見出し画像

キ域_07

 里穂子は病院のソファに腰をかけ、ただぼんやりと薄暗い廊下を見詰めていた。
 時刻はもうじき23時を回るころだ。診療時間はとっくのとうに過ぎており、今ここにいるのは入院患者か、当直の職員、そして急患に付き添ってきた家族くらいのものだろう。
 あの後、里穂子は110番に通報をした。
 そうして、すぐに警察と救急隊がやってきた。
 里穂子はあの家で何があったかをほとんど語っていなかった。自分が見たものがどこまで現実なのか分からない。
 実際、中に踏み込んだ警察は、特に怪しいものは発見しなかったようだった。
 つまり里穂子が見た風呂場の惨状や、玄関にいた恐ろしい女も幻覚だったことになる。幻覚、と言ってもまるで無関係に現れたものではないだろう。
 何かが起こった。
 とても良くないことが起こったのだ。
 だがそれを警察にあえて教えることはためらった。
 どのみち、里穂子にはその根拠や証拠を語る術がない。恐ろしい幻覚を見たから、きっと何かあった筈だ。そんな風に訴えれば、里穂子の正気が疑われる。
 それにもし、あの家で酷いことが起こったとして。
 それが世間に知られることは、佑衣子をさらに追い詰めることになるだろう。
 結局、何が起こったかは分からないまま、佑衣子は入院することになり、佑衣子の夫である和彦は行方不明という扱いになったらしい。
 ただ、警察も同じ地域で立て続けに奇妙なことが起きている事に思うところもあるようだ。そのまま調査を進めて欲しいと思う反面、すべてが明るみに出ることが恐ろしいとも思えてしまう。
 佑衣子は心身ともにひどく疲弊した状態だった。
 恐らく数日間、食事も水もとっていなかったようで、ひどい脱水状態だったと聞いている。それに、精神にも随分とダメージを受けていた。
 佑衣子は市内の総合病院に運びこまれた。
 そこであれこれと検査を受け、入院手続きに至るころにはこんな時間になっていた。
 今はようやく病室が決まり、移動式ベッドに付き添って入院病棟までやってきたところだ。後は、いくつかの書類にサインをすればひとまずは帰ることが出来るらしい。

 「どうしようか、……ああ、いけない。泊まるところ、探さなくちゃ」

 里穂子はゆるゆると首を振る。
 この時間から家まで車を運転して帰るのは流石に辛い。病院に来る前にジローをペットホテルに預けるところまでは手配したが、自分自身の宿泊先に関しては完全に頭から抜けていた。
 幸いにも駅前のビジネスホテルに空きがある。スマートフォンから慌てて予約をとった所で、誰かの呻く声が聞こえてきた。
 なんだろうか、と耳を澄ませる。
 声は男のものだった。悪夢を見て魘されているような声がする。
 くぐもっって、苦しそうな声。
 声が聞こえてくるのは廊下の一番奥にある部屋だった。
 どうやらナースコールはしていないようだ。確かコールをしていれば、病室前にライトが点灯する仕組みになっている。
 呻き声はまだ聞こえてくる。
 それは段々と切羽詰まったようになっていき、里穂子は戸惑いながら立ち上がった。
 病人のことは看護師に任せるのが一番だ。里穂子が何かするべきでないことは分かっている。けれど、不測の事態が起こっていてナースコールを呼べないのかもしれない。
 ぐるりと辺りを見回してみても、周囲に看護師はいなかった。ナースステーションも、今は全員が出払っているのか、誰も残っていないようだ。
 仕方ない。少しだけ見に行こう。
 何か様子がおかしかったら、すぐに看護師を呼びにいこう。
 病室に近づくと、ネームプレートには「新田潤平」と書いてある。どうやら一人部屋のようだった。

 「ぅうう、あああ、いや、いやだ、うああぁああああ……」

 部屋に近づけば呻く声がはっきりと聞こえてくる。
 やはり魘されているのだろうか。そっと病室を覗き込んで、里穂子ははっと凍り付いた。
 電気の落ちた薄暗い病室にはベッドが一つだけ置かれている。
 そこに、子供の姿が見えた。
 ベッドの男を覗き込むようにして、青白い子供が立っている。

 「いやだ、いや、いや、……ううあああ」

 子供はじっとベッドの男を見詰めている。ベッドの男は涙混じりの声をあげ、逃れようとしているようだった。首をはげしく動かして、必死に声をあげている。

 「やだやだやだ、ひ、い、いいいいいいいッ!!!!」
 「……ちょ、」

 思わず声をあげた瞬間、子供がゆっくり顔をあげる。生気の抜けきった虚ろな目は部屋の暗がりより尚暗い。
 いけない。里穂子は慌てて後ずさる。
 逃げないと。踵をかえそうとした所で、いつの間にか背後に立っていた看護師にぶつかりそうになる。

 「どうかなさいましたか?」

 声をかけられ、思わず心臓が止まりかけた。

 「え、ええと、その、……」

 恐る恐るふり返ってみたが、病室に子供の姿は見当たらない。

 「その、……彼が悲鳴をあげていたので、心配になって……」
 「ああ、そうだったんですね。毎晩なんですよ。魘されて叫び声をあげるんです。この間なんかベッドから転落して。だから今は念のために両手を拘束してるんですけどね。おかしな話なんですよ。だって彼、首から下が麻痺してるんですよ? どうやって落っこちたんだか」
 「麻痺してる? 交通事故ですか?」

 里穂子が尋ねると、看護師は「いいえ」と首を振る。

 「なんでもね、不動産のお仕事をしてて、内見に行った家の階段から落っこちたらしくて。それって事故物件だったんじゃないって私たちの間でも話してたんですよ」

 そこまで言ってから、慌てて看護師は口元を抑える。

 「……いけない。私ったらうっかり喋っちゃった。今の話、聞かなかったことにしてくれませんか?」
 「ええ、勿論です」

 里穂子は力なく笑いながら了承すると、看護師も安堵した顔になる。

 「ええと、津山佑衣子さんのご家族の方ですよね。遅い時間までお待たせしちゃってすいませんね。今、ベッドのお支度が終わったところです。後はもうこの書類だけでおしまいなので」
 「いえ、こちらこそ。ご迷惑おかけしてすいません。その、姉は、……」

 佑衣子はベッドで移動している間、あまり反応を示さなかった。虚ろに天井を見詰めていただけだった。

 「そうですね。今は点滴で水分と栄養分をとって頂いています。心療内科の先生が明日改めて診察することになるかと思います」
 「分かりました。よろしくお願いします」

 入院に関する書類にサインをしてから、逃げるように病院を後にした。
 当たり前だが外は真っ暗になっており、人通りもほとんど絶えている。
 ジローを連れて来るために、無理を言って車を移動させておいて正解だった。駅まではそこそこ距離があるし、この時間ではタクシーもつかまらないだろう。

 「……どうしようかな」

 車に戻ってから改めて里穂子は呟いた。
 どっと疲れがわいてくる。それに、空しさと悲しさも。
 姉は、佑衣子は元通りになるだろうか。あの家で何が起きたのだろうか。
 知りたいと思うけれど、知りたくないとも思ってしまう。だってきっと、知れば知るほどに絶望を味わう事になるからだ。
 どうしようか。
 だからこそ里穂子は考えこむ。
 きっと正解はもう全て諦めて、ここから逃げて帰ることだろう。
 姉のことは不幸で悲しい出来事だった。でもどうしようもなかったのだ。すでに手遅れだったのだと、自分自身に言い聞かせる。
 でもその選択はこの先ずっと後悔という爪痕を残すだろう。
 なんでこんな事になったんだろう。
 姉は優しく良い人だった。なのに何故、こんな不幸な目に合わねばならなかったのか。
 ため息をはく。
 そしてまた「どうしようか」と繰り返す。
 でもきっと、悩み始めたところから、答えは決まっていたんだろう。




 翌日、里穂子は市内にある郷土資料館に訪れた。
 資料館があるのは市内を流れる川のすぐそばの公園内で、同じ園内には資料館以外にも茅葺屋根の古民家が建っている。緑が多いために木陰も多く、家族連れの姿やランニングをする人たちで賑わっていた。
 子供の甲高い歓声、散歩中の犬の息遣い。生い茂った葉の間から落ちる木漏れ日がきらきらと輝きを放っている。
 川のそばではテントをはって休んでいる家族連れもおり、平和そのものの光景だ。
 こんな長閑さの中にいると、昨日の出来事が嘘だったかのように思えてくる。
 同時に、こんなにも光り輝いている世界の中で、自分だけが深い影の中に潜んでいるような、憂鬱な気分にもさせられる。
 いけない。今は落ち込んでいる場合じゃない。
 止まりかけていた足を動かして、郷土資料館の入口をくぐる。
 そこは随分と古めかしい建物だった。外にある茅葺屋根の家よりは新しいのだろうけれど、おそらく築五十年は経っていることだろう。入口には大きな切株や甲冑、それに鹿や熊の剥製が置かれており、壁際には古い農耕具が飾られている。すみにあるソファは劣化して表面の皮が破れていた。
 古い建物に入った時に感じる、独特の匂いが鼻につく。ワックスの甘い匂いと埃の匂い、それらが混ざり合ったものだろうか。
 室内の暗さに目が慣れるよう、入口でしばらく立ち止まっていれば、受付から声が聞こえてきた。

 「ええ、そうです。山際の方の。明治あたりに子供たちの遭難事故があって慰霊碑を建てたと伺ったんですが」

 里穂子は驚いて目を瞬かせた。
 ゆっくりと受付に近づいていけば、そこには40代ほどの男が立っており、受付の職員と話している。
 子供の遭難事件。それも慰霊碑がたったというならば、一人二人の事故ではないだろう。佑衣子の家や病院で見かけたあの子供たちと関係があるのではなかろうか。

 「その慰霊碑をどこかに移動したらしいんですが、その場所を教えて欲しいんです。あと出来れば、当時のことを詳しい人がいればお話を伺いたいのですが」
 「そうですねぇ。だったら、武藤さんかしらね。地域ボランティアの人なんですけどね。今は民家園の方に行ってる筈ですよ。囲炉裏のそばにいる筈なんで、そちらに行ってみて下さいますか?」
 「分かりました」

 男が頷いて振り返る。そして自然と目があった。
 表情こそくたびれてはいるものの、身なりは小奇麗な男だった。第一印象で相手に不快感を与えることがなく、物腰も穏やかで威圧感がない。
 里穂子は一瞬悩んだが、意を決して口を開く。

 「あ、あの、今のお話、私もご一緒していいでしょうか」
 「え?」

 男は驚いてぽかんと呆けた顔になる。

 「突然すいません。私は倉橋里穂子と言います。……その、私も、……行方不明になった子供たちの事を調べていて」

 言葉を選ぶように切り出すと、しばし奇妙な沈黙がおりた。
 お互いで腹のうちを探るように、視線をあわせて黙り込む。先に口を開いたのは男の方だ。

 「あー、……ええと、子供を?」
 「はい。その、……何か、不幸な事故があったのではないかと思って調べに来たんです。……姉の家が、山側にあって、そこでどうも、よくない事が起こったみたいなので」
 「なるほど。分かった、それなら一緒に行こう」

 里穂子の言葉に、男も意図を察したのだろう。

 「俺は福部だ。福部浩一。どうぞよろしくな」

 男は、福部浩一はそう言ってにかっと笑ってみせた。




 「姉は数か月前にこっちに越して来たんです。山際の方に家を買って。それでしばらくして奇妙な事が起こり始めたらしいんです」

 茅葺屋根の家に向かいながら、里穂子はこれまでの経緯をかいつまんで説明する。

 「犬を飼っていたんですけど、その子が凄く神経質になって何度も吠えたり。家にいない筈の子供を見かけることがあったって聞きました。
 数日前から姉に電話をしても出なくなったから心配で見に来たんです。そうしたら、……その、和彦さん、……姉の旦那さんは行方不明で、姉は、どうも、……精神が参ってしまったみたいで。今はこの近くの総合病院に入院してます」

 里穂子が見たあの恐ろしい光景は、今はまだ話す気にはなれなかった。
 福部は喉の奥で低く唸ると、しばし悩む間をおいてから口を開く。

 「山際っていうのは、……最近一家心中があった近くって事かい?」
 「はい。まさにその隣の家です。あの、……あの地域は、何かあったんですか?」
 「何か。そうだな、色々とあった。ちょっとばかりあり過ぎた場所なんだろうな。俺の知ってる限りだと、あの辺りは大昔は姥捨て山だった。それで山姥が出て、退治したっていう話がある。あの新興住宅地から少し離れたところに神社があるだろ? あそこの山姥を退治した時に使われたっていう大岩が祀ってあった」
 「ああ、……あの神社……」

 よく覚えている。
 ちょうどあの神社を通り過ぎたあたりから、周囲が薄暗くなったように感じたのだ。

 「その後、明治あたりに子供たちが遭難する事故があった。詳しいことは分からないが、慰霊碑がたつほどの事故だったらしい。そいつについて、これから話を聞きに行くところだ。
 それと、おおよそ30年前にも事件が起きた」
 「まだあるんですか?」
 「ああ。新興住宅地の建設当初に殺人事件が起こったんだ。越してきた連中と、元々住んでいた住民との間には溝があって、そいつがどんどん悪い方に転がった。越してきた連中が地元民を拉致して殺したんだ。それで遺体を解体して山に捨てた」
 「遺体を解体。それって、一家心中事件のあった家でも確か、……」
 「どこかしら似ているとは感じるな。それに、過去の事件を起こした犯人も、子供が行方不明になったことが凶行に走った原因らしい」

 その土地で起こった不幸なことを調べれば、どこだって沢山の悲劇があっただろう。ただあの土地は、それが密接に絡みあい、雁字搦めになっている。悲劇の連鎖がまるで蜘蛛が巣をはるようにして、そこにやって来る者たちをとらえて絡みとっているようだ。

 「福部さんはなんで、この事件を調べているんですか?」
 「もともとはただ仕事の一環だった。ただ、一緒に調べてた同僚の、……」

 福部はしばし足を止めて黙り込む。

 「……同僚の、5歳になる娘が行方不明になった」
 「そんな……」

 里穂子は口を抑えて絶句する。
 姉がおかしくなってしまった事はあまりにも悲しい事だった。だけれども、たった5歳の子供が行方不明になる苦しみは、気が狂いそうになるに違いない。

 「オカルトの調査をしていたのが原因だなんて、警察には口が避けても言えんだろ」
 「そうですね」

 里穂子自身も、姉の家で見たことを何も話さないままだった。
 下手なことを言い出せば、信用されなくなってしまう。あるいは、犯人だと疑われてしまうことさえあるだろう。
 だから、自分で調べてみるしかない。
 福部も里穂子も同じ結論に至ったのだ。




 季節はもう初夏だったが、囲炉裏ではパチパチと火が燃えていた。
 茅葺を維持するためにこうして煙をたてているのだろう。家の中は薄暗く、外にくらべればかなり涼しい。お陰で火があっても、暑さを覚えることはなかった。

 「ありゃ随分、昔の話だけどねぇ。子供の頃には婆さんに何度も聞かされたもんだ」

 ボランティアで働いているという武藤は、齢80歳になるという男性だった。
 以前は農業を営んでいたそうで、よく日焼けした肌と刻まれた深い皺がそのことを雄弁に語っている。

 「当時は遠足登山っていうのが随分と流行っていたらしい。今じゃ考えられないくらい厳しいコースも登って行ったって話だ。まぁ、当時の子供たちは元から山ん中を走り回って遊んでいたから、今とは体力も違ったんだろうけどねぇ。
 この地域でも、遠足登山をしよっていう話になって、それで白刃の矢がたったのがあの姥山だった。一部の連中は反対したらしいけどね。あそこにゃ山姥がいるってね。けど教師たちは『そんなもんはいないと』一蹴した。それにほとんどの親たちは、集団で行く分には恐ろしいことは何もないだろうと思ってた。山には道もあったし、近くのもん達はよく山菜なんかを採りに入ってた。大人たちにとっちゃ、恐ろしい場所でもなんでもなかったんだ」

 福部と里穂子は、囲炉裏を囲んで床の上に敷かれた座布団に座っていた。
 老人の声は穏やかだったが、高い天井によく響く。

 「登り始めたころはいい天気だったそうだ。だが、悪いことに尾根に入ったあたりで急変した。突風がふいて、雹混じりの雨が降ってきた。子供たちはあっという間に寒さで動けなくなっちまった。こりゃまずいとなったところで、たまたま山小屋を見つけたんだそうだ。
 教師と生徒たちはあわてて山小屋に避難した。生徒たちの何人か寒さで凍えてかなり危険な状態だった。だから教師たちとまだ体力が残っていた年長の生徒たちは天候が落ち着くと、凍える生徒たちを山小屋に残して急いで下山していった。早いところ救助隊を呼ばないとと、そう思ったそうだ。
 村の方でも雨が降ったのは分かってたから、皆が心配して待っていた。そこへ慌てて教師たちが戻ってきて、すぐに救助隊が結成された。急がないと夕暮れが迫ってくる。村の若い男衆が急いで山小屋に向かっていった」

 そこまで話すと、老人は大きく息を吐いた。

 「だが、……子供たちは見つからなかった。子供たちどころか、避難した筈の山小屋さえ見つからない。そんな筈はないとあちこち探し回ったものの、ついぞ手がかりは掴めなかった。
 その次の日はもっと大規模な捜索隊が山に入って探したけれど、子供たちは見つからない。
 まるで山に食われちまったみたいに、15人の子供たちがいなくなった。
 やはり姥山には山姥がいる。だからあの山には入っちゃいけねぇ。私も子供の頃は随分と婆さんに脅されたもんだ」
 「そんな事があったなんて」

 15人の子供たちがいなくなった。手がかりは何もなく遺体すら見つからない。
 残された家族たちはさぞ辛い思いをしたのだろう。

 「それで、その時に慰霊碑が建てられたということですか?」
 「いんや。慰霊碑が建ったのは事故があってから10年以上たってかららしい。村の子供らが何人かいなくなって、それでこりゃ山でいなくなった子供らが寂しがってるんじゃないかっていう話になった」
 「なるほど。今はその慰霊碑はどこにいってしまったんでしょうか」
 「姥山の神社が土砂崩れにあった時に流れちまったって聞いてるよ。大岩は新しい神社に移ったけど、慰霊碑はそのままになった。もう古い話だから知ってるもんも少ないからってな」
 「でも、その、……未だに、時々子供がいなくなっていますよね?」

 里穂子は慎重に切り出した。

 「そうさね。山姥に攫われたとも、子供らが寂しがってるとも、皆好き勝手に言ってるね」
 「そうですね……」

 どうしたものかと里穂子は考えこむ。
 あまりにも突飛なことを聞いてしまえば、それ以上話す機会を失うだろう。けれどまだ今一つ情報が噛み合わない。

 「ええと、その、土砂崩れ起こる前は、姥山の神社はもっと山側にあったんですか?」
 「ああそうだよ。ちょうど老人ホームが建ってるあたりが神社だった。大岩もあの辺りに祀られててね。子供の頃にはあの大岩より奥に入っちゃあかんとよく言われたもんだよ」
 「大岩の奥へ?」
 「ああ。あの大岩が山姥を封じてるって話だったからね。だからそれ以上奥に入ったら危ないっていう話だ」
 「だとすると、今はその大岩が随分と街側に移動してますよね。という事は、入っちゃいけない場所が前より広くなってるって事でしょうか」
 
 里穂子の問いに老人は乾いた音で笑い声をあげる。

 「お嬢ちゃんは山姥がいると信じてるのかい?」
 「いえ、その、……」
 「まぁ確かに、大岩よりあっちはよくない事ばかり起こってる。そう思われるのも無理はない」
 「……そうですね」

 里穂子が黙り込むと、今度は福部が口を開いた。

 「行方不明になった子供が見つかったという話はないんでしょうか?」
 「……一度だけあるにはあったけどねぇ」
 「本当ですか? 一体、どこで見つかったんですか?」

 前のめりになる福部に、老人は暗い表情だ。

 「見つかりはしたが、助からなかった。病院に運ばれて、結局亡くなったらしい」
 「でも見つかったことがあるんですよね。どこにいたんですか?」
 「詳しい場所は分からんよ。昔は、当事者の婆さんが時折ここに顔を見せてたから、何度か話したことがあるってだけだ。山菜とりに入ってたまたま見つけたって言ってたっけなぁ。場所を知りたいってなら本人に聞くといい。ただ、私が言うのもなんだけど、相手はもうかなりの婆さんだ。90歳をとっくに超えてるんじゃないか。だからどこまで覚えてるかは保証出来ないけどな」
 「分かりました。ご本人に聞いてみます。どこに住んでいらっしゃるんでしょうか?」
 「さっき話した老人ホームだよ。事務の矢部さんなんかはたまに会いに行ってるらしいけどね。長生きしすぎて子供の方が先に逝っちまって誰も面会も来ないって寂しがってるって話だよ。赤の他人でも会いに行けば喜ぶんじゃないか?」
 「ありがとうございます」

 福部は頭を下げると、立ち上がった。里穂子も会釈をして立ち上がる。
 次の目的地は決定した。問題は面会が出来るかどうかだろう。
 古民家を出て足早に駐車場へ向かう福部を、里穂子も小走りで追いかける。

 「あの、今から老人ホームに向かうんですよね。それで、……その前に、ええと、……同僚の方は、大丈夫でしょうか?」
 「あまり大丈夫じゃないだろうな。落ち込んでて、電話にも出ない」
 「いえ、その、それだけじゃなくて」

 里穂子が口ごもって足を止めると、福部も歩みを止めて振り返る。

 「……あの土地では、同じことが繰り返されて来てます。子供が行方不明になって、その後も何度もいなくなってる。それに、子供がいなくなった後に殺人事件が起こって、それも繰り返されてるんです。まるで、染み付いた悪いものに、取り憑かれたみたいに。だから、……」
 「子供がいなくなった筒井も、同じようにおかしな行動に出るかもしれない?」

 里穂子は遠慮がちに頷いた。
 姉の隣家の坂本家は恐らくそうだった。そして、姉の夫も。
 子供がいなくなった訳ではないけれど、あの幻影が本当にあった事ならば、風呂場で誰かを解体していたということだ。それは今までの事件と、恐ろしいほどの酷似する。
 あの時の和彦は里穂子が誰だか分かっていないかのようだった。
 そう、まるで、何かに取り憑かれてしまったかのように。

 「そうだな。……まぁ、大丈夫なんじゃないか。本人がここにいるなら、おかしな事は起こらないだろう」
 「え?」

 福部は駐車場に視線を向けた。
 そこには20代と思われる男が一人立っている。ひどく憔悴した表情で、だが目だけはぎらつくように光っている。まるで手負いの獣のようだった。

 「彼が?」
 「ああ、そうだ。……筒井!」

 福部が声をあげると、筒井もはっとした様子で顔をあげる。
 そして、姿を認めると小走りで駆け寄ってきた。

 「福部さんッ! ようやく見つけました。局に電話したら、ここに来てるって聞いて。それで車を見つけたから」
 「ああ。家にいなくて良かったのか」
 「和美の両親が来てくれたんで大丈夫っす。むしろあそこにいたら、気が狂いそうで。だから、自分も連れていって下さい」

 福部は、里穂子の意思を確認するようにふり返る。里穂子は小さく一つ頷いた。

 「分かった。一緒に行こう。次は山際の老人ホームだ。そこにいる婆さんが行方不明になった子供を見つけたことがあるらしい。急ぐぞ。あとは、時間との勝負だ」

いいなと思ったら応援しよう!