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山の神様
母さんの実家だというその家は、とてもとても深い山の奥にあった。
引っ越しをした日のことは、今でもよく覚えている。何日か前から、いや多分、数週間前から、父さんが家に帰らなくなった。大きな声で怒鳴る男たちが家を訪れるようになり、僕も母さんもなかなか外に出られなくなった。
「いい、トモ君、これはゲームなの。外にいるおじさんたちに見つからないように荷物を纏めて駅まで辿り着いたら勝ちよ」
母さんは僕が怯えないように、精いっぱい明るく振る舞った。
でも、まだ幼かった僕でも、外にいる連中がとても怖い人たちで、僕らは夜逃げをするんだと言うことは分かっていた。
避難訓練みたいに、僕らは何度か練習した。荷物を持って、窓からそっと外に出る。僕らの住んでいたアパートは2階だったけれど、窓をあけてすぐにあるお隣さんはとても優しい人だった。
アパートとお隣さんは50センチもないくらいに近かったから、僕らは窓から窓に移動して、お隣さんの家の勝手口から外に出る。
逃げると決めていた夜の、その少し前から僕たちは少しずつ荷物をお隣さんに運び込んだ。
そうして、じとじとと雨が降る夜に、ついに僕たちは逃げ出した。
リュックを背負ってトランクを引っ張って、国道まで出れば呼んでおいたタクシーに飛び乗った。
始発を待つ間、駅の側のファミレスで過ごした時間は、今までで一番長く感じたし、ココアの味も分からないくらいに怖かった。
朝一番の新幹線に飛び乗っても、僕も母さんもしばらくは護送中の囚人のような気持ちだった。
雨雲が少しずつ薄くなり、雲の切れ間から朝日が差し込みはじめた頃、ようやく僕たちは大きく息を吐き出した。まだ目覚めたばかりの灰色の街。どこまでも続くかと思うほど広い住宅地の風景も少しずつ緑が増えていく。
車窓の景色が緑ばかりになった頃、僕はふいに寂しさと息苦しさに襲われた。
何もない街だった。大きな公園もないし、桜並木もない。海の近くでもなかったし、坂の多い街でもなかったから、印象的な景色なんて1つもない。だからきっと、僕はあの景色をいずれ忘れてしまうだろう。友達も、思い出も忘れ去ってしまうだろう。そのことを突然に思い知り、ひどく寂しくなったのだ。
僕はしばらく、きっと大人になるころまで、あの街に戻ることはないだろう。それはどうしようもないことで、僕に出来ることなんて、ただ1つもありはしなかったのだ。
新幹線を降りたあとも、家まではとても遠かった。
バスに乗り換え、しばらく海岸線を走ってから大きな川と平行した道を上流へとひたすら登っていく。山の合間を縫って走るために、とにかくトンネルが多かった。10個までトンネルを数えたところで、それ以上は数えるのを諦める。山間から見える河川はきらきらと光を反射していて綺麗だった。
初夏の山々は、緑が生えていて美しい。ここも案外と悪くないぞ、と、そんな風に思った僕は、その直後に窓から入ってきた大きな虫に悲鳴をあげることになる。
どうやらこれからの生活には、あらゆる虫と遭遇することになりそうだ。僕は、同じくらいの年頃の男の子たちのように、カブトムシやクワガタを喜ぶ子供ではなかったから、再び憂鬱な気分が押し寄せる。
その気持ちは、母さんの実家を目の前にして、ずっしりと背中を押しつぶすかと思うほど、重たいものとなったのだ。
新幹線の駅からバスに乗って3時間。川沿いの小さな村の停留所で降り立って、だらだらとした坂道をえっちらおっちら登っていく。天をつくような杉林の合間の道は、アスファルトで舗装すらされていない砂利道だ。そんな道をおおよそ15分は歩いただろうか。ようやく見えてきたその家は、築100年を超えるという古民家だ。
背後には山がそびえたち、家はひどくちっぽけに見えた。山に食べられてしまいそうだ。そんな風に思ったのだ。
がらがらと引き戸の玄関を開き、中から出てきたのは思いのほか、若い男の人だった。母さんより幾分か若いだろうか。てっきりこんな古民家だから、住んでいるのも老人だけだと思ったのだ。
「久しぶり、まあちゃん」
青年は日に焼けた顔をほころばせた。
「荷物、大変だっただろう。今日だって言ってくれれば迎えに行ったのに」
大股で歩いてきた青年が、荷物を軽々と抱え上げ、家の中に運んでいく。母さん曰く、彼はトシオさんで、母さんのはとこにあたるらしい。
母さんのお父さん、つまり僕のお爺ちゃんは7人兄弟の末っ子だ。トシオさんはその7兄弟の長男の、その息子なのだという。僕は首を傾げながら、とにかく母方の家系が大所帯なのだということだけは理解した。
こんな不便にある家だが、盆暮れになれば多くの親戚が集まってきて、とても賑やかになるそうだ。本当なら僕や母さんも里帰りで来る筈だったのだけれど、あまりにも遠いせいでなかなか来れなかったらしい。僕はなんとなく、それが遠いからだけではなく父さんのせいなのだと分かっていた。父さんは、母さんが家から離れるのを嫌がった。その癖、自分はどこかにふらふらと出かけて、数日帰らないこともよくあった。
「よろしくね、トモ君。俺のことは、トシさんとか、何だったらお兄ちゃんって呼んでくれてもいいよ。慣れないうちは何かと大変だと思うけど、困ったことがあったら何でも相談して欲しい」
トシさんのくったくのない笑顔を見て、僕は少しばかり安心した。トシさんの笑顔は、都会で見た人たちの笑顔とはまるっきり別物で、飾り気がなく、それでいて人懐っこい笑みだった。僕はトシさんが気に入った。
「よろしくお願いします、トシさん」
僕はそう言いながら、いずれは彼をお兄ちゃんと呼びたいな、だなんて考えた。
家はとにかく広かった。
十畳はあろうかという畳の部屋が何部屋もある。昼間は部屋の境の襖がすべて開け放たれ、旅館の大部屋のようだった。それらの部屋は縁側に面しているため、外の日差しが入ってくる。だと言うのに、ぞっとするほど暗い場所が存在する。
昼間でも廊下の端が驚くほどに暗かったり、押入を開けた瞬間に、飲み込まれそうな闇に驚かされる。昔は囲炉裏があったという居間は天井がとても高く、太い梁の上から誰かに見下ろされているような気持ちになる。
広い広い家だったが、住んでいるのはトシさんと、トシさんのお母さんであるフクさん。それに母さんと僕のたった4人だけだった。母さんは山1つ超えた先の町にある幼稚園を手伝いに出ていたし、トシさんは畑の面倒や配達の仕事で忙しい。そうなると、家には僕とフクさんしかいなくなる。フクさんは高齢でほとんど部屋から出て来ない。だから僕はこの広い家の中で、ほとんど一人で過ごしているようなものだった。
町に降りれば、同じくらいの年頃の子供たちがいた筈だが、彼らの遊び仲間にまじれるほど社交的ではなかったし、まず町まで降りる道が長いのだ。
幸いにして、家には本や漫画が多かった。
それらは、すっかり日焼けして、中のページも黄ばんだり、水濡れで波打ってしまっていたものの、退屈な時間を紛らわすには事足りた。かつてここで住んでいた子供たちが買い集めてきたものが、どんどん溜まっていったのだろう。古い漫画や、今では笑ってしまうほど古風な、……たとえば火星人が襲って来るようなSF小説などが多かったが、僕はだんだんとそれらの虜になっていった。
だが、いつからだろうか。この広い家にも少しずつ慣れてきた頃からか、僕はたびたび奇妙な出来事に出会うことが増えたのだ。
例えばそれは足音だ。
開け放たれた和室のすみで本を読みふけっている時に、縁側を歩く音がする。だが顔をあげても誰もいない。
ギシギシギシと板の間が軋む音をたて、確かに足音が響くのにそこには誰もいないのだ。
他にも玄関に誰かが訪ねてきた音が聞こえてきたこともある。引き戸には鐘が取り付けてあり、開けるとリンリンと音が鳴る。てっきり誰か来たのかと、玄関に向かっても誰もいない。不思議なことに、戸も閉まったままなのだ。
家に誰もいないと思って諦めて帰ってしまったのだろうか。
「開けんでええ」
戸を開けに行こうとサンダルをはいた所で、ふいに背後から声がした。
振り返ると廊下の先の暗がりにフクさんがじっと立っている。僕は驚いて、大きく息を飲み込んだ。
「開けんでええ。自分で入って来ないもんはええもんじゃなか」
フクさんはそれだけ言うと、また奥の部屋へと戻っていった。
僕は困惑して玄関の戸を眺めていた。家はところどころ改築がなされており、玄関もすりガラスで鍵がかかるものになっている。すりガラス越しにも影や色は分かるものの、はっきりと誰かいるかどうかは分からない。
その時、すりガラスに誰かが、いや、何かが顔を近づけた。
真っ黒いもの。人の形をした何かが、すりガラスにべったり顔をはりついて中を覗き込んでいる。
僕は怯え切った小動物のように固まった。それはしばらく戸に張り付いていたものの、やがてすっと消え去った。それ以来、僕は玄関の開く音がしても、戸がしまったままの時は決して開けないと決めたのだ。
他にも家には奇妙な決まり事がいくつもあった。
雨戸は夜の9時までには必ず締めて、朝まで決して開けないこと。
風呂の水をためたままにする時には、かならず蓋を閉めること。
端の部屋で過ごす時は、床の間に背をむけないこと。
玄関での一件があってから、僕はそれらのルールに大人しく従うことにした。母さんが言うには、この家はあまりにも古いせいで、家自体に魂が宿っているそうだ。
「ここはね、もうずっと古い家だから。100年よりずっと前から、何度も何度も補修や改築を繰り返してこの場所に長い間、建ってるの。この家で暮らした人はすごく大勢いるのよ。だからね、この家はその時のことを覚えていて、録画した映画を再生するみたいに、昔の出来事を呼び起こすの」
母さんは仕事に疲れて、たいていは早寝をしていたが、休日の夜などは布団に入って色々な話をしてくれる。
この辺り一帯は、昭和のはじめ、関東大震災の後の復興で大量の木を伐り出し、それを運んでいたそうだ。今でこそ廃れた山奥の村だけれども、当時は1000人を超える労働者が寝泊まりをする宿舎がたち、たいそうにぎわっていたという。
切り倒された杉の木は、山間に流れる川を使って下流へとどんどん運ばれる。山で死ぬものも川で死ぬものも多かった。だが当時の労働者たちは出生もあいまいで、死んだものは山に埋められた。
この家は、当時の林業で一財産を稼いだが、都会に出て新しい事業を始めるとことごとく失敗したそうだ。
「離れられない運命なのよ。山を丸裸にして神様を怒らせてしまったから、都会に出ても結局ここに戻ってくる。今じゃ少しはましになったけどね。トシさんも都会に出て事故にあって、それでここに戻ってきたの」
母さんは暗い顔だった。
見上げた天井は真っ暗で、そこに大きな目があって僕らを見下ろしてるような気がして、その夜はとても怖かった。
山の神様が怒っている。
それじゃあ僕たちがこの家に来たのも、山の神様に呼び寄せらえたからなのだろうか。
ギシギシっとまた廊下を歩く音がする。
僕は布団を頭まで被ると、耳をふさいでなんとか足音を閉め出した。
夏の盛りになる頃には、内気な僕にも地元の友達と遊ぶようになってきた。
きっかけはトシさんのトラックに乗せて貰って、配達を手伝ったことだった。村はあまりにも辺鄙な場所にあるせいで、宅配の車がやって来ないのだ。かわりに、日に2回、駅との間を行き来するバスが荷物を載せてくる。それをトシさんが受け取って、各家に届けて回るのだ。
何度か家を尋ねていけば、町の子供たちとも顔を合わせる機会が出来る。
村は30戸もないような場所なのだ。中学生までの子供たちは全員合わせても10人に満たないのだから、顔見知りになるのも簡単だ。遊び場所も多くない。
僕が仲良くなったのは、ヨウジ君とマサタカ君の2人だった。
朝一番にヨウジ君の家へトラックで連れていって貰って、犬の散歩がてらにマサタカ君を迎えにいく。
再びヨウジ君の家に戻ると、テレビゲームで遊んだり、裏の河原に出かけたりをして過ごしていると、いつの間にか一日が経っている。縁側に座って足をぶらぶらさせながら3人でカルピスを飲んでいると、トシさんがトラックで迎えに来る。
僕は地元の子供たちと同じように日に焼けて黒くなり、虫も前ほど怖くはなくなった。
僕が恐ろしかったのは家だった。
トラックの助手席で揺られながら、砂利道を登るとだんだんと家が見えてくる。
真っ黒な家。
家を離れ、村まで降りるようになってから、ことさらそう感じるようになったのだ。
山の合間に建つ古民家は、真っ黒く開いた巨大な口のように見えるのだ。家のあたりまで戻って来ると、村ではあんなに騒がしくシャワシャワと鳴いていた虫たちの声もしなくなる。鳥の鳴き声は家にも聞こえてくるものの、すぐそばに降り立って来ることは、一度も見たことがないほどだ。
夏となれば山の奥の古民家とはいえ、夜になっても蒸し暑い。それでも、9時を過ぎればすべての雨戸をしめ切ってしまうから、部屋の中はますます過ごしにくくなるし、何よりも部屋や廊下のすみに闇が蟠っているのが怖かった。
夜は、長く、暗く、寝苦しかった。
カチ、コチと秒針の音が響いている。
眠れない夜はなぜもこんなに周囲の音が大きく聞こえてしまうのだろう。この家は、大抵の場合は静か過ぎた。夜などは、あまりにも音がなくて、耳鳴りがすることもあるほどだ。
けれど、僕たちが寝室にしている和室には鴨居に時計がかけてあり、それがカチコチと時を刻んでいる。
数か月暮らしても、この家はどこか他人行儀な家だった。
いや、多分、他人のものが多すぎるのかもしれない。本棚には雑多に本が並んでおり、襖には見知らぬキャラクターシールが貼られている場所もある。柱には身長を刻んだであろう筋が何本も書かれ、そこには知らない名前が添えられている。戸だなを開ければ、やはり誰のものとも分からなくなった雑貨が乱雑に入れられていたし、洋服ダンスも似たような有様だ。とにかく家のどこもかしこも、今までにここで暮らした誰かの残したものが多いのだ。
それだけじゃない。
母さんが言うように、この家は沢山の人が暮らしたことを覚えている。ギシギシと足音がする時も、テレビの音が聞こえる時も、実際には誰もいないことが多かった。
眠れない。
僕は何度かめの寝返りをうつ。
閉め切った室内は空気が淀んで蒸し暑く、秒針の音はますます大きくなるようだ。
台所に水を取りに行こうにも、真夜中のこの家は御手洗に行くのですら一大決心が必要だ。この間、御手洗に行った時は、少し後ろからずっと足音がついてきて心底恐ろしかったのだ。
それにしても、なんで今日はこんなにも眠れなのだろうか。
僕は薄目を開いて、ぼんやりとノイズがかかったような暗がりに目を凝らす。
あれ? っと、僕は異変に気が付いた。
床の間のある和室に続く、襖が少し開いている。寝る前にはちゃんと閉めた筈なのに、なぜだか今は人一人がなんとか通れる程度に開いている。
床の間は、背中を向けてはいけないという決まりのある場所だった。どうしようか。寝返りをうつのも不味いだろうか。
「床の間にはなにがあるの?」
以前、母に恐る恐る尋ねてみたことがある。母は少し困った顔をしながら「掛け軸があったのよ」と教えてくれた。
「どんな掛け軸だったの?」
「……幽霊の掛け軸よ」
ずっと昔、この家が栄えていた頃のこと。その時代は、妾さんを持つのも当たり前で、家の主人も数人の妾さんを抱えていた。それでも足りないと、村の若い娘を見つけるとたびたび家に連れ込んでいたそうだ。
中でもとくべつに美しかった妾を当主はたいそう愛でていて、絵師を呼んで掛け軸に妾の絵を描かせたほどだったという。しかし本妻は快く思わなかった。他の妾たちと共謀して散々に苛め、自殺に追い込んでしまったのだ。
それからおかしな事が起こるようになった。
死んだ妾の描かれた掛け軸から夜な夜なすすり泣く声が聞こえるようになったのだ。本妻は気を病んで、ついには床の間で首を吊った。
そんな恐ろしい話だった。
「ねぇ、でも、床の間の掛け軸には誰も描かれていないよね?」
僕が尋ねると、母さんは「そうね」と頷いた。
「本妻が亡くなってから、掛け軸からすすり泣く声はしなくなった。そのうち、描かれていた女の姿も薄れていって、ああ、あの子は成仏してくれたのだと皆が安心したそうよ。でもね、それは間違いだった。ある日、下男が掃除をしようとあの部屋に入ると、床の間に女が恨めし気な顔で立っていたの。女は成仏したんじゃない。掛け軸から出て来たのよ」
だからあの部屋では、床の間に背を向けては駄目なのだ。
背を向けると、女が覆いかぶさってきて離れなくなってしまうらしい。
僕は薄く開いた襖を見ながら、恐怖に押しつぶされていた。真っ暗な闇のその向こうには、恨めし気な顔の女がじっと立って、こちらを見ているように思えたのだ。
夜はひたすらに長く続き、けれど朝になる頃にはいつの間にか眠ってしまっていた。
夢の中でも見知らぬ女は、じっと僕を見詰めていた。
あの頃の僕は幼くて、ただの暗闇にすら怯える矮小な存在だった。それども、あの家の恐ろしさはもっと別の、あまりにも根が深いものだった。
長くあの家で暮らしていれば、いつか家に食べられてしまう。
僕はそんな風に怯えていたし、母さんも似たようなことを思っていたに違いない。
幸いにも、僕があの家で過ごしたのは2年と少しだけだった。母はもう少しだけ大きな街で仕事を見つけ、僕らは小さなアパートに引っ越した。アパートは狭く、壁も薄かったけれど、陽当たりだけは良かったし、何よりもあの恐ろしい気配から遠ざかることが出来ただけでも嬉しかった。
生活は決して楽ではなかったけれど、それでも僕らはなんとかかんとか暮らしていた。
トシさんが行方不明になったと聞いたのは、僕が中学校を卒業する頃のことだった。
いつものように配達に出かけたトシさんは、その途中でなぜかトラックを停車して山の中に入っていってしまったのだ。配達中の荷物は車内に残っていたし、車は鍵がついたまま、エンジンも止まっていなかった。
まるで誰かに、山の中から呼ばれたようにふっといなくなってしまったのだ。
母さんがいうには、あの家では山に飲まれて消える者が今までも何人もいたそうだ。
恐ろしい家だ。一族はみんな知っている。だけれども、あの家で誰かが消えてしまうと、また別の親族がふいの不幸に見舞われて実家に戻ることになる。
「私たちはね、アンタがまだ子供だったから大丈夫だった。もっと大きくなっていたら、お山に呼ばれたかもしれないからね」
母さんはそう言って安堵の笑みを見せていた。
でも、僕は知っている。あの家はこれからも僕らを離さない。僕らが必要になった時、またあの家に呼び戻されることだろう。
だって僕は今でもたまに夢を見る。
そびえたつ山々が僕らをじっと見下ろして、その麓に真っ黒な家が立っている。
家は山の口だった。ぽっかりと大きな口を開け、今も僕らを待っている。
山は、彼らは、僕らを決して逃がさない。