学生時代に褒められた作文の話

こんばんは、喰奴です。

今日は学生時代の作文課題で褒められた時の話です。
テーマは就職面接に関するビデオの感想文というものでした。

まずはビデオの内容から説明する。
学生時代のそろそろ就職を考える時期に、面接に関するビデオを聴講した。
面接におけるコツやエントリーシートの書き方について、面接講師が指導するといったものだ。
面接講師はロジカルで分かりやすく、ムカつく話し方をしていたのを今でも覚えている。

面接における「学生時代に力を入れたこと」に関するエントリーシートの指導についての項目だったであろうか。
講師の言った内容は多分こんな感じだった。
「学生時代に何もやっていない人間はいない、あなたが書けることは絶対にあるからそれを書けばいい」「あなたの人生を書けばいい」

これを聞いて、学生時代の私は酷く困惑した。
部活動、同好会にも所属せず、学内活動、委員会にも所属せず、バイトはしていたが大して努力もしていない。
ましてや成績も下から数えたほうが早い。

この時、私の人生は友人と比べて酷く空しく思えた。
学生時代に時間だけ与えられ、その時間で辛そうなコンテンツに一切取り組まず、努力もせず時間を浪費しただけという事実を実感させられた。

講師の言葉がただただ痛かったことを今でも覚えている。
面接の感想文にはこんなことを書いた。

「面接というものが、自分の人生のPRであるならば、それを否定された人間はどう思うのか、何社も面接して内定を得られなかった人間が自殺してしまうのは自分の人生を否定されたことと感じるからであろう。」

私があまりにも面接で書けることが無くて、面接が上手くいかなかった時の恐ろしさを想像で文にしたものだ。

こんな内容を書いて担当の先生から偉く褒められ、クラスで自分の作文が紹介された。明るい内容ではないので複雑だった。
先生から「この子はきっと伸びる子です」と評価をいただいた。

在学時に面接への不安が顕著なのは私だけで、みんな面接対策を伸び伸びやっていた。そのことが更に私を焦らせた。

面接が上手くいかないから駄目な人間になる訳じゃない、そう言ってくれる人が当時の私の傍に居たら大分救われただろうな。

面接の武器は何も無く、コンプレックスが育てた鋭利な感受性だけが手元に残った。

文章を考えるうちに気がついた。
このコンプレックスは現在進行形だ。
自分は何も持っていないという自覚。
人生で何も選択してこなかったこと。
自身が努力の勘定に入れるような経験は何もなかったこと。
ちょっと高めのレールの上を目指して生きてきた。

今、自分の人生が何をしたかったのか分からないまま時期に30代になる。
時折、無償に自分の人生を蔑ろにしたい感情に苛まれる。
今の積み重ねを壊して、しまえばそれが選択になるという感覚。
会社を辞めて金髪にしてピアスを開けたい。

私が欲しいのは「自分の人生を自分で選択をした実感」だということが分かった。
取り合えず金がある分には困らないから結局会社勤めは続けるわけだけど。
定期的にウダウダ考えてしまうので文章にしておく。

文章を足場として整理しておくと、そのことについて考えることから解放されて次の場所に行ける気がする。

今日は過去の経験から現在に続く自分のコンプレックスについて整理した。
オチとかは特にないです。


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