遊戯王の思い出(小学生編)
本記事は遊戯王のカジュアルプレイヤーである僕の遊戯王との思い出を振り返るものです。
遊戯王が自分の中で他人になっていく感覚がする。
理由は幾つもある。
遊戯王は僕にとって確かに必要だった。
今は正直分からない。
勿論、遊戯王を通して得たものに価値を感じている。
しかし、最新カードを追って、デッキ製作のトライ&エラーをするモチベーションは喪失した。新弾のカードの発売に心が躍らない。
ただ、確かに言えることは遊戯王が楽しかったこと。
直近の最後のオフ会も最高に楽しかった。
(これがなかったらかなり危なかった)
モチベーションが0になった今、楽しかったことを思い出そうという旨の記事です。
遊戯王を始めたきっかけは今でも思い出せない。
誰かに誘われた訳でもないし、気がついたら遊戯王をやっていた…
と言えば格好いいけど本当に覚えてない。
兄がカードゲームでイキるタイプの人間だったから自然と興味を持ってたのかな。
小学生の頃は当然最強サイクロンの使い手だった。
ルールも全然分かってなかった。
火炎地獄とデスメテオも強いと思ってた。
友達のストラクデッキの次元帝が強かったが、除外が何なのかよく分からなかった。
UFOタートルが戦闘破壊されたらデッキからUFOタートル3体だしてリミッター解除したのを今でも覚えてる。
小学生の頃はシンクロ召喚期だった。
始めてパック開封はクリムゾンクライシスを10パックだった。
カードリスト
パックで初めて当てたカードはこいつ
このカードを通常召喚できない(異常召喚?)
バスターモード??の効果でのみ~
ダメージステップ??
ライフポイント云々はよく分からんけど強そう!
自分の墓地に存在する「ハイパーサイコガンナー」(誰や…)
小学生の僕は直ぐ兄に聞いた。このカード強いのかって
即答で「弱い」だった。
結局何が弱いのかも分からないまま、かっこいいのかよく分からない謎のカードをデッキに入れた。
そしてすぐ抜いた。
ハイパーサイコガンナーもバスターモードも持ってねえよ。
小学生的に地獄みたいなパックだな、クリムゾンクライシス。
4チューナーが全然刷られてなくて、ハイパーシンクロンを使ってた。
霞の谷の戦士とフレムベルマジカルとか欲しかった。
ギガンテックファイターを出すのも一苦労だった。
その時、ハイパーシンクロンのエンドフェイズ時に除外されるデメリットはハイパーシンクロン自体が除外されるものだと思ってたが、確信が持てずKONAMIに電話した。(流石に弱すぎるだろ)
KONAMI「除外されるのはハイパーシンクロンです」
ぼく「(さすがによわすぎるだろ…)」
これが初めてのKONAMIへの電話だった。
当時は友達の〇井君がダークダイブボンバーでローカルルールのライフ4000を後手1で消し飛ばしてきた。
この時からYouTubeで遊戯王のMADをよく見るようになった。
本当はアニメが見たかったが、YouTubeで当然アニメ本編などない。
大会に出ることもなく。
優勝したぞ!と鼻息を荒くする兄を見てた。
兄は近所の大会では結構強かったらしい。
当時のハンドルネームが未だにプレイステーションのアカウント名になってたりすることから、兄も遊戯王に思い入れがあるんだろうな。
兄のデッキはガチデッキだった。
僕は小学生デッキだった。
当然、負けた。悔しくはなかった。
その時は家で遊戯王ができるだけで勝敗とかどうでもよかったし、知らないカードで合理的な動きを見ることが新鮮だった。
兄は植物デッキだったな。
僕は死皇帝の陵墓+地縛神with特殊召喚しやすそうな奴達featチューナー
そんな感じのデッキだった。
レベルウォリアーを入れてたのを覚えてる。
今思えば、小学生の紙束でもそれはガチデッキなんだよな。
1回奇跡的に勝てて、兄がぶつぶつ言ってたのを覚えてる。
小学生の頃は結局、何が強いか弱いのか。
効果で捨てるとコストで捨てるもよく分からないまま終わった。
大きな大会にでる訳でも、大きな出会いもなかった。
中古ショップでフォーミュラシンクロンがショーケースに置いてあった。
イラストもテキストも全てが分からなかった。
小学生の頃は何もわからなかったけど、兄のストレージを見せてもらった時の興奮を書いてて思い出した。
今の遊戯王を小学生が分かる訳ないと思うけど、分からなくても楽しいことってあるよな~と思った。
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