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地縛霊の作り方 腹黒男⑪

 君は地縛霊の作り方を知ってるかい?
 いや、実はね、俺の知り合いがおかしな事を言い出したんだ。
 「自分は地縛霊を作り出してしまったんだ」ってね。

 さて、どこから話そうかな。
 昔々とあるところに、妻を誰よりも愛している男がいました。
 ……こんな感じではじめてみようか。
 いや昔々の話ではないけれどね。そこはまぁ大目に見て欲しい。



 さて、この愛妻家の男を仮にKとしよう。
 Kとその奥さんは勿論のこと恋愛結婚だった。
 出会いは高校時代だったと聞いているよ。
 ただ、その頃にKは高校3年生、奥さんの方は1年生だったからあまり接点はなかった。
 そこでの接点はなかったのだけれども、2人は同じ会社に務めることになったんだ。
 そして飲みの席で出身校が同じという事が分かって意気投合した。
 2人は順調に交際を重ね、結婚に至ったという訳だ。

 Kは昔から霊感があったらしい。
 思春期に入ったあたりからたびたび霊現象に悩まされてきたと言ってたよ。
 お祓いなんかも試したらしいけれど効果がなかった。
 でも、奥さんと結婚してからしばらくは霊の気配を感じなくなったそうだ。
 「幸せな家族は悪霊も寄せ付けないんだ」なんて。惚気話を聞かされたっけ。

 そんな彼の幸せもそう長くは続かなかった。
 結婚を機に購入した一軒家がどうにも呪われていたらしいんだ。
 ふとした瞬間に視線を感じたり、誰もいない筈の部屋から物音がしたり。
 そういった現象は奥さんも感じ取っていたそうで、2人とも神経質になっていた。
 奥さんはかなり参っていたようで、Kは引っ越しをする事も検討しはじめた。
 けれどそんな矢先、悲しい事件が起こる。

 ……Kの奥さんが橋から身を投げて死んでしまったんだ。
 遺体は随分と下流で見つかったらしくて、状態もあまり良くなかった。
 Kは半狂乱になってしまって、それはそれは見ていられない有様だったよ。

 その後のKはまるで抜け殻だった。
 何故生きているか分からない。
 かと言って死のうと思うほどの気力もない。
 いや、ほとんど死んでしまっていた。まるで生けるしかばねのようだった。

 ところがそんなKの様子がある時から変わり始めた。
 奥さんが亡くなってから半年くらい経った頃のことだったかな。
 以前ほどではないけれど、目に見えて生気が戻ってきた。
 食事もちゃんと食べるようになったし、身だしなみにも気を遣うようになった。
 彼と親しくしていた人たちはその様子にほっと胸を撫でおろした。
 それと同時に、いささか奇妙にも感じていた。
 一体なぜ、彼が生きる気力を取り戻したんだろうか、ってね。

 彼は傍目から見ていても滅多にないくらいの愛妻家だった。
 まさかたった半年で奥さんの事を断ち切れるはずもないだろう。
 新しい運命の人を見つけたにしても流石に早すぎる。

 そこで俺たちは彼を呼び出した。
 ただ問い詰めたって聞き出せないだろうから酒を飲ませた。
 そうしたらね、程よく酔っぱらったところで、彼はふいに泣き出した。
 そしてこう言ったんだよ。

 「僕は地縛霊を作り出してしまった」とね。



 おっと、ちょうどいい所で季節のタルトが運ばれてきたね。
 話は一時中断して、まずはタルトを味わうとしようか。
 君も今のうちに食べておいた方がいいんじゃないかな。
 俺の話を聞くと美味しい料理も不味くなると評判なもんでね。

 うん、実に美味しいね。
 かぼちゃの甘みに加えて、キャラメリゼされた表面の食感がとてもいい。
 中に入ってるピーカンナッツも程よいアクセントだ。
 そろそろハロウィンの季節だからかな。
 お化け型のメレンゲも何とも愛らしいじゃないか。
 今の話にもぴったりな装飾だと思わないかい?

 はいはい、分かったよ。話の続きをしよう。
 でも紅茶を一口飲んでからでもいいかな。
 ……今日のタルトだったら珈琲でも良かったかもしれないね。
 俺はコーヒーを単体で飲むならばローストはしっかり目が好きなんだけどね。
 デザートとあわせるなら、やや軽めにした方が味わいが生きると思うんだ。
 今日のタルトだったらハワイコナの、……分かった、分かったって、続きを話すよ。



 地縛霊を作り出してしまったとは一体どういうことなのか。
 
 それは突然のことだったらしい。
 その日、Kはいつもよりも早く帰宅した。
 県外の営業所に行くことになって、そこから直帰したそうだ。
 思いのほか早く家についた彼は、帰宅すると真っ直ぐにキッチンに向かった。
 そうしたらね、そこに彼の最愛の人がいたんだ。

 彼女は背中を向けて、食器棚に皿をしまおうとしていた。
 傾きかけたオレンジ色の日差しが彼女の横顔に降り注いで、無造作にまとめた髪はきらきら輝いて見えた。
 細く白い手首。後れ毛が絡んだうなじ。
 彼女のお気に入りだったパステルブルーのカーディガン。
 幾度も、幾度も夢に見た光景がそこにあった。
 Kは思わず叫びそうになった。
 「なぜ、君がそこにいるんだ。だって君は、……ッ!」と、そう言いかけて飲み込んだ。
 駄目だ。それを言ったらいけない。
 Kは直感的に悟ったらしい。
 彼女の姿があまりにも自然だったから。
 日常のワンシーンのままだったから。
 きっと彼女は自分が死んだことに気付いていない。
 なら、気付かせてしまっては駄目だ。
 彼女に自分が死んでいる事を自覚させたら、跡形もなく消えてしまうに違いない。

 彼は大きく息を吸い込んだ。
 そして出来る限り不自然にならないように声を出した。
 「ただいま」と、そう声をかけて背後からゆっくりと奥さんを抱きしめた。
 彼女は一度驚いたように身を震わせたけれど、小さな声で「おかえりなさい」と返したそうだ。

 それからも奥さんは時折現れるようになった。
 Kはそのたびに彼女がそこにいる事が当たり前のように振る舞った。
 それが彼女を縛り付ける行為だと分かっていてもやめられなかった。
 成仏なんてさせたくない。
 例え間違った在り方でも構わない。
 彼女のいない世界でなんて生きられない。
 Kは何度も何度も奥さんの幽霊に語り掛け、死者であることを決して悟られまいとした。
 ……その結果、奥さんは地縛霊になってしまったそうだ。

 Kは最初のうちはそのことをとても喜んでいた。
 これでもう彼女と離れないですむ。ずっと一緒に暮らしていける。
 でもある時から不安にもなりはじめた。
 もし自分に何か良くないことが起こったら。
 突然の事故、あるいは病を得て死んでしまう事になったら。
 地縛霊になった彼女は一体どうなってしまうんだろう。
 彼女を心から愛するあまり、この世に縛り付けてしまったのだ。
 けれどもし自分がいなくなってしまったら、彼女はいつまであの場所にいるんだろうか。
 そう思うと悲しくて、そして恐ろしくて仕方ない。
 それでも彼女を解放するなんて出来やしない。
 ああ、僕はなんて弱い人間なんだ。
 そんな風に嘆いて、子供みたいに泣いたんだ。



 さて、君はこの話をどう思うかな。
 ここまでだったならば、純愛だと語ることも出来るだろう。
 けれどね、困ったことにこの話にはいくつかの矛盾点が存在するんだ。

 その1、Kは自身に霊感があると思っているが、それは全くの勘違いであること。
 その2、Kの奥さんの地縛霊である筈の君が、実際には生きた人間であること。

 どうしたものだろうか。
 こうなると、純愛ストーリーとはいかなくなってくる。
 どちらかと言えばサスペンスになるのかな?



 それじゃあこの矛盾点を解決していこう。
 まずは答えが明解な方からいってみようか。
 そう、君の正体に関してだ。
 君はKと高校時代の同期だね。そして少し前までは同じ会社の同僚でもあった。
 恋の始まりは高校生の頃からであってるかい?
 ああ、それよりも前なのか。
 学習塾で一目惚れをして、わざと同じ高校を受験した。熱心なことだね。
 ところで君のような人を世間一般ではどう呼ぶか知ってるかい?
 知らない? 覚えがない?
 わざわざ食ってかかるところを見るとちゃんと自覚はあるみたいだね。
 そうだよ、君は微塵の疑いもなく「ストーカー」だ。
 あいにくとKには一切認知されていなかったみたいだけれどもね。
 いや、Kにとって君の行動は「怪奇現象」だと捕らえられていた。
 誰もいない筈なのにじっとりと貼りつくような視線を感じたり、置いておいた筈のものがなくなったり。
 可哀そうに。
 君は最初っからKにとっては幽霊だったという訳だ。
 歯牙にもかけられないどころか認知すらされていなかっただなんて少しばかり同情するよ。
 同僚として目には入っていただろうけれど、彼の人生にとっての君はNPCのようなものだったという訳だ。

 それでも君はずっと彼のストーカーだった。
 同じ高校に通って、さらに同じ会社に就職した。
 素晴らしいほどの熱意と努力だ。
 そんな君にとって、Kが結婚するなんて、あまりにも許しがたい事だっただろうね。
 とはいえ、認知すらあやふやな君が愛し合う2人の間に入り込む余地はどこにもない。
 それでも君はなんとか入りこもうとしてたんだろう。
 例えば、Kの家に忍び込んだり、盗聴器を仕掛けたり、そんな事をしていたんじゃないかな?
 でも、君が得られたものは、2人の蜜月の記録だけだ。
 そこで諦めがつけばまだ良かったんだろうけれどね。
 君にとってKを追い続けることは人生の一部、いや、全てだったんだろう。

 そんな君に転機が訪れた。
 そう、Kの奥さんが自殺してしまったんだ。
 こうして君はKにつけ入る機会を得た訳だけれども、やはりKは君の事を見向きもしなかった。
 会社で話し掛けたり、さりげなく差し入れをしてもほとんど反応すら示さなかった。
 それでも君はめげなかった。
 彼の家に入り込んだのは魔が差したのか、あるいはすでに何度も忍び込んでいる所をたまたま見つかってしまったのか。
 Kの奥さんになりたかった君は髪型や服装、それに化粧なんかも彼女に似せていた。
 もしかして整形もしてるのかな?
 Kは気付いていなかったらしいけれど、君の会社ではけっこう噂になっていたそうだね。
 ともあれ、ギリギリの精神状態だったKが、君と奥さんとを見間違ってしまう程度には完成度が高かった。
 どんな気持ちだったかな。
 恋焦がれた彼に抱きしめられながら、最も憎んだ女の名を囁かれるのは。
 地縛霊を作ってしまったというKの言葉はあながち嘘でもなかったかもしれないね。
 君は認知すらあやふやな浮遊霊から、地縛霊に変わってしまったんだから。

 さてここで気になって来るのがKの奥さんの死因に関してだ。
 彼女は橋の欄干から飛び降り自殺をしたという事になっているね。
 でもこれは本当だろうか。
 もしかして、彼女に対して悪意を持つ誰かによって突き落とされたんじゃなかろうか。
 まぁこれに関しては何の証拠もないからね。
 君が彼女を害したと証明する手段はない。

 私がやったんじゃない。
 あれは天罰だ。
 誰よりも純粋に彼を愛していた私から、あの女が無理矢理奪っていったんだ、……か。

 いや、……はははは。
 ああ、申し訳なかったね。君が語る愛情とやらがあまりにも面白かったものだから。
 そもそも君の言う「愛情」とやらは一体どんなものなんだい?
 彼のことを愛していました。それは分かる。
 でも君は彼から愛されることも望んでいた。
 彼が愛しているものを無視して、自分自身が愛される事を望んだんだ。
 それを「愛情」と一括りにするのはあまりにも乱暴じゃないかい?
 だって彼は君の事をこれっぽっちも愛していなかったんだ。
 彼のアイデンティティを無視して自分の理想を押し付けて妄想することの何が「愛情」なんだい?
 ただの身勝手な妄想を「愛情」と呼ぶなんて、実に安っぽいじゃないか。
 
 さておき、君はこれからどうするんだい?
 ……うん?
 質問の意味が分からない?

 ああ、つまりね、これから俺は地縛霊の正体をKに話す事になるんだけどね。
 その後、君はどうするのか気になったんだよ。
 まぁそうだね。不法侵入やストーカー罪で訴えられることはないかも知れない。
 彼自身が君を数か月間に渡って家に迎え入れてしまったという実績があるからね。
 今さらKが被害者だと訴えても主張が通るかどうかは微妙なところだ。

 でも君にとっては、罪に訴えられるかどうかよりもっと大問題だろう?
 もう、彼から愛される機会は金輪際ありはしないんだ。
 憎まれて罵倒されるかもしれない。あるいはまた無気力に戻って君をないものとしてあつかうかもしれない。
 どちらにせよ君は、君が全てをかけた相手を失うことになる。
 そうなった君がどうするのか気になったんだよ。
 そう、これは野次馬根性で、性格の悪さに起因する好奇心だ。
 君はどうするんだい?



 ああ、いけない。一つ、謎を謎のままにしておくところだった。
 Kが霊感を持っていないという話に関してだけれどね。
 あれはそもそも君のストーカー行為を霊現象だと勘違いしたことが発端なんだ。
 それにね、もし本当に霊感があるなら、君の横でずっと悲し気な顔をしている本物の奥さんの幽霊に気付かない筈がないじゃないか。

 そうだよ。彼女は君の隣に座ってる。
 Kには見えていないみたいだけれども、彼の心は今もずっと彼女のものだ。
 幽霊として扱われ、地縛霊にされた君は、彼に見えない筈の相手にすら敵わない。
 いっそ君も本物の幽霊になってみるかい?
 そうすれば彼も少しは責任を感じて君のことを思い出す時があるかも知れない。
 ああでもそうしたら、君は本当の地縛霊になってしまいそうだな。
 でもずっと彼のそばにいられるならば、それが君にとって最も幸せな道かも知れない。
 だからね、君の「純愛」の行方を心から応援するよ。
 それじゃあさようなら。
 楽しい時間をありがとうね。

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