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新幹線の思い出 〜東海道新幹線開業60周年〜

私が初めて新幹線に乗ったのはおそらく3歳ごろで、敦賀にあった祖父母の家に行った帰りに、わざわざ米原から京都までの間を乗ったのが最初だ。
おそらく100系だったと思う。
京都までのたった一駅だけのために、乗り換えてまで新幹線に乗せたかった(もしくは、私が乗りたがった)のだろう。

当時でも、きっと米原-京都間なんて20分くらいだ。それでも、新幹線に乗る機会なんて全くない幼少期だったので、相当嬉しかったんだと思う。

実家では、プラレールの線路を部屋中に広げて、2段階で速度が切り替えられる0系や100系の車両が大のお気に入りだったし、もちろん、将来の夢も「新幹線の運転手」だった。


二度目の新幹線は、中学校の修学旅行で乗った「のぞみ」で300系だったはず。ワクワクしながら、友達とトランプをしたり駄弁ったり、車両の案内表示が修学旅行となっていた車両は大騒ぎだった。

そして、帰りの新幹線は旅行の疲れから、ほとんど寝ていたのではないかと思うくらい、何も覚えていない。


それから10年近く経ち、2010年の冬頃から、私は彼女(今では妻だが)と遠距離恋愛をしていて、毎月、二週に一回程度のペースで、金曜の仕事を定時で上がったその足で一番早いのぞみに乗って東京へ向かった。そして、帰りは自宅への終電の都合で、品川から日曜日の21:30頃に出るのぞみに乗って京都へ帰る。
そんな生活が数ヶ月続いたある日のこと。
2011年3月11日は金曜日で、確か、その週末は会う予定ではなかったと思う。
午後に関東を大地震が襲った。
その時、彼女の家族は地続きに行ける場所にはいなかったため、11日の夜こそ友人の家で過ごしたが、私も彼女も彼女の家族も安心するために、私の元に呼ばない理由はなかった。
幸いにも12日の昼頃には東海道新幹線は動いていて、無事に京都駅で会うことができた。
心配や不安の中で土日を過ごし、おまけで月曜日も有休を取って一緒に過ごした。
本当は帰ってほしくなかったけれど、東海道新幹線も、東京という街も、土日を挟んだ週明けからはほぼ平常運転に近いレベルになっていた。

2011年冬、私の東京転勤が決まった。
東京へ引っ越す際も、地元の駅まで車で送ってもらい、母と別れて、私は京都から彼女の待つ東京へと向かうのぞみに乗った。


これまで、いろいろな節目に新幹線に乗った。
その先で、見たことがないものを見たり、見知ったものを見たりしてきた。誰かに会いに行ったし、会いに来てもらったりもした。

仕事で乗ることもあれば、旅行で乗ることもあった。
ワクワクした気持ちの時もあれば、憂鬱な気持ちの時もあった。
でも、どんな時もホームに滑らかに入ってくる新幹線は、格好良く見えた。

次はどこへ行こうか。誰に会おうか。
新幹線に乗って。

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