
毒吐き板 腹黒男⑨
こんにちは。このたびはご愁傷様でした。心よりお悔やみを申し上げます。
そんな忙しい時期に呼び出してしまって悪かったね。
だったら早く話を終わらせろ? そうだね、では早速本題に入ろうか。
ネットの掲示板には実に多種多様なスレッドがある。様々なニーズに応じて場所を選んで、相談をしたり愚痴を書き込んだり、あるいは誰かの書き込みに対して返信をしたり。見ず知らずの不特定多数の人間との繋がりっていうのは、リアルな人間関係よりも気楽でいいからね。
さて、今から話すのはとある掲示板への書き込みに関してなんだ。
そこはまぁ、いわゆる愚痴を中心とした毒吐き板といったところかな。二か月ほど前にとある主婦からの書き込みがあったんだ。
なんでもその主婦は、夫の母親、つまり姑の介護に疲れ切っているらしい。
朝から晩まで、果ては真夜中も何度も起こされボロボロになって献身的な介護を続けているけれど、二人の子供たちは自分を家政婦のようにしか思っていない。介護で疲れきっているのに気遣う言葉はおろか、食事も不味いと言って残すし、ちょっとした家事を手伝うそぶりすらない。
夫にいたっては自分の母親を妻に任せきりにしながら、会社の同僚と浮気中だそうだ。
最初のうちは苦境を訴えていた彼女は、誰一人として理解者が得られない状況に疲弊し、やがてすっかり諦めてしまう。文句を言っても仕方ない。頑張っていればいつか気付いて貰える日が来るはずだ。
しかしそんな彼女にさらなる不幸が襲い掛かる。
あまりにも疲労感が抜けないため念のために検診に行ったところ、癌だということが判明するんだ。しかもステージは4、残された時間はあまりない。
自分は誰にも愛されないまま一生終えるのか、そんな悲痛な叫びは多くの人たちの心に響いた。そしてたくさんの同情が寄せられた。
そんな家族は見捨てて最後は自分自身のために過ごすべきだ。
ぜんぶ投げ出して旅行にでもいったらどうか。
夫や子供たちにあなたの苦労を味わわせてやればいい。
いやはやその通りだと思うよ。
あまりにも酷い話だ。介護をたった一人に押し付けるのは精神的にも肉体的にも負担が大きい。それが、関係が良好とは言い難い姑の面倒となればなおのことだ。
介護を任せきりにした時点で家事はあるていど分担するべきだろう。子供二人はもう高校生だというから、洗い物や洗濯物の手伝いは十分できるだろう。
そして、夫に関して言えば家族をもった時点で別の異性と肉体関係を築くのはいかなる状況であろうとNGだ。
まぁ、でもね、例えどんな話でも視点をかえるとガラっと印象が変わってしまうことがある。
あなたもこんな経験がないかな。ネットで流れてきた苦境を訴える記事。「ある日突然に立ち退きを要求された」とか「見知らぬ人が庭に踏み込んできて梅の木を切っていった」だとか。
こういった話は一気に拡散され、あとから意外な事実が出てくることがある。場合によって、被害者と加害者が反転してしまうような驚くべき事情が判明することもあったりするね。
仕方ないことだ。人は悪意がなくとも嘘をついてしまうことがある。あるいは、その人の視点にとってはそれが真実であったり、またあるいは、嘘と言わずとも「あえて書かなかった出来事」こそが事件の本質を覆すものだったりね。
おっと、怒らないでほしいな。
俺はただ、別の視点からの情報を追加したいだけなんだよ。回りくどい切り出し方をした事に関しては、そうだねその通りだった。
とある主婦の書き込みとは、まさしくあなたの書き込みの話だ。
その上で、あなたも別視点からの情報を知りたいんじゃないかなと思ったんだ。あなた自身の人生の話だ、興味がないなんてことはないだろう?
さて、それじゃあどこから話そうか。
そうだね、子供たちの話からにしよう。
高校生の子供二人はあなたのことを家政婦のように扱ってくる。
さて、ここでいう家政婦という言葉はいったいどういう意図で使われているのか。
あなたの書き込みから推測するに「必要最低限の会話しかせず、家事労働をするためだけの存在だと思われている」ということであってるかな?
うんうん、いいね。一つずつ認識をあわせていくのは重要なプロセスだ。
それじゃあなぜ、二人の子供たちがあなたと必要最低限の会話しかしないかに関してだけど、この理由を考えたことはあるかな?
自分は親として愛情をこめて接してきたけれど、いつの間にかそうなっていた、と。
なるほど、実に興味深いな。
愛情という言葉がいかに曖昧な定義で成り立っているかがよく分かる。
俺はね、この理由に関して多少なりとも知っていてね。もちろんそれは伝聞に過ぎないし、さっき言ったように物語というのは語り手によって変わってしまう。俺が聞いた話もどこまでが真実かどうかの保証はない。
それでも、これは彼らにとって真実の物語だから耳にいれる価値があると思うよ。
あなたには高校三年生の娘さんと、高校一年生の息子さんがいる。
娘さんは家事の手伝いを申し出たことが何度もあるそうだ。そして実際、手伝いをしたこともある。
ただ、洗いものをするにしても洗濯物をたたむにしても「一方的なルール」を押し付けられて辛かったそうだ。
茶碗を洗う順番が決められていて、食器とガラスのコップ、弁当箱はそれぞれ別のタオルで拭くことになっている。少しでも茶渋が残っていると、例え勉強中でも台所まで呼び出されて「ここにまだ何か残っているように見えるけど、私の目が悪くなったのかしら?」と言われたそうだ。そして、茶渋が残っていることを認めるとすべての食器の洗い直しをさせられる。
洗濯物にしてもたたみ方のルールが決まっている。まぁそこについてはご家庭の収納事情なんかもあるだろうけどね。ちょっとでも曲がっていると「嫁の貰い手がいない」と大仰になげいたらしいね。
そういった経緯の積み重ねで彼女は家事手伝いをしなくなってしまったそうだ。
けれど、自分で使った分の食器は自分で洗っているし、洗濯物も自身の分は部屋に持ち帰っているらしい。
ちなみに高校一年生の息子さんに関しては、手伝いを申し出た際に「こういうことは女の仕事だからアンタはやらなくていい」と断ったと聞いているよ。
ここまでがあなたのお子さんたちが家事の手代いをしなくなってしまった経緯に関してだ。
さてそれじゃあ、「必要最低限の会話しかしない」件に関してだけれどもね。
娘さんは、色々と思うところはありながらも、なんとか良好な関係を築く努力をしていたそうだ。
だがそれが決定的に壊れてしまう事件があった。
娘さんが高校二年生だったころの話だ。彼女は満員電車の中で痴漢にあった。スカートを汚されてしまったんだよ。その汚れというのは口に出すのは憚られるものだ。
彼女は泣きながら帰ってきて、あなたにことの次第を説明した。
そこであなたの返した言葉を覚えてるかな?
「それは本当の話なの? 痴漢冤罪って多いって話じゃない? もしかしてアンタも小遣い欲しさにやってるんじゃないでしょうね?」と。
その瞬間、彼女はすーっと何かが冷めていくのを感じたそうだ。
それ以前も似たようなことが何度もあった。近所の男子に揶揄われた時には「アンタはガキの癖に男を見るとすぐに色目を使うからよ」と言ったり、かと思えば近所に変質者が出て怖いと訴えた時に「相手だって選んで襲うんだから何もアンタみたいな可愛げのないガキに手を出さないわよ」とあざ笑った。
うん? どうしたんだい?
間違ったことは言ってない。実際、痴漢冤罪があったら困ると思ったから言っただけ。可能性としてゼロじゃない、と。
色目を使うという話も自分の目にはそう見えたから言っただけ。悪気はない、と。
俺が思うにね、悪気があったかどうかなんて、相手にとってみれば何の価値もないんだ。
人間関係において大事なのは思いやりというだろ? ああ、ははは、安心して欲しい。俺はちゃんと自覚して「悪気」があるよ。その上で使う相手を区別しているんだ。
俺のことはいいじゃないか。あなたの家族の話をしよう。
次は息子さんについてだけれども、彼はあなたが強いてくるテンプレ的な男性像に耐えかねていたようだ。
洋服やスニーカーで青や黒以外の色を選ぼうとすると「オカマみたい」と言ったそうだね。デパートの売り場で「僕ちゃんぴんくが欲しいでしゅー」と身体をくねくねさせながらからかった。
彼にとってはちょっとしたトラウマになるような事件だったそうだ。
それ以来、彼はできるだけ「男らしく」できるように心がけた。
でもあなたは、ほんの少しの綻びも見逃さなかった。野球クラブの試合で負けて泣いた時には「女々しい姿なんて見たくない」と玄関の外に追い出し、学校帰りに女の子たちと歩いているのを目撃されれば、夕飯の間中からかわれた。
そして彼が女友達をさけはじめると、今度は同性愛者なのかと問いただした。友達と釣り堀に行くと言ったら「カマ掘りの間違いじゃないの?」と笑ったんだって?
……まぁまぁ落ち着いて欲しい。あなた自身が言った言葉にどうしてあなたが怒るのか理解できないよ。
それが正しいと思ったから、まったくの悪意なく「親の愛情」として言ったんだろう?
まぁ確かに性に対しての偏見はいまだ根強い。だがそれは個性であって、修正すべき問題じゃないはずだ。
親として子供ができるだけ苦労するところは見たくない、って?
確かに偽りに逃げることは時として楽でもあるね。それでも、あなたの偏見を「親としての愛情」だと言い切るのはあまりにも傲慢なんじゃないかな?
それは愛情じゃなく、世間体を示しているように聞こえるしね。
さてここまでがあなたが子供たちから「必要最低限の会話しかせず、家事労働をするためだけの存在だと思われている」事に関しての別視点のお話だよ。
誰から聞いたんだって?
あなたの旦那さんからだよ。子供たちはあなたには話せないことも旦那さんには話せていたようだね。
どうだろうか。ちょっとばかり違う印象の話になったんじゃないかな。
どうしたんだい? 顔色が悪いね。そういえば余命僅かなんだっけ?
それなら残された人生を謳歌するために美味しいものを食べないとね。ここのタルトは最高に美味しいんだよ。クリスマス限定タルトは今の二週間しか食べられないんだ。
一見すると普通のイチゴタルトに見えるけどね。クリームにはアーモンドと柚子が混ざっていて、とても香りがいいんだ。イチゴも赤いイチゴと白いイチゴの二色でとても繊細な見た目になっている。
楽しい会話に美味しいタルト。実に充実した時間だって思わないかい?
それじゃあ今度は介護が必要なお姑さんの話をしようか。
これに関してはおおむねあなたの言い分通りのようだね。気難しい上に病気のせいもあって、常に暴言をはいてくる。夜間もなんども家族を叩き起こしてとても苦労している、と。
なるほど、これはなかなか辛そうだ。
ただ不思議なのは、この件に関してはかなり前から介護施設に預けようという話をしているのに、あなたが断り続けているという点だね。
ああ、いや、これはちょっと正確さにかける表現だった。
介護施設に預けるためには、あなたが専業主婦をやめて勤める必要がある。今のご時世じゃ旦那さん一人の給料で子供二人を養うのだって精一杯だ。そこに加えて介護施設ともなれば、お金はますます足りなくなる。お姑さんの年齢を考えると、自己負担の少ない施設にいれるのは難しいらしいからね。
そこであなたが勤めるか、家でこのまま介護を続けるかという二つの選択肢が出来た訳だけれども、あなたは介護を続けることを選んだわけだ。
自分が勤めたら誰も家事ができないから、家の中が滅茶苦茶になる?
それは諸説ありそうな話だから、部外者の俺はコメントしないでおこうかな。
だが少なくともあなたは、選択肢があったことを掲示板には一言も書かなかった。うっかりしていたのか、それとも選択肢があることに触れたら同情票が減ってしまうという自覚があったのか。
どのみちこの問題は予想外な結末をもって解決することになる。
なんと姑がベッドから転落し後頭部を強打したことによって亡くなられたらしいね。
別に疑ってなんかいないさ。ベッドから落下するなんてよくある事故だろう?
強いて気になる部分があるとすれば、あなたが掲示板に姑が亡くなったと書いたのが、実際に姑が亡くなる数日前だったってことくらいかな。
おやおや、睨まないで欲しいね。言っただろう? そんなのはよくある事故だって。
あるいは不特定多数がいる場所に書き込んだことによって「呪い」として機能したのかもしれないね。
さてと、ようやくこれで最後だ。あなたの旦那さんが浮気をしていたという話に関して。
端的にいって、浮気をしていたというのはあなたの思い込みだ。あなたは日ごろから被害者意識が強かった。子供たちにしでかした事を全て忘れて、自分への仕打ちだけを不幸だと感じているくらいだからね。
掲示板の書き込みによると、あなたは旦那さんのご両親のもとに訪れ、浮気相手との会合の写真を見せつけた。そして非を認めさせたそうだね。
だが実際には写真の相手は姑のケアマネジャーだった。無事に誤解が解けた訳だけれど、あなたはなかなか認めなかった。恥をかかされたと感じたのかな?
ともかく浮気はなかった。
見つからないところで浮気していた可能性はある?
確かにそうだね。可能性はあるさ。
ただ、悪い方向での可能性を疑うというなら、それはあなたにとっても良い話じゃないと思うよ。疑惑の芽はいくらでもある。例えば、介護ベッドの柵が偶然にも外れていた理由に関してとかね。
これは俺の意見だけど、彼は、あなたの夫は浮気をするようなタイプじゃなかったよ。
彼はとことんことなかれ主義だった。あなたの機嫌を損ねることを恐れて何事も強く言い出せなかったし、子供たちが苦境を訴えても「お母さんは悪い人じゃないから」と言ってごまかした。
とにかくもめ事を避けて通ることに必死だった。まぁそうだね。魔が差すことはあるかも知れないけれど、少なくとも現状、彼が浮気をしていた形跡は見つからない。
なんで俺が人様の家族のことに首を突っ込むのかって?
それは彼が……あなたの旦那さんが最後に会っていた相手が俺だからだよ。
俺はね、彼から相談を受けていたんだ。あなたが掲示板に書き込んでいる内容に関してね。
人のプライベートを覗き見るなんて夫であってもするべきじゃない?
まぁそうだね。ただ、夫婦の共有パソコンがプライベートなスペースであるかどうかは疑問の余地が残るよ。
アカウントを分けずにログインしていたというのも、今のご時世ではちょっと信じられない話だしね。何事もそうだけれど、自分の場所を守るためにはある程度の努力と知識が必要なんだ。
さておき、共有パソコンであなたが書き込みをしていた内容は旦那さんに筒抜けだった。
いや、筒抜けになったというべきかな。
彼もつい最近になって気が付いて、慌てて俺に相談をしてきたからね。
彼は可哀そうなくらい動揺していた。とくにあなたが余命いくばくもないことに悲しんでいた。
だが同時に、書き込まれている内容があまりにも偏っていることにも動揺していた。姑の死期が実際と掲示板の書き込みではずれていた点なんかもね。
だが何よりもあなたの病状に関して心配していた。
彼はね、たいそう泥酔しながら涙ながらに語ったよ。
「家に帰ったら嫁としっかり話し合って今後のことを決める」とね。
あれほど面倒を嫌う男が今度こそちゃんと現実と向き合うことを決めたんだ。なかなかに感動的な場面だったよ。
ところが、彼と次に会ったのは葬儀場の黒縁に納められた写真の中だった。
酔っぱらって帰った彼は玄関で熟睡。ドアを締め忘れていたことで12月の寒風に一晩中晒され続けて凍死してしまった。
これもさして珍しいことではない。国内における凍死者は毎年1000件以上発生しているし、その発見場所は家または庭が圧倒的に多いんだ。凍死にいたるデッドラインは体温が35度以下になることだから、これは場合によって夏場ですらありえる。
寒い場所で、さらにたっぷりと飲酒した状態で寝るのは極めて危険なんだ。飲酒は毛細血管を拡げる効果があるから、より迅速に身体を冷やしてしまうし、正常な判断力を奪い取る。さらに、寒さに気付かずに眠ってしまうという状態もより危険度を加速させる。
そう、だから、ただの偶然だろう?
たまたま彼があなたに対して、掲示板に書き込んだ内容の是非を問いただそうとした日に凍死した。
これはたまたま起こった出来事なんだろうさ。
安心して欲しい。俺はあなたを弾劾するつもりはないし、裁く権利も持ち合わせていないさ。
こういう事はプロに任せるに限るからね。掲示板の話は警察に知らせておいたよ。あとは彼らがどう判断するかだね。
ああ、忘れるところだった。
末期がんの話はどうなったんだい?
子供たちの話だと、あなたが病院に通っている様子はないそうだし、たびたび家の中でしゃがみこんでいる姿も見たことがないらしいね。
おやおや、顔色が悪いね。どうしたのかな?
急速に胃のあたりが痛くなってきている気がする?
それは急性の胃腸炎じゃないかな。
あるいは掲示板に何度も何度も書き込んだことで、あなたがあなた自身に呪いをかけてしまったのか。
もしくは、あなたの隣に座っている旦那さんが恨めし気な顔でずっと腹のあたりを撫でまわしているからね。その影響かもしれない。
いいじゃないか。あなたはようやく悲劇のヒロインになれるんだ。
もっとも、あなたが主役の舞台には、もう他に誰もいないかもしれないけれどね。