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二度目の襲撃とミルグラム実験ー桃瀬遍の道理に寄せて

はじめに

どうも、アマネさんがLOVEすぎる女子生徒です。アマネさんにしばかれたいです。愛です。

メロい…

私は今、ミルグラムというコンテンツの桃瀬遍という子の話をしております。表題と話もテンションも違うじゃないかっていうのは一旦おいていて、私はアマネさんが大好きなんです。
カルト宗教にハマってるように見える、よく弁の立つ小学6年生の女の子です。もう本当に説明するのが難しいので、一回これとこれとこれを見ておーってなってみてください。刺さる人にはものすごーく刺さるキャラだと思います。頼む…みて…

https://youtu.be/U91d24Urgm0?si=mp7rCMLHPjiUQEds

(ここから先はこれら+一審の彼女+ミルグラムの説明を見てもらった上で読むとわかりやすいかもしれません…できれば「梶山風汰」っていうの一審二審コンテンツも)

とりあえずこの子があんまりにも"""良"""すぎることはわかったと思うので、真面目な話に戻ろうと思います。
超端的に言うとこの記事はこの子がのちのちどう動くか、といういわゆる「今後の展開予想」をすっとばして「その展開を踏まえた上でのなぜこんな展開に至ってしまうのかという考察」なんです。トンチキすぎる。つまりこの子、ひいては表題のキャラがミルグラム内でなんらかの騒動を起こすと仮定して私は記事を書いているわけで。でもこの子単体ではなかなか騒動を起こせそうにない。彼女は非力な女子小学生であり、先ほど貼り付けていた動画で言っていたような「桐崎獅童への加害」も難しそうですよね。そこで諸々他キャラが出てくるわけです…

まあそれはそれとして、今回は今後起きるであろう襲撃や出来事の内情を、アマネさんを軸として諸々考察しまくっていこうと思います。私の中の超大まかなアマネさんの解釈↓の章の補足とわかりやすい説明、アマネさんの細かな性格、行動原理+アマネさんとフータの関係性+その関係性と二つの実験との関連性の考察のようなものですね。

(読むのめんどくさいなーってひとはとりあえず「2度目の襲撃ーアマネさんの人間性」のところだけ目を通してくれると助かります、そこが一番いいたいことなんだ)

囚人間の襲撃の共通点について

突然で申し訳ないのですが、こういう展開が固定されてないコンテンツで起きる連続的な出来事(→わかりやすいように、この出来事=主に囚人間の加害をこれから「襲撃」と呼ぼうと思います。公式も使ってるので)って絶対何らかの共通点があると思ってるんです、私。
全然個人の思想なんですけど、なにか柱というか軸のような大まかな全体の構図、構想があった上で物語が進行していく形であると思うんですよね、だいぶ主観の混じった予想でごめんなさい…
あと単純に、ミルグラムは完全に「一般的な実験」という形をとっていないだけの実験の面もあると思ってるので、一審、二審の結果から考えられる何かを導き出すためにも共通点があると踏んでいるんですよね。
しかもミルグラム、れっきとした元ネタがあるんです。大きく2つ。「ミルグラム(アイヒマン)実験」と「スタンフォード監獄実験」です。囚人やら監獄やら、明らかに表面的なモチーフはスタンフォード監獄実験に寄せられていますし。内情的にも一審で襲撃を起こしたコトコさんの思想も、「弱者」「強者」という概念が色濃くでてきています。意図的に寄せているのは明らかですよね。そもそものコンテンツ名が「ミルグラム」なあたりからも、明らかに権力、命令を受けて人はどう変わるか…みたいなところを重きとして置いていそうです。
もしかして、審判前後に起こる襲撃の共通点、元ネタの実験結果になぞらえられていることなのではないでしょうか。
そして、私たちはすでに一審→二審におけるミルグラム内での変化を知っているわけです。つまり…?

一度目の襲撃と二つの実験

襲撃と実験の関連性を考えるしかないですよね…ここら辺は完全に前置きの部分なので、早足で行こうと思います。
二つの実験から得られる結果である「権威や役割によって容易に深刻な暴力的行為が起こってしまう」という観点から、「囚人側」と「看守側」に分けてこの加害(襲撃)について考えてみようと思います。だいぶむずそうだけど、頑張る。

具体的な実験内容などは↓の二つの記事で確認してくださるとわかりやすいかも…

スタンフォード監獄実験ー看守側

まずはスタンフォード監獄実験の方から考えていきます。これはだいぶわかりやすいかな…
こっちの要素はそのまま看守↔︎囚人間の上下関係で考察していこうと思います。後述の関係にも結構準えられてるとは思うけれど、多分どっちかに絞って考えたほうが考えやすいと思うので、こっちの方では看守の振る舞いを中心に解説していきますね。
看守、つまりエスくんの振る舞いで最も特徴的なものといえばやはり「看守」という役割を否定された時の狼狽っぷりです。ミルグラムにおける看守の役割というのはおそらく「囚人の罪を見極め、自らの判断でその罪を裁くこと」なのですが…

「大衆意識の依代」とある通り彼女(彼?)には明確な自我、判断能力がありません。その矛盾を突かれた時のエスくんの反応と…先ほどのスタンフォード監獄実験の記事を絡めて…見ようと思ったのですが…まとめる気力が尽きました…これ普通にオンリー出すのに…
ということで結論だけ言っておきます。気力復活したらここも追記しますね。本当にごめんなさい、赦して…

エスくんは記憶喪失な上、看守という役割をミルグラム側から押し付けられています。そしてそれに疑問を抱くこともなく、むしろ今の彼女は理想の看守と自分との乖離に苦しんでいるように見える。役割と自分の区別ができていない、それらは自分と「ミルグラムの看守」とちう役割の同一視をしているからこその葛藤なのではないでしょうか。

役割にしたがってふさわしい行動をした、そして役割と自分の区別がつかなくなっていったと考えることができるでしょう。

先述の記事より

ミルグラム(アイヒマン)実験ー囚人側

次にミルグラム実験の方になぞらえて考えて行こうと思います。こっちもエスくんに通じるところが多くあるのですが…先ほど看守中心で解説していっていたので、今回は囚人に焦点を絞って解説しようと思います。

ミルグラムって、赦されなかった囚人が不利に陥りやすい仕組みなのですよね。先ほど解説した看守↔囚人間の上下関係だけに飽き足らず、他の囚人からの加害の矛先が「赦されなかったこと」だけで飛んでくる、すなわち赦された囚人↔赦されなかった囚人間で上下関係ができている事案が出てきているんです。たとえば今考えている襲撃がまさにそれなんですよ。赦された囚人のうちの1人が、する…これだけで結構状況的にはなぞらえられてませんか?まあまだ直感的なので、さらに煮詰めていきます。

我々看守(→権威者、立場が上のもの=実験者)に赦されなかった(→より罪の重い囚人としても考えられる→自分たちよりも立場が低い=生徒役という役割を負わせられている)ということは、他の赦された囚人(→被験体)に虐げられても不思議ではない状況になる…ということではないでしょうか…

権威や役割が容易に深刻な暴力的行為につながることを示し、

先述の記事より

こう整理してみると、けっこう状況になぞらえて考えられていそうですよね。これだけではまだ不明瞭な部分をさらに深堀りしていきます。
具体的に言うと、被検体の立場である赦された囚人であり、特にわかりやすい被検体の中でも電気ショックを最大まで生徒に与えたような杠琴子さんの心情にフォーカスを当てて行こうと思います。

ミルグラム(アイヒマン)実験ー囚人側②

まず具体的にコトコさんの行動を振り返っていきましょう。彼女が襲ったのは先述の通り私達が「赦さない」という判決を下した囚人です。しかも彼女は一審で「エスのできないことをすること」を明言している。なによりも彼女の殺人は「犯罪者に罰をあたえる」ことが主体です。制裁を与えられるのではないか、と容易に予想できますよね…
だからこそ二審ボイスドラマでも…

(なんかの引用)

コトコさんは納得していない様子を見せたのでしょう。当たり前です。コトコさんにとっては約束、ある種の命令のようなものを果たしただけなのですから。エスくん、つまり上の立場のものに従って度がすぎた暴力を振るったようにも捉えられます。上のものに従って、度がすぎた暴力を振るってしまう。

虐殺の責任を問われた彼は命令に従っただけだ,と主張していました。

先述の記事より

アイヒマンの場合は確かに逆らえなかった面があるのかもしれませんが、彼女は自分から「あなたに赦されたのならば、犯罪者に罰をあたえる」という契約を持ちかけています。

その時は…エス、あなたの牙になろう。

その言動は、エスくんが、我々看守がその命令をすることを取り付けた、とも言えませんか?罪の「赦す」「赦さない」という媒体を借りて、「犯罪者に罰を与えろ」「罰を与えるな」という命令をさせる。自分が囚人であり、看守の命令がない限りなにもできないことを知っているからこそそれを利用したとも考えられます。ここは「ミルグラム実験」にも「スタンフォード監獄実験」にもない、ミルグラムというコンテンツ独自の権威への解釈とも言えると思います。ミルグラムおもろっ!!!
ちなみに、コトコさんは…

(説教パートの引用)

自分が強者であり、弱く情を持つエスくんなんかより看守にふさわしい=「強さ、暴力」という権威でミルグラムを収めるべきであるという思想をエスくんに伝えたじゃないですか。
それをエスくんは「ミルグラムの一つの正解の形」と形容している。つまりミルグラムは、何らかの権威で収められているところであるとも考えられるわけです。こう考えてみると、やっぱりこのコンテンツミルグラム実験の主題に準えられていますよね…よいな…

待望のヒーロー選んだよ

彼女がそんな行動をしてしまったのは確かな「弱者を守る」正義故であり、それに罪悪感を感じている可能性も高いため、決して元ネタ実験のように「エスくんがそう命令したから」という理由だけでないことには留意が必要ですよね。こう言う鋭めの語り口のやつに擁護みたいなのって蛇足よりなのはわかってるんですけど…それだけ最後…言いたくて…へへ…

一度目の襲撃と二つの実験ーまとめ

とにかく上の2つの考察から、状況的にも内情的にも、ミルグラム内で起こる出来事は元ネタの実験に意図してなぞらえられていそうなことがわかったと思います。ということは…?つまり…?

二度目の襲撃ーアマネさんの人間性

もう展開予想に照らし合わせてみるしかない、ですよ!!
私の現段階での予想は先ほども明記したようにたつびさんという方の記事に基づいていて、宗教勧誘されたフータが教義により「医療班に襲撃をするべき」であるという道理を得てシドウさんなどの治療班へ襲撃、襲撃を起こしたフータにアマネさんが激怒、宗教の名の下に折檻を行う」という流れになると思っています。けっこう独自性の強い予測ですね。
照らし合わせるにもいろいろ情報がないと厳しいため、まず「なぜアマネさんはこのように動きそうなのか」という根本の観点から立ち直り、今回の主題で言うアマネさんの行動原理の部分を考察していきたいと思います。

①「ありたい自分」としてのアマネさんー1

前提として、アマネさん自身の人格をより深く掘り下げていきます。ぶっちゃけここが一番この記事で伝えたいところなんだけど…ね…
アマネさんって「純粋に両親を愛していたせいでカルト宗教を信じて殺人を犯してしまった根はいい子供、認められるべき人間」として思われがちじゃないですか?私、そこをこの考察でちょっと根底から覆したくて。先入観とか今までの解釈を一回だけかなぐり捨てて考えてほしくって…キャラヘイトに見えたらごめんなさい…
カルト宗教を信じて殺人を犯してしまった、
の方は↓のVDの諸々と…

(あなたなら、私の望む世界の理解者云々パートの引用)

⚪︎あのね、わかっていますよ、私が特殊なことくらい。
⚪︎人を不幸だと決めつけないでください。
⚪︎私は両親のもとに生まれて幸せです。少し窮屈になることもあるけれど、綺麗な教えの下で生きられて、幸せです。

尋問のアレコレから生まれた誤認だと思うのですけど...

それで、私、先述したアマネさんの「純粋に親を信じきっている」ような発言がなんで多いのかずっと悩んでいたんです。だってそうじゃないですか。ここを放っておいたままだとどんなに考察しようと矛盾点がめちゃくちゃ出てきてしまうんですよ。
アマネさんが先ほど言ったような人物像だったのならば…

愛している母親の教義違反が発覚し、宗教の一信徒の責任として暴力行為をしなければならない状況になったのにも関わらずここまで上機嫌で加害的な発言が多いのには若干ですが違和感があります。
また、そもそもの話…

痛みで猫が暴れたり逃げたりした痕跡がないこと、そもそも医療知識の乏しく非力なアマネさんがきちんとした止血をできるかどうか怪しいのにも関わらず、解かれたであろうハンカチについた血の量が極めて少ないことから軽傷であると判断しました。

もしも宗教を信じていたのならば、その信ずる教義を破ってまで放っておいても治るような軽傷の猫ちゃんを助けないでしょう。他にも小さな違和感はありますが、特に大きな矛盾としてはこの辺りかなとは思います。
少し長くなってしまうので、次の章に移りますね。

⚪︎「ありたい自分」としてのアマネさんー2

それで、ふと気づいて。アマネさんがそのような人物像であろうとしているんじゃないかと思ったんです。アマネさんは我々が誤認しているような「純粋に両親を愛していたせいでカルト宗教を信じてしまっているいい子供、認められるべき人間」って自分を認識してるんじゃないかな、って思ったんです。

私は、そうありたいんです!

二審

両親に認めてもらうだけじゃなくて、アマネさん自身が"そうありたい"、つまり純粋に両親を愛している自分でありたかったからこそ自らへの誤認なのではないかな、と。

(一審の自己紹介パートとか「いい子だとは思います」の尋問とか)

もう一つ。あえて「宗教を信じ暴力を受け入れる子」として自分を認識することで、

鮮明に暴力とそれに怯え嫌悪する自分を描いているということは、暴力へきちんと嫌悪を抱いている可能性が高いと思われます。

暴力行為への恐怖、

私の両親相手だったら、あと1時間はお説教を受けていましたよ?

この言葉のとげとげ感エスくんへだけの嫌悪感じゃなくない…?

自分が子供として、立場の低いものとして扱われていることの嫌悪を「感じないはずのもの」にして虐待を耐えてあげていたのではないか、と考えると筋が通る気がするのです。
彼女にとっていま恐怖を感じている暴力行為は「カルト宗教を信じて」いる自分ならばむしろ喜んで受け入れる「おまじない」だし、嫌悪を抱いてしまうような子供扱いだって「純粋に両親を愛していた」「根はいい子供」ならば気にも留めないことです。
この考え方を使えば、先述の大きな違和感も上手く説明できると思います。
母の教義違反に対する態度と殺害理由については、今まで「純粋に両親を愛していた」自分でありたかったからこそ存在してはならなかった母親への憎悪が、

母親が猫を粛清した、つまり教義を破ったことでカルト宗教を信じている自分として憎悪を抱く理由

もらった分を返す(=おまじないの仕返しができる)道理ができたから、という理由付けができますし…
その根本となった猫への治療行為も、

本来の彼女が猫好きだということも加味すると、きっと彼女にとっての「認められるべき人間」はいくら軽傷とはいえど怪我をしている猫を見捨てることはできなかったから助けた、と説明できますよね。

まとめます。つまりアマネさんは自分はこうであるはず、という認識に沿って実際の自分とは少し逸れた「純粋に両親を愛していたカルト宗教を信じてしまっているいい子、認められるべき人間」として行動しているのではないかと私は思っているわけですね。一種のエミュレートみたいなものかな…

また、毎回「純粋に両親を愛していたせいでカルト宗教を信じてしまっているいい子、認められるべき人間」という文言を書き写すのはだいぶめんどくさいのでわかりづらいので、今後この人物像のことをアマネさんの言葉を借りて「ありたい自分」という言葉に当てはめて進めていこうと思います。時代は文字数がスタイリッシュな考察なんだよなぁ。

②見下されたくないという欲求と「私たち」

さて。話がひと段落ついたので、少し話題を転換したいと思います。
アマネさんのVDとか楽曲って、全体的に見下されたくない、相手を思い通りに動かしたいという欲求が見え隠れしている気がしませんか?支配欲みたいな感じだけど、もうちょっと幼いイメージの。ニュアンスは違うけど、プライドが高いとも言い換えれるかも知れません。
たとえば…

⚪︎(エスくんが謝ってくるまでめっちゃ粘ってたムーブのとこ)
⚪︎(人殺し云々で突っかかってたとこ)

一審

⚪︎人を子供扱いしないでください
⚪︎一方的に暴力を振るえるなんて、ずるいですね

二審

とくに顕著なセリフはここら辺だと思います。子供扱いに腹を立てたり、自らが納得いかないことに対してすぐに反発して思い通りの行動をするまで話を進めなかったりといったところから先述の欲求が見て取れますよね。

アマネさんの自認が宗教全体を表す「私達」や両親に深く愛されているはずの「ありたい自分」であるからこそ、自らの信じているものを宿した自分を侮辱されるのに抵抗がある、と考えることはできます…先程の章で提示した通り、アマネさんは宗教を信じているわけではなくあくまで「宗教を信じている自分」をエミュレートしているだけという体で話を進めているため、あくまで今回の考察では仮説の域を得ないものとして扱わせていただきます。

また、

⚪︎お前を否定しよう
⚪︎私が
お前を許さない!

などのクローズアップされやすい印象的な発言も、自分が判決を押し付けられる側、つまり立場が上の人間でない限りできない発言です。そもそも二審の彼女が「私達」として振る舞っていた理由も「(二審の最初らへん引用)」であり、平たく言い換えると「私達(=アマネさん自身)にとってミルグラムは納得がいかないところだから」というなかなかクソガキ幼く見える理由なのも余計アマネさんの欲求の大きさを際立たせていると思います。
さらにMVでも…

一審では「教育番組のお姉さん(=教えを与える立場)」、二審では「マーチの指揮者(=人の行動を決める立場」に扮しており、どちらも人よりも高い立場の人間であることからもアマネさんのプライドの高さが伺えますし。
その他にも、これは少し横道に外れた考察なのですが…

公式ファンアート企画の絵です。雑な図でごめん…

この絵に描かれたモチーフもアマネさんのしたいことを尊重しているように見えて。①神の怒り、雷のモチーフが入っているのとか②アマネさんの後ろにある光輪とか③後光が描かれていたりとか④7本立ってる蝋燭とか、徹底して地位や立場の高いものとしてアマネさんが描かれてるんです。公式ファンアート企画では基本的に担当される絵師さんに設定集などが配られるらしいことなどから考えると、いくら宗教関連の子だからと言って、宗教の一信徒でしかないアマネさんのことをここまで神聖に描くのはやはりアマネさんの優越願望を表すためでもあるのではないかな、と考えられます。

話を変えます。二審のアマネさんは「ありたい自分」という像以外にもう一つ、「私達」という概念のエミュレートをしていましたね。
これらの考察を踏まえた上で、改めてその二審のボイスドラマを聞いてみると、
賢くて理屈っぽいアマネさんにしてはだいぶガバガバな理論から構成されたこの宗教全体、「私達」という概念は。

(「私達」の説明シーン)

アマネさんにとっての正しい価値観、つまり「正しい」という権威を持った概念であると解釈できるのではないでしょうか。
権威というのはそれこそミルグラム実験でもわかるように、相手を思い通りに動かせるものにもなり得ます。先程から散々繰り返して話していたアマネさんの望むこともそういうことじゃないですか。

(「私達」の説明シーン②)

アマネさんは、その権威を持った概念を自分が宿しているとして会話をする、すなわち自分とその概念を同一視している、自分が権威を持っている、と誤認しているとも取れるのです。
ちなみに、「私達」はアマネさんの中で無条件に権威や正しさを持った存在であるので、

あなたではない。あなた達です。

アマネさんの言う「あなた達」は単純に私達看守を指しているのではなく、エスくんの持つ正しさや権威であるとも考えられます。
もしも判決で私が正しいことを肯定しなければ、それらひっくるめて否定してやる、とアマネさんはこちらに語りかけているんですよね。

真っ向勝負ですよ、看守さん。

まとめます。アマネさんは「見下されたくない、相手を思い通りに動かしたい」という欲求を持っている。赦されなかった、という失望とともにその欲求を振りかざす理由付けに「私達」という概念を使ったのではないでしょうか。
現実にも自分が何か気に食わないってだけで主語を大きくしちゃって全体の意見として「その気に食わない何かは間違っている」という言論を振りかざす人、普通にいるからこそぽいよなぁ…

③二つの「自分」の利用とアマネさんの求めることー1

それらを踏まえた上で。先ほど、『「ありたい自分」としてのアマネさん』の章でアマネさんが「ありたい自分」に自らを誤認してしまっている理由として…

両親に認めてもらうだけじゃなくて、アマネさん自身が"そうありたい"、つまり純粋に両親を愛している自分でありたかったから

という表記をしましたが、これだけじゃちょっと足りない…というか、アマネさんはこの理由とは少しニュアンスの違う「ありたい自分」の使い方をしているのではないかな、と私は思っていて。具体的に言うと、アマネさん自身の持つある特性をあまり表現できていないのです。
アマネさんって、この手のキャラとしては珍しく「私達」も「ありたい自分」も、都合の良い時だけ自分と同一視…つまり利用をしているんですよ。

(二審でエスくんに図星踏まれてアマネさんが切れてたとこ)

「ありたい自分」「私達」を利用しているとわかる特に大きな例としてはこのシーンだと思います。
アマネさんのしている一種のエミュレート、エスくんの言葉を借りると「ごっこ遊び」は自分自身が「それをしている」ことを自覚するだけで一気に意味が薄まってしまうもの。自分が「自分が母へ憎悪を抱いてしまっていたこと、その憎悪の末に殺人をしてしまったということ」を認めることになるからです。
そのことを認めるということは、まだ子供で愛と憎しみは両立できないと思っている彼女にとっては自身の「母を愛したかった」という感情の否定とも取れるわけで。この場で激昂してしまうのは無理のないことだとは思います、が…
自分自身に対して侮辱をされたと感じたのにも関わらず、「私達」が侮辱されたと対象をすり替えあくまで「ありたい自分」の極めて正当な怒りという道理を得てからその感情を表に出しているのは、明らかに「ありたい自分」と「私達」という像を都合良く自分と同一視しているとしか言いようがないですよね。

えっ、ここってそういう…!!!

宗教を侮辱された「ありたい自分」ならこう怒るからという言い訳を利用して、自らが程のいいごっこ遊びをしていることから目を背けているんです。まさにエスくんの言っている通りのことをアマネさんはしているんです。
また、もう一つ。今度は「ありたい自分」の方にクローズアップして考えていきます。一つ目の章で触れたこの台詞、あるじゃないですか。

⚪︎あのね、わかっていますよ、私が特殊なことくらい。
⚪︎人を不幸だと決めつけないでください。
⚪︎私は両親のもとに生まれて幸せです。少し窮屈になることもあるけれど、綺麗な教えの下で生きられて、幸せです。

確かにここだけ見ると自分を押し殺して家族を想う可哀想な少女、まさに「ありたい自分」という像に見えますが…

あなた達は、それが洗脳だと言うのでしょう?私からすれば、あなた達だって、一般的な価値観という宗教に洗脳されています。
どうして人が多いというだけで、それを盲信できるのでしょうか。

この後の押し問答を見てみると、起こした殺人はすべて自分の意思であること、「私達」と「あなた達」は本質的には変わらないことを強調するためだけの独白のようにも思えてきませんか?これ。
ここのアマネさんの主張って「私は自分の意思で信じた価値観を元に行動した。だから自分の意思なく常識を信じるあなた達には私を否定する資格はないし、私はお前を許さない」というただ一点だけなんですよ。さっきの真実じみた告白は、ただこの主張を通すためだけの前提にすぎないです。それはまさにより素の自分に近い部分である「ありたい自分」を言い訳にして無理を通している以外のなにものでもないと思えてきますよね。

あっ…あっ…あっ…!!!!!

◎まとめ 二つの「自分」の利用とアマネさんの求めることー2

まとめも含めもう少しだけ考えてみようと思います。先程も少し触れたこのセリフ、あるじゃないですか。

(あなたなら、私の望む世界の理解者云々パートの引用)

よくよく考えたら、「ありたい自分」のエミュレートだけでここまで感情的になるわけないじゃないですか?一審のボイスドラマを見た人ならばわかると思うんですけど、ただ演じているだけでここまでの気迫はなかなか出ないような気がするんです。アマネさんそこまで嘘上手くないし…
それで一回整理してみたんです。アマネさんの言う「私の望む世界」というのは、すなわち宗教全体であるわけで、その宗教全体ってつまりアマネさんの言う「私達」じゃないですか。

つまり「私達」はアマネさんの中で無条件に権威や正しさを持った存在にしかすぎないのです。

でも実際はその「私達」は宗教なんかじゃなくてアマネさんの中で無条件に権威や正しさを持った存在にしかすぎないのだから……

(楽しみです、みたいなとこ)

ここのアマネさん、ミルグラムが自分の思想正しいということを認めてくれるシステムであることに対して恍惚としてたのでは…?
え、え、え、それを言ったら…

アマネさんがマヒルさんによく懐いてるのはマヒルさんが「自分の愛を受け入れてもらうために全てを肯定する、なんでも認めてしまう」ような人だからだろうし…??

純粋に両親を愛していたせいでカルト宗教を信じて殺人を犯してしまった根はいい子供、認められるべき人間
自分が権威を持っている、と誤認しているとも取れるのです。

そもそもさっきから何回も何回も私が主張している「ありたい自分」「私達」を利用しているというのの理由は完全に…

見下されたくない、相手を思い通りに動かしたいという欲求が見え隠れしている気がしませんか?支配欲みたいな感じだけど、もうちょっと幼いイメージの。ニュアンスは違うけど、プライドが高いとも言い換えれるかも知れません。

アマネさんの「相手を思い通りに動かしたい」という自身の傲慢な欲求を正当化するためでもあるし…

(ミルグラムに期待云々)

アマネさん、ずっとずっと「ありたい自分」と「私達」の2つの自分を受け入れられることを求めてるじゃないですか…!!!!
嫌いな本当の自分の感情から目を逸らして…?自分の欲求に勝手な道理をつけて…!!

お前を否定しよう。

そもそも私達(=自分の思う正しさ)が否定されるのに恐怖を感じてないと、看守である私達を、エスくん自身の正しさを否定してやるなんて土壇場で言えないじゃん!!!!!
お前!!!!お前!!!!もしかしなくても!情けないガキじゃん!!!!!!!!!!!!萌〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!!!!!!

ここまできてもランドセル背負い続けてるのほんまに、ほんまに
ほんまにどこまでいってもガキなんだよなぁ😍😍😍😍🥰🥰🥰

…とりあえずまとめます。親を愛そうと忍耐しても押し殺せなかった強い自我。自分の罪からも本当の自分からも目を背けて思いのままに行動している身勝手さ。そして他人にもその自分の罪に目を向けないことを押し付けている傲慢さ。
それらはすべて人に承認され、上に見られ、赦されたい欲求に基づいたものであり、彼女が抱いている罪は宗教を盲信したうえのものでなく、その幼い意志から生まれてしまったものでしかなくて。
そこがアマネさんの弱さであり、本質であり、「母親を愛したせいで宗教に狂ってしまった可哀想な少女」としてのアマネさんよりも何よりも、認められるべき救えない意思なのではないでしょうか。
いや、そうであると私は信じたいんです。

●フータの意思の希薄さと彼にとっての「正しさ」

アマネさんの行動を予想していく上であったり、ミルグラム実験と襲撃を絡める時であったりの際にフータについても必ず触れなきゃいけなくなるので軽く考察をしていきます。
ここらへんに関しては完全に我が敬愛するたつびさんと同意見なので、↑に貼った記事を貼り直しておきますね。

まずぶっちゃけて言うと、フータって道理の通った自分の価値観がないんですよ。具体的な根拠、と言われると少し難しいのですが…


そもそもインターネット上で人を冷笑するという行為自体がものすごく「自分のない人」らしいものと思うんです。
うまくソースが見つけられなかったのでなかなか曖昧な論説なのですが…
SNS、それこそXであったりとかの匿名性の高いものというのはその匿名性故に、簡単に人の統率をとれてしまうんです。
積み上げてきた立場とか、普段の生活ぶりとか全部関係なくて、より人の共感を集めた人が崇め奉られる仕組みになっているわけですね。

だからこそSNS上にコミュニティを持っている人は特に、「世間一般の正しい価値観」を自分が持っていると信じる人特有の主語の大きさがあると思ってて。それこそフータがその感じですよね。

今この場では「自分達」が正しくて他の価値観を持った人は間違っている(=倒すべき醜悪な魔物)と確信しているからこそ、その「他の価値観」ひいては自分の共感できるコミュニティの外にいる人間そのものを「制裁」という体でないがしろにして本気でヒーローになれると思ってるんです。自分が正しさの象徴である「世間一般の価値観」を持っていることを疑っていない。

本気でその制裁行為を楽しんでもいいと信じているところに、極めて「自分のなさ」故の悪意なきこわさ、

コトちゃんの言う「悪に転ぶ弱い心」のような弱さのあるものですよね。
これらはその主張が本人の中で正しければ正しいほど恐ろしいことを引き起こしかねない特性です。それらのいわゆる「自分のない人」特有の恐ろしさをフータは持っているのです。

MVで基本仲間達と群れて行動していること、

自分のしてしまった罪の大きさを自覚するこのシーンでもまわりを見渡していることからも上記の特性、つまり自分のなさがよくわかると思います。
つまり彼は周囲のコミュニティの「正しい人間」像からあぶれてしまうことを恐れて、その正しさに沿うように行動している、と考えられるわけです。
だからこそ、彼は「世間一般の価値観」を持っているはずの看守に赦されなかったことに対して多大な心理的負担を覚え、

みんなと足並みをそろえていただけなのに「なんで俺だけ」こんなつらい思いを抱えなきゃいけないんだ、という被害者的意識を感じているのではないのでしょうか。

そもそもこの殺人自体もフータ自身は「正義」と形容している「世間一般の正しい価値観」を過信してしまった故であると言えると思いますし…ね…
あ、あとこれは蛇足なのですが…

ここぐう真理

今現在(2025/1/24/22:37)↓の例の動画により私達看守の選択のせいでマヒルさん、ハルカさん、シドウさんが死んでしまった…かもしれない状況下でフータのコンテンツ類を聞くと、本当に、本当に刺さってしまいますよね…
言ってること自体は割と正しいんだよな、こいつ…いや赦さへんけど…
https://youtu.be/fl4p-EfHOo0?si=8lH8McDFiXuCjMMv

まとめます。フータは「自分と世間が同じ価値観を持っていること」に依存している。フータにとっての「正義」とはつまりその「世間一般の価値観」であり、今属している「世間」というコミュニティと同じ正義を持っているはずの自分は他者を制裁しても良い、むしろ制裁しなければならないと彼は思っていたからこそこんな殺人が起こってしまった、とも言い換えられます。
つまり自分と世間という曖昧模糊な大きな存在を同一視しているともとれるわけですね。
私もそういう気質があるから下手に責められへんけどこのような論理は褒められたものではありませんよね…
とにかく「フータはめちゃくちゃ流されやすい」ということだけ覚えておいた上で読み進めていただけると助かります。

二度目の襲撃ー行動原理

ここでようやく行動原理の方に突入します。長かった…ね…!私としてはさっきの「アマネさんの人間性」の章を書き切れただけでだいぶ満足なんですけど、こっちもだいぶ重要な考察だし、さっきの章を踏まえた上の応用編みたいな感じで面白いと思うので頑張って読み進めてってください。あと5000字くらいだよ…!!

襲撃前 「救い」とメサイアコンプレックスー①

まず現段階でわかっている2審ー3審間の行動である、アマネさんの度重なる宗教への勧誘行為について考えていこうと思います。具体的に言うと…

→フータ
→マヒルさん 警告
→ジョン

アマネさん自身が行った勧誘が写されているこの3つのTLからわかる行動ですね。
前提である先ほどの章を踏まえてアマネさんの動向について考えていくと、自ずとアマネさんが宗教勧誘をしている原理も分かって来ませんか?
まず一つ目から説明していきます。前提の章でいうと①に起因する原理です。

良さげな画像がなかったのでいらすとやです。かわいいっ

宗教の布教をする人って、救いだとか心の支えとか、とりあえず相手になにかを教える側、与えてやっている側にあるじゃないですか。
人に何かものを与える時って、その「何か」を持っていなきゃいけないんです。たとえそれがものでなくても、例えば勉強を教える時などはこちら側に相応の学力が必要だし、それこそ人に心の支えを与える時には自分もある程度心の支えを持っていなきゃいけない、つまり幸せでなければ真の意味で人を救うのは難しい。
だからこそ、人を救うことができるということは自身は幸せであるとも論理を立てられますよね。
要約する際の私側の知識不足により少し齟齬が生まれている可能性はありますが、これら論理を立てることを動機とし自らが幸せであると思い込むために人を救おうとすることメサイアコンプレックス(救世主願望)というらしいです。

個人が救済者になることを運命づけられているという信念を抱く心の状態

wikipedia「メサイアコンプレックス」より

この一種のコンプレックスからアマネさんは宗教勧誘をしたのではないかな、と私は思っているんですよね。

「純粋に両親を愛していたカルト宗教を信じてしまっているいい子、認められるべき人間」

アマネさんが「ありたい自分」と同一視する道理を通すためには、自分が上記のような人間であると思い込まなくちゃいけない。

私は両親のもとに生まれて幸せです。少し窮屈になることもあるけれど、綺麗な教えの下で生きられて、幸せです。

つまり今のアマネさんには、自分が確実に幸せであると言い切れるような明確な証拠が必要であるわけです。そこで先ほどの「人を救うことができるということは自身は幸せである」という論理を使うことで、「自分は幸せである」という確信を持とうとしたのではないでしょうか。

しかもその結果が必ずしも思い通りにならなかった場合、異常にそれにこだわったり逆に簡単に諦めてしまう事も特徴的である

同上

また、メサイアコンプレックスの特徴として上記の「異常に人を救おうとすることにこだわったり簡単に諦めてしまう事」があることも。
章の冒頭に貼った画像達からわかるとおり、フータの誕生日TLに2回連続で現れ勧誘したのにも関わらず、マヒルさん、ジョンさんに対してはすぐ引いていることが該当していますよね。
というか、そもそも。

本来の彼女が猫好きだということも加味すると、きっと彼女にとっての「認められるべき人間」はいくら軽傷とはいえど怪我をしている猫を見捨てることはできなかったから助けた

なぜ猫ちゃんを助けていたのか、という説明づけに使ったこの文章も今の理論に通じるものがあるじゃないですか…!!
猫ちゃんが重傷だったらちょっと揺らいでたかもしんないけどこの猫ちゃん明らか軽傷だし…むしろアマネさんがいらんことしたからこそこんな事態になってるし…あのさぁ…!!!そういうの本当に萌えるからやめて欲しいんですけど、あーガキ、ガキガキガキ…

まとめます。アマネさんは自らが幸せであると思い込む道理を立てるために人を救おうとするいわゆるメサイアコンプレックスを抱えているからこそ、他者に対して宗教勧誘をしたのではないでしょうか。

襲撃 フータの「正義」と襲撃ー●

話がひと段落したので、次に展開予想の襲撃の部分について考察していこうと思います。文字数が嵩んできたせいでスマホが激アツになってきてるから足早に行きたい…
だいぶ序盤に貼った展開予想のところで言うと「宗教勧誘されたフータが教義により「医療班に襲撃をするべき」であるという道理を得てシドウさんなどの治療班へ襲撃」のところをいろいろ考えていきます。こちらについては完全にフータの大やらかしなんで、●の章主体で色々考えますね。

彼は周囲の「正しさ」からあぶれてしまうことに対して恐怖を感じて、「正しさ」に承認されることを求めていると思うんです。
フータは「自分と世間が同じ価値観を持っていること」に依存している

ここでも明記したように、フータは周囲のコミュニティの「正しさ」に依存した考え方を持っている、と考えられます。
それらを踏まえた上で…

間接的とは言え殺人を犯してしまった、しかもいたいけな中学生女子!を死なせてしまった今のフータは世間一般の価値観にとっては間違いなく悪人であって、実際、「世間一般の価値観」の象徴である私たち看守にも赦されませんでしたよね。
そう、赦されなかったんです。
フータにとっては信じていたはずの「世間」というコミュニティから爪弾きにされたようなもの、なんです…

その点、宗教集団は、もともとその内部に信頼構造を備えているので、それ自体が社会に貢献していると考えられる。そして、宗教集団は、人と人とのつながりを作りだし、コミュニティの基盤になっている。

地域社会の変容と信仰基盤組織組織(FBO)の役割 ―新しいコミュニティ政策への提言―より

それでいて…カルト宗教とかいわゆるマルチとか、そういう怪しいものに騙されがちな人が真に求めてるものって神様とかそんなんじゃなくて、「なにかのコミュニティに属すること」「自らの居場所を作ること」であるパターンが意外と多いんですよ。
「世間」から見放されてしまったり、そもそも「世間」という大衆意識が肌に合わなかったりしたからこそ、そのコミュニティの価値観の外に存在している宗教というコミュニティに惹かれ、依存してしまう。

あかーん!!!

だからこそ、彼はアマネさんに与えられた「救い」を受容してしまったんです。
アマネさんの真意はどうあれ、フータはアマネさんの信じる(語弊あるけど…)宗教に入信してしまった、つまり今彼が「宗教」という一つの大きなコミュニティに属してしまっていることは言動的に明らかで。

今属している「世間」というコミュニティと同じ正義を持っているはずの自分は他者を制裁しても良い、むしろ制裁しなければならない

それって、彼の性質を考えるとだいぶまずい事態じゃないですか…!!
●の章で言っていた彼の「正義」(=世間一般の価値観)と自分の同一視の対象が、宗教の教義にとって変わるんです。今までは私たちと同じような価値観の範疇で行動していたからまだよいものの…

つまり彼は周囲のコミュニティの「正しい人間」像からあぶれてしまうことを恐れて、その正しさに沿うように行動している

宗教というコミュニティに属してしまったということは、つまり教義に則って行動をするようになってしまうんです。

教義に照らせば、看守の私達への侮辱は十分に罰則対象だ!

それでいてアマネさんの宗教では教義違反者などの罰則対象に暴力を振るうことは「正しいこと」。
その上おそらく襲撃対象になってしまったシドウさんはお医者さんで、

今現在、明確な教義違反である治療行為をマヒルさんとフータへ施しているんですよ。
つまり今のシドウさんって、宗教にハマったフータにとって「正義」である教義にそぐわないような悪人にしかすぎないじゃないですか。

今の彼、いや、フータたちにとってはシドウさんは恩人なんかじゃない。宗教というコミュニティの禁忌を犯した討伐すべき醜悪なモンスターなんです。倒すべき敵であって、それ以上でもそれ以下でもない。
そう考えるとやはり、フータがシドウさんに襲撃をしかけることは不自然なことではないですよね。

まとめます。
フータはその流されやすさ、自分のなさなどから宗教に入信してしまい、自らの「所属するコミュニティの価値観に染まりがち」という性質から教義に則って行動をするようになってしまったからこそ、シドウさんへ向けて加害をする可能性が高いのではないでしょうか。
フータ自身の視野の狭さのせいで人が死ぬ事態になるって、なかなか末恐ろしいですよね…監獄、怖すぎん?

襲撃後ー1 アマネさんにとっての正しさと宗教にとっての正しさ、その同一視ー③

前の章で考察した、フータからシドウさんに向けての襲撃。
その襲撃自体は、私達看守が知っているように、「私達」でも「ありたい自分」でもない、アマネさん自身が望んでいることでもあるんです
そもそもシドウさんが加害されるのを望んでいるのならば展開予想の「襲撃を起こしたフータにアマネさんが激怒、宗教の名の下に折檻を行う」の部分が成立しなくない?という疑問は次の章で触れるとして。
アマネさんがシドウさんへ反感を抱いている理由って、単純に「教義に反しているから」というだけなわけではないんですよね。
そもそももしアマネさんが「教義に反した人だから」という純粋な理由でシドウさんへの加害を望んだのならば。

ミニグラム30話「165cm」

「お肉を食べる」という教義違反を起こしているはずの囚人たちに対しても加害の対象が向く可能性が高いのにも拘らず言及が無かったり…

一審の時点で医者であることを隠していない(=教義違反を常習していたことが確かである)シドウさんへ、その時点から明確な殺意を持っていない事も若干の違和感があります。(教義違反抜きにしてシドウさんが人間的にアマネさんに嫌われてるの、ちょっとウケますよね)

「治療でなにかの生き死にを左右すること」自体が特に重い教義違反だからとも考えることはできますが、それを言うならばシドウさんだけでなく。

ぼろぼろ、やね…

教義から外れなければ生き永らえないはず、つまり「今生きていること自体が重大な教義違反である」マヒルさんに対しても、シドウさんと同じくらい、むしろ彼女達にとっての「自然な状態」に戻さないと道理が通らない分さらに大きな殺意がないのは不自然ではないですか…?
少なくともボイスドラマで一切名前が出ていないのはおかしいと思うんです。

唯一マヒルさんの教義違反に触れていると言っても過言ではないこのシーンも、忠告ということはつまり「治療をやめたら襲撃をしない」ということになる。今生きていること自体が治療の結晶な、重大な教義違反であるマヒルさんが、治った今治療をやめたところで「治療を受けていない自然な状態」、つまり死亡している状態に戻さない限り、「教義に反した人だから」という純粋な理由でシドウさんを襲撃しようとする場合、彼女の道理は通らないんです。

いくら実際には宗教を信じきれていないとは言え、アマネさんは道理を大切にする子です。

確かにアマネさんはマヒルさんによく懐いていますが、このような理屈っぽい子がただ「人間的に好きだから」という曖昧な理由だけでマヒルさんだけ贔屓して襲撃の対象から外すのはほぼない線じゃないですか。
そもそもこれまた治療を受けているフータへのこれと言った発言がない時点で、相当なことがない限り教義違反を他人に対して押し付けないことがわかるんです。

(シドウさんに加害すること言ってるシーン)

しかしアマネさんは実際、シドウさんに対して明確に加害する意思を私たち看守に伝えている。これってどういうことでしょう。
シドウさんが人間的に嫌いであるから、という線が「一審の際には触れず二審でのみこの宣言をしている」という点で否定される以上、考えられるのは…

フリー素材ですっ

シドウさんが二審で「治療行為を」「アマネさんの目の前でした」ことにより道理を超越するほどの特別な私怨が生まれたということなのではないでしょうか。
それらを踏まえアマネさんの心情を考えてみると、結構彼女のキャラクター性と行動の矛盾の筋が通る気がするんです。
つまり、アマネさんがシドウさんへ私怨を向けて、襲撃をしようとしている理由って、

アマネさんが「ありたい自分」と同一視する道理を通すため

宗教勧誘の際のようにアマネさんが「ありたい自分」と自分を同一視する道理を通すためというだけでなく、

自分のもらった暴力を返すため、でもあるんじゃないですか…?

過去に自らの行った治療行為のせいで、

アマネさんは酷い暴力を受けて、

軽傷でも怪我を治してあげたくなるくらい、大切にしていたはずの猫まで失った。
それなのに、今現在明確な教義違反である治療を行っているシドウさんは何のお咎めなしで、

むしろ囚人たちに頼られて、感謝までされている。
それって、めちゃくちゃ不平等なことじゃないですか。もし自分がそうなったら、「なんで私だけ」って、思いませんか?
私も同じことをしたのに。ありたい自分でありつづけるために、人から、自分から認められるために、行動したのに。私も猫を救えたはずだったのに。マヒルさんもフータも私の手で救えるはずなのに。私も幸福だった、はずなのに。
これは完全にアマネさん自身の幼さからくる感情だと思うんです。私達看守の中にも、眠っているかもしれない未熟さ。未熟じゃないとわからないこの負の感情。
私、子供だから、わかるんです。

こんな負の感情の対象である相手は、妬ましい、ずるい、納得いかない。相手を私と同じようにめちゃくちゃにして屈服させたい。

一方的に暴力を振るえるなんて、ずるいですね。

全体的に見下されたくない、相手を思い通りに動かしたいという欲求が見え隠れしている気がしませんか?支配欲みたいな感じだけど、もうちょっと幼いイメージの。

この「欲求」の正体ってきっと、嫉妬なんですよ。幼い嫉妬であって、それ以上でもそれ以下でもないんです。

もらった分を返す(=おまじないの仕返しができる)道理ができたから、という理由付けができますし…

そもそもお母さんを殺した時点で、彼女は自分の怒りに道理をつけているんです。
この子はずっと変わってない。変われていないんですよ。ずっと子供のままなんです。その子供らしい嫉妬心を、私達看守は肯定してしまったのです。

まとめます。
アマネさんは人を救えるシドウさんに嫉妬し、恨んでいた。
その嫉妬心から、彼女はシドウさんに殺意を向けて、「宗教の教義」を使って加害しようとしたのではないでしょうか?

襲撃後ー2 アマネさんにとっての正しさと宗教にとっての正しさ、その同一視ー③

話がひと段落したので、行動原理のところの最後の章にうつります。展開予想の方の「襲撃を起こしたフータにアマネさんが激怒、宗教の名の下に折檻を行う」ところの考察です。

しかもその襲撃自体は、「私達」でも「ありたい自分」でもない、アマネさん自身が望んでいることでもあるんです。
その嫉妬心から、彼女はシドウさんに殺意を向けて、「宗教の教義」を使って加害しようとしたのではないでしょうか?

つい先ほどの一節ですね。ここを読んでいたとき、じゃあなぜアマネさんはシドウさんに直接手を下さなかったのか、と思いませんでしたか?そもそもなぜ望んでいた襲撃を実行されたのにも関わらず、フータに激怒するのかという疑問もあります。先程の章でちょっと触れたやつですね。

体格の小ささがよくわかる構図ですね…

単純にシドウさんにアマネさんが勝てないから、という説はあります、が…私はそれは違うんじゃないかな、と思うんです。
確かにアマネさんは非力な女子小学生。
体格はやや小さいものの、立派な成人男性であるフータに襲撃を任せることは極めて合理的な判断であるように思えます、が…

死体の手写り込んでる…

アマネさんは一応大人であるお母さんを寝込んでいる時などの条件なく殺せているはずです。おそらく凶器が殺傷能力のない傘であることも鑑みると、シドウさんのような180cmの体格のいい男性でも、それこそハサミで喉や目を狙い寝込みを襲ってしまえば仕留められないということはない、ですよね。
一応シドウさんはお医者さんであり、抵抗されたらまず一番に負けてしまうので、ヘマをこくと仕留めそこね拘束されてしまうリスクはありますが…

自分のもらった暴力を返すため、でもあるんじゃないですか…?

それを差し置いてでもあの子には自らの手を汚す道理がありますし。自分がもらったみたいに上から暴力を振りかざさないとじゃないと、嫉妬心を満たせないじゃないですからね。
じゃあなぜアマネさんは自らで行動を起こさず、あまつさえ自分の代わりに襲撃を起こしてくれたフータに対して怒りを覚えたのか。
アマネさんの難儀な性質故に、自分の襲撃を肩代わりされたことに対して「子供扱いされた」という怒りが湧き折檻…という場合もある、というかこちらの方が説得力は高いのですが…私としてはここでマヒルさんが関わってくるのではないかな、と思ってます。正確に言うと「アマネさんがマヒルさんによく懐いている」ということですかね。

一番最新のTLからもわかる通り、マヒルさんは今非常に危険な状態です。
今まで回復傾向にあったのにも関わらず急に悪化していることから、今まさにマヒルさんは治療なしでは生きていけない状態、つまりシドウさんなしじゃ生きられない状態にあることがわかりますよね。
そんな状況下で襲撃なんてしてしまったら、聡明な彼女ならばマヒルさんの命が失われてしまうことくらい想像できるはずなんです。そう、聡明な彼女ならば。

アマネさんはマヒルさんによく懐いています。
今のアマネさんにとって、マヒルさんの命を失うことは、何よりも避けたいことなんです。
今襲撃してしまうと、間接的にも自らの手でマヒルさんを殺してしまうかもしれない。だからこそアマネさんは襲撃を控えていたのではないでしょうか?

しかし三審で死んでしまった人が消えている可能性が高い例の動画によると、襲撃は果たされた可能性が高い。

自らの「所属するコミュニティの価値観に染まりがち」という性質から教義に則って行動をするようになってしまったからこそ、シドウさんへ向けて加害をする可能性が高いのではないでしょうか。

おそらく、というかほぼ確実にフータの犯行ですよね…
それってつまり、フータのせいでマヒルさんの命が失われてしまった、とも捉えられるじゃないですか…!!しかも前述の通り、自分の襲撃を肩代わりされたことに対して「子供扱いされた」という怒りも湧いている可能性が高い。
そう考えるとやはりアマネさんが怒りからフータを加害することは極めて自然なことなのではないでしょうか。

まとめます。アマネさんは今シドウさんに襲撃をしてしまったらマヒルさんが死んでしまうのがわかっていたからこそ、シドウさんへの襲撃をしていなかった。
しかし、何も知らないフータがシドウさんに襲撃をしかけてしまったことでマヒルさんは死んでしまう。それに怒ったアマネさんがフータを加害してしまう可能性は高いのではないでしょうか。

二度目の襲撃とミルグラム実験

タイトル回収、だね…!!
前提条件やらなんやらが全部解説できたんで、ついに元ネタ実験になぞらえていくターンに入っていこうと思います。長かった…!!!!!
ここら辺はもう、ここまで読んでくれた人ならかなり勘付いてると思うので…!できる限り手短にいきますね…スマホがほんまに、ほんまに重いんで…
序盤で明記した「スタンフォード監獄実験」と「ミルグラム実験」の二つの実験、特にミルグラム実験から顕著に得られる結果である「権威や役割によって容易に深刻な暴力的行為が起こってしまう」という観点から、「囚人↔︎概念間の関係」を中心に2回目の襲撃との相似点を考察していこうと思います。あとちょっと…だよ…!!
わざわざ戻るのもめんどくさいと思うので、ミルグラム実験の解説リンクをもう一度貼っておきますね。
https://psych.or.jp/interest/mm-01/

ミルグラム実験ー宗教の権威と「正しさ」

まずは囚人↔︎概念間の関係から考えていきたいと思います。あとちょっとで書き終われる…!
ここで使われる「概念」とはつまりアマネさんにとっての「私達」やフータにとっての「世間の価値観」、つまり囚人にとっての正しさの指標のことを指します。それぞれの思う「正しい」という強い権威を持った存在とも言えるわけです。
さて。アマネさんとフータの持っているその概念、特にフータの持つそれは、2人の場合先程の章で触れた宗教に密接に結びついていますよね。

「世間」から見放されてしまったり、そもそも「世間」という大衆意識が肌に合わなかったりしたからこそ、そのコミュニティの価値観の外に存在している宗教というコミュニティに惹かれ、依存してしまう。

それで、先ほど触れた宗教の話。
宗教やマルチにハマる人って、このようなものに必ず付随する怪しげなマインドコントロールなどを抜きにした際に考えたとき、明確に存在を信じることで間違った自らの過失や性質のせいではなく「神の教えに逆らっていたから」のような言い訳を作るために信仰している、みたいな面は必ずどこかにあると思うんです。
つまり「自分の人生が上手くいかないのは全部自分のせいだ」ということを直視したくないからこそ、宗教という大きな存在、つまり「権威」に命令されたことを守らなかったせいで人生がうまくいかなかったんだと錯覚しているんです。自分の愚かさを認められずに、宗教を絶対的な正しさとして捉えることで、自分は大きな権威に「命令されているから」幸せになれないんだと錯覚している。そんな人が宗教の教えに則って行動するのって…

うめき声がやがて絶叫となっても被験者は実験者が「大丈夫です」と言うのにこたえて強くし続けました。

ミルグラム実験もちょっとこれに似てませんか?
ここからミルグラム実験と宗教という権威についての解説を、アマネさんとフータと「宗教」の関係に絡めながらしようと思ったの…ですが、間に合いませんでした…!!これ普通にオンリー出すのに…(2回目)
ということでここも結論だけ言っておきます。
こっちも追記を待ってくれると助かります…!いつか書くよ!!いつか!!!
自分の落ち度を「宗教」という権威に押し付けていること。その権威と被験者の構造自体が、ミルグラム実験となぞらえられているのではないでしょうか…!

終わりに

疲れたーー!!!!!!!!!!!!!!!!え?ほんとに疲れました。こんなに長い活字書いたの初めてなんですけど!!!
途中からずっとスマホの不具合に悩まされていたせいで、不足は多々ありますが、ひとまずいい具合に締められて本当に良かったです…
とりあえず大体言いたいことは全部言えたので、これからもなにか新たな発見があったらちまちま書き足していく予定です。
まあ自分が書いたものにしては…結構いい出来のものができたと思います。後半急ぎ足になっちゃったんで、できれば少し加筆したいですね…書けてないとこあるし…
せっかくここまで書いたのにいい感じの結び方が思いつかなかったので発狂して終わりたいと思います…
アマネさんは、ガキ!!!!!!!!!!!!

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