りんりんくんのおもいで
※こう呼んでるけどこれ誰?という質問には一切お答えしません。
りんりんくんがギルドに加入したのは確か3月末だ。ブレくんが加入した時に人多いな!?というリアクションを頂いて、りんりんくんの時と同じこと言ってんなぁ!と返した気がするので、多分彼より先だ。かずくんがおでかけしている最中であったと思う。多分。マジでいつだっけ。こないだ半周年だったリペアの結成後におでかけして行ったので、そのくらいだと思う。
ギルドDMグルにも来たのでアカウントを確認しに行った。ペリプラ相手にどえらいダメージを叩き出しているツイートがあったので、私は己が最弱王の座を護り抜いたことを悟った。最弱王です。ゴリラ説を否定するなら私に本気で負けてからにしろ。
りんりんくんは些細なことでもギルチャで呟く人だった。ゲームをやってる時に口をつくような小さな感嘆符も流すような人だった。私はチャット履歴を5〜7行にしているが、全部りんりんくんで埋まることも多々あった。
呼んだら来てくれるような人だった。と言っても私には個別に勧誘する勇気はなく、ギルチャで突然なんちゃら@3!とか叫んだりするタイプだ。変なタイミングで覆面やらスクルーダやらに行った時も、突然実験パテ組んだ時も、ギルイベ(1周年撮影会)開始まで暇だから目の前のマルドゥーラしばいて待とうとかテキトーぶっこいた時もノッてくれたのはりんりんくんだ。ギルイベといえば合同おしゃこんの時も隣にいた。内緒チャットで乙女騎士コーデを優勝できんじゃん!と褒めてくれたのは良かったが残念ながらレギュレーション違反なのでダメだな!と笑いあったのを覚えている。
かなどの(だったり他のものだったり)、はいんちゃん、りんりんくん、おれという半固定パテがなんかある度に組まれたりもした。2人パテや3人パテも組んだ。私がしつこく1人で@3!@3!と連呼していると行こかwと名乗り出てくれるのはりんりんくんだった。私はそれを期待して1人騒いでたのかもしれない。
花見イベで朱桜の周回もしたし、高難度にもかなどの、ブレくん、りんりんくん、ワイで矢とナイフをぶんどりに行った。
朱桜といえば私がタコ呼ばわりされる珍事件も発生したが、何がどうしてほとんど繋がりのない別のDMグループで同じあだ名がついているのか、その謎が解き明かされたのもりんりんくんのリプがきっかけだった。私がオヤスミした後で別グルのメンツが入れ替わりになり、さっきのアレさぁ〜という話になったらしい。そういうのは本人にまず聞けよ!本人寝るからパテ抜けだんだがな!ワハハ!
りんりんくんは火力4とか寄生(おれだが)のキャリーみたいな変なパテでも来てくれるので、そこそこ信用していた。私も一応アルケミ壁を持ってはいるが、テクニックがクソゴミすぎてほとんど実戦経験はなかった。が、新入りのヴェネーナ戦にりんりんくんと2人で応援に混ざった時、初めて壁を出した。
マフォニキ(アルケミ壁お兄さん)がDf取れてるスクショを持っているのはおそらくこの世に私含めて4人しかいない。レアだね。
私のマイルームにはめちゃくちゃいっぱい墓があり、マイルームというかはナントカ墓地みたいな1マップになっちまっているが、あの大量の墓や棺桶はりんりんくんから譲ってもらった素材で出来ている。ハロウィンになったら倍にして返そうと思ったが、間に合わなかった。が、今思えば使わないからあんだけ残っていたのかもしれない。倍にしたら迷惑か。
この墓はちょっと古い。バージョン1個前ぐらい。
墓地の墓は基本的にプレート石めいた2種類で、十字架だけが立ってるアレは1個しか置いていなかった。今は1個増やしてある。
りんりんくんがツイートで自分のことを明かす前に、先にギルドDMグルで誰の何がどうなったのか教えてくれた。病状よりも、私はりんりんくんが娘を持っていた(しかもバブではなく、私より少し歳下の)事に驚いた。いや違うな。どちゃクソぶったまげた。それまで私はりんりんくんのことを、その辺によくいるストロングゼロをストローで飲んでる量産型メンヘラ大卒社会人か、それを経た社会人かと思っていた。アイコンの力が強すぎる。たぶん10歳くらいは若く見ていたと思う。言ったげればよかったかもしれない。若く見えたって所だけ。
私は特に何もしなかった。いつも通りだった。
がんばっている人にかける「がんばれ」の無慈悲さも、周囲の態度が優しさの方向であっても変わってしまう怖さも知っているつもりだ。
だからいつも通りにした。少し調べればわかるが、私はりんりんくんに関するはげましのことばの類を一切送っていない。もしそれっぽいのがあったら、それは多分あなたの誤読です。
りんりんくんはいつも通り、私の濃いツイートにリプライをポチポチ送っていた。私はいつも通り、リアクションに困るものはすまねぇ……上手い返信が思いつかんわ……とスルーしたりもした。これもりんりんくんが私に送っていたリプライをちょいと調べれば出てくるはずだが、闘病者に向けた言葉とは思えない程しょうもないことを私が返しているはずだ。思い出せるのだと、盾を染色したって話の中で「なすび色」のただ一言だけとか。最後までいつも通りだった。
ツイート検索で私とりんりんくんのIDを@込で検索すると会話が出てくる。いつも通りすぎる。
りんりんくんは、私のインターネット人格に着いてきてくれている数少ない「フォロワー」の1人であった。
ある夜、クソボケゴミカスのせいで珍しくへちょへちょになっていたある夜、へちょへちょしたツイートをぶん投げたらりんりんくんからリプが来たことがあった。
私は中途半端に懐古趣味でニッチ街道まっしぐらで性別と合わない好みのせいで、年齢を親より上だと勘違いされがちで、へちょへちょしていた頃はそれが特にコンプレックスとして顕著だった。
りんりんくんはいつも通り、私の大暴れインターネット人格を「私らしい」と言っていた。ちょっと私の自意識過剰が混ざってるかもしれないが、りんりんくんは私を推してくれていた。
サイバーパンクニンジャ小説「ニンジャスレイヤー」のファンの間において、「爆発四散(ニンジャの魂が抜けて爆死すること)が明言されていない限りは、ニンジャはまだ生きているかもしれない」という通説がある。
私はりんりんくん本人による最後のツイートを読み終えた時、察した。絵文字。句読点の使い方。脱字。文全体の長さ。
だが娘か誰かによってりんりんくんの代理投稿がされるまでは、まだりんりんくんも画面の向こうで頑張っているのだと思っていた。明確なサヨナラ!を聞くまでは、Twitterを開けないだけで弱りつつも生きているもんだと思っていた。
皆が忘れかけたような頃、クリスマスイベの開始を待つような微妙〜な頃合に、質問箱とカウンターの自動ツイートで埋め尽くされたホームに、りんりん……復🌟活だぜっ!!心配お掛けしてごめんなさいね💦みたいな再臨ツイートが投下されると思っていた。
その次の瞬間、あの突然すみませんツイートである。ショッギョ・ムッジョな……
書きたいことはまだある。ピロー北側戦への行き方を最初に案内したのに、最後には逆に案内されて行ったこと。ムードメッセージにしていた「さあ、、、逝くよ?」がめちゃくちゃ身を張ったギャグになってしまったなぁということ。でも一旦やめよう。
7月15日0時くらい、ソフィアの街でリアル夜食食いながらフレ募放置をしていたら、イエロータイガーな格好のりんりんくんが現れた。ゲーム内で長く話したのはこれが最後だった。
私のあいさつ「あらお久しゅうござんす」に始まり、「左手でやってるから遅くてw」「じゃあ今から左利きになろう」、やはりいつも通りの会話であった。
後半は真面目な話をしたが何話したかは忘れた。ただ、私が自分の信念である「なるようになるし、なるようにしかならない」と言ったのだけは覚えている。
なるようになる。やってりゃ終わる。決まった終わり方にしかならないし、道を外れた大失敗なんざ滅多に起こりゃしない。
りんりんくんはこの疫病のご時世でそれに罹ることもなく、ちゃんと終わることができた。そうなった。じゃあもうそれでいいんじゃないか。いいよ。このご時世でそれは大したもんだよ。
Twitterの関わりでもそうだが、会ったことも顔を見たこともない誰かの事がこんなにも気にかかるのは本当に不思議なことだ。
ただ、私を兄貴扱いしたくせに先に逝ったことだけは許さん。直接会って、お宅のお嬢さんより4つ5つ上ぐらいしか違わないのだと証明するまでは許さん。
それだけは許さん。待ってろ。いずれ追いつく。
タイムリミット/ガウガストライクス
https://youtu.be/zKy2CTE8s1M
がん検診……ちゃんと受けよ……
で。ここからはTwitterから再掲だ。聞け。
TLにおられる、心がへちょへちょになっている者へ。全員よく聞け。リプ欄も開いて全文を読め。絶対読め。一度しか言わねえぞ。
思い出というものは宝石としてしまっておくようなものでちょうどいいのです。時折、ひとつひとつをたからばこから取り出しては眺め、また大事にしまっておくのがちょうどいいのです。
縛られて何かが阻害されるようならば、それは最早呪いです。
手垢のついた思い出を掌で転がすうちに、こびり付いた呪いも剥がれていくこともあります。
しかし取り出す度に指先を刺されるならば、一旦しまいっぱなしにして忘れた頃にもう一度向き合うか、誰かと一緒に触れてみるのもいいかもしれません。
そして忘れることを恐れている者へ。それは忘れたのではなく、あなたの一部になったという証です。あなたの呼吸の仕方や立ち方、歩き方と同じように。
幸いにも、我々は無事に朝を迎えました。朝が来た以上は生きていくしかないのです。
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