらしいけれど、年々参加者が減っているし、真夜中に騒ぐなと住民から苦情が来るそうだ」
「まったく、……」
困ったものだと久地楽はため息を吐き出した。
こんな風にして失われていく祭事がいったいどれくらいあるだろうか。そして、その消失によりいかほどの呪いが降りかかるのか。それは餓死の悪夢と同じように、被害者が出るまでは分からない。
いや、実際、密かに不審死があったとして、久地楽たちの耳に届くのはほんの一握りに過ぎないだろう。
「つまり君の要望は、我々の組織でお稲荷さんを管理し、夜通しの祭りを継続させろということか」
「それはまさに、俺が求めていた完璧な答えだね」
「分からないな」
久地楽は男に向き直った。
「一体全体、なんの義理があってこんな事をしているんだ。今回はいつもの悪趣味な企みらしきものが見当たらない」
「失礼だな。俺はね、安楽椅子探偵を自称しているつもりなんだ。つまり事件は出来る限り解決する。その手法があなたにとってお気に召さない時があるみたいだけれどね。そういった訳で、今回は解決のために友人の力を頼ろうと思ったんだよ」
「友人ね」
まったく嬉しくない言葉だった。
かと言って、この男に心底嫌われるというのも遠慮したい。故に久地楽は曖昧な笑みを作って、お道化て肩をすくめて見せる。
それから、再びお稲荷さんに向き直ると、はてさて一体どんな理由で住職を説得しようかと考えはじめた。
「それじゃあ、宜しくお願いするよ。出来るだけ早めに対応してくれると有難いな。そこの狐が腹が減った、腹が減ったとうるさいからね。もたもたしているとあなたの足に噛みつきそうだ」
「……――なんだって?」
慌てて久地楽はふり返るが、そこにはもう男の姿はみあたらない。
いつも通りの気まぐれで、突然目の前に現れて、風のように去っていく。
まぁ、それで構わないかと、久地楽はため息を吐き出した。そして願わくば、しばらくはあの男の顔を見ないですみますようにと、どこの誰とも分からない、おそらくは神と呼ばれるものに願うのだった。