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INFJな私のないものねだり

以前にも少しだけ触れたが、私の妻はESFJである。
ということは、つまり、妻の優勢機能は「Fe:外向的感情」である。
私の目には、妻はこの「Fe:外向的感情」をとても上手に扱っているように見える。
他人との距離感の取り方、その距離感の詰めることができるかどうかの判断、距離感を詰めた後の関係性の維持の方法など、いずれもかなりハイレベルなことをしているように見える。
私はそういった妻を心底尊敬している。

おそらく、それは私がINFJであり「Fe:外向的感情」が補助機能であることに強く関係しているのではないだろうか。
つまり、私にとって補助機能である「Fe:外向的感情」を妻は優勢機能として持っているわけで、それを比較して見れば「(この部分だけ見たときに)そりゃ勝てっこないよね」というわけだ。
私が自分の感情や思考を、特に会話するという面において言葉にすることに苦手意識があるのは、「Ni:内向的直感」によるものと、1番近くにいる妻と比較した際に「Fe:外向的感情」が劣っていることが明白であり、よって、「ないものねだり」になっている部分があると感じる。

決して、私が素直じゃないというわけではなく(どちらかと言えば素直な方だと思っているが)、それは「Fe:外向的感情」が補助機能で働いているからこそだと思うし、コミュニケーションについてもっとゆっくりと時間をかけることが可能なのであれば、自分の中にあるイメージのようなものを伝えることができるかもしれないし、少なくとも片鱗くらいは伝えられるかもしれない。

ただし、私の性格上の「他人に興味がない」という面が邪魔をしていて、他人がどう思っていそうなのかを察知しても(仮にそれがネガティブな感情だとしても)、周囲に危害を加えられる程でないならばそれに対して私がどうこうするものではないと思ってしまう。
他人の思考や感情について寛容といえば聞こえはいいかもしれないが、単純にあまり他人に干渉したくないだけという部分もあるような気がする。
干渉したところで必ずしも自分に対していい結果が返ってくるわけでもなく、それはこれまでの人生で経験した上での直感なのかもしれない。

繰り返しになってしまうが、妻はその辺りのバランス感覚が(少なくとも私に比べて)とても優れているように見えて純粋にすごいなぁと思うし、私もそのエッセンスを少しでも獲得できれば、もう少し生きやすいというか、自分の直感などに対しても行動を起こしやすくなるような予感はある。
だけど、それが私にできるのか?と問われれば、相当な努力というか自らへの抑圧(この場合、抑圧されるのは代替機能の「Ti:内向的思考」なのかな?)に対面しなくてはいけないように思うのだ。

つまるところ、繰り返しになってしまうが、ただ単純に「ないものねだり」になっているだけだとも思う。
少なくとも、自分の優勢機能は「Ni:内向的直感」で「Fe:外向的感情」が補助機能だからだと言う、INFJの4文字に囚われている限りは解消されない「ないものねだり」。
もしくは、自分がINFJということを知ってしまった副作用とでもいうべきだろうか。

でも、これは別に「外向的になりたい」というわけではないし、自分が内向的であることは受け入れられている。優勢機能が「Ni:内向的直感」であること自体にネガティブな感情はわかない。
世の中にはさまざまな性格の人がいて、逆に私の「Ni:内向的直感」が羨ましく思い、「ないものねだり」してしまう人がいるかもしれないわけで。
そういった意味では、私と妻との関係性において、「Fe:外向的感情」をどちらも持っている上で多少の優劣があることで、私の足りない部分を妻が補完してくれていると言えるかもしれない。
逆に私が妻の何かを補完できていればいいのだけれど……。

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