ほんの少しだけ昔の話
QTCCキャンペーンが終わったのでこれを投稿する。なぜ私が円安の最中このキャンペーンに寄付(5ドル)(……)をしたかについてに関する話。
去年の夏、お盆も終わる頃、MMORPGの友人ががんで亡くなった。
正確には胃がんを切除で克服したが、身体が弱っていたところで肺がやられて亡くなった。
当時の最推しのぬいぐるみを自作してMMOのアニバーサリーイベントで賞を取ったるわと真夏の盛りに縫い針を手汗でヌメらせながら、彼女が車椅子を押してもらい病院の庭を散歩したとツイートしているのを見ていた。寒くてブランケットを肩に羽織ったと言っていた。
仕事中、車椅子の方もよく来店する。日に1台は見る。彼らが年中厚着をしている理由がよく分かった。
薔薇みたいな人だった。
アカウント名に枯れた薔薇の絵文字(🥀)を使っていたからかもしれない。人懐っさがありつつも、尖った甘い花の匂いのような大人の女性の矜恃を感じていたからかもしれない。よく使っていたアバターの瞳の色が赤かったからかもしれない。
当時のギルドメンバーと一緒によく花見イベントで遊んだ。一番活動が盛んだった頃だった。イベントは夜桜をステージのテーマにしたものだった。
青々とした夜闇の中に花が咲いていて、それが桜でもあり、それが彼女の薔薇でもあった。
思い出話は散々やったのでもういい。彼女の記憶は私の一部に昇華したのだ。思い出という名の宝箱から何度取り出しても色褪せず、指も痛まない。君を思い出しても悲しむことはない。昨日も会ったかのように元気が出てくる。もう大丈夫なんだ。だから安心してほしい。
私とは特に親交はなかったが、彼女の闘病仲間であったユーザーが今年亡くなった。それで去年の思い出話の後に何があったかを書き留めようとしていたのを思い出した。でも無礼者のことしか覚えてなくて肝心の良い事を忘れてしまったので下書きごと消した。そしてこれを書いている。
そろそろログインをサボって100日近くなるかもしれない。やめたわけではない。決して。信じて。いやホントなんです信じてくださいそのうちやりますからマジで。今までだって2周年終わってから5周年終盤までドサボって復帰してただけなんです信じて。7周年はきっと間に合うから。信じて!!!
彼女は最後に、いくつかの友人に宛ててメッセージを残していった。私にも届いた。これはまだ誰にも見せていない。
もしも、彼女と同じくらい腹を割って話せるような、信頼のおける友人が出来たら、これを読んでもらいたいと思っている。
いちばん身近で信頼できる人物といえば私の場合は母だが、母には彼女の件を全く話していない。その上母は災害で私よりも多くの友人を、私よりも幼い頃に亡くしている。なんとなくベクトルが違う気がしているので、このメッセージを見せる相手は母では無いと思っている。
だからといって鍵をかけてないTwitterアカウントで大っぴらにしてしまうのもなんか違う気がする。
この最後のメッセージは私にとっては生きていく活力であると同時に、いつまでも彼女に依存しているという小さな呪いであるのかもしれない。人生を落ち着いて生きるには依存先を増やすのが良いと言われているが、むしろ私はこれ一つに確執している気がしなくもないのである。
それを誰かと共有できたなら、ただ一つの縛り付けられた秘密を誰かと中和できたなら、それを頼めるほど信頼できる相手ができたなら……そう思っている。思ってるだけ。