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広島県 鞆の浦…何と読む?

写真が行方不明になり(^_^;)

まずは三ヶ月続けることを目標に、このnoteを書き始めて一年が経ちました。最初は当月内にアップするように心掛けていたのだが、次第に月をまたいでの投稿が増えてしまった。まぁ自分にゆるく、が最近の信条なんで、とにかく楽しんで旅の思い出日記を綴っていこうと思う。続けることが大事!一年続けてきたというのに、未だカメラからPCへの写真の移動(取り込み? アップロード?)に苦労している。情けない…。
今回ようやく、このノートPCにSDカード挿せると判り、「楽ちん楽ちん」とデータをPCに移し、SDカード内のデータを完全に削除! した後に、写真を全て入れたはずのファイルが空っぽ💦  
「なんで~( ;∀;) これじゃ書けない」となったのだが、「もしかすると、写真に固執して文章がおろそかになっているという警告なのでは?」(-_-;)と思い、写真が無くても、言葉で情景を表現できるようにする訓練だと思おう!と。
したら何かどっかに入ってて、見つかった(笑)
やっぱり百文(聞)は一見に如かず、だよね~(≧◇≦)  あぁ良かった。

鞆の浦と言えばココ、というぐらいの観光スポット 常夜燈(じょうやとう)

潮待ち風待ちの港

広島は私の生まれた土地で、今でも「出身は?」と聞かれると「生まれたのは広島です」と答える。ただ、小学校に上がる直前までしか住んでいなかったので、記憶はおぼろげだ。ただ、母から幾度も「広島は良かった。住みやすい土地柄だった。」と聞かされて育ったので、《ふるさと》感がある。
社会人になってからは、出張で広島市や福山市を訪ねたり、友人と尾道や宮島に遊びに行く機会も度々あった。
若い頃、仕事で担当した福山市には何度も足を運んだのだが、この【鞆の浦】の名は、市内を走るバスの行き先表示や、道路案内標識でしょっちゅう目にし、その度に「何と読むんだろう…?」と気になっていた。訪問先の相手方に「とものうら、と読むんだよ。海沿いのきれいな観光地」と教えてもらって、一度行って見たい、と思ったものの、若い頃は上手にサボることもできずに仕事だけして福山を後にするばかり。
この度、ようやく念願叶っての訪問である。
福山駅に降り立ってびっくり。「え? こんなにお城近かった!?」
確かに福山は、お城とバラ園の印象が記憶に残っているが、こんなに駅のすぐ側で、しかも美しい姿だったかしら? 調べて分かったが、駅はかつての福山城三の丸跡地に造られており、2年前に天守閣のお色直しも行われたようだ。それにしても自分の記憶の曖昧さに我ながら驚く。
福山駅から鞆の浦までは、バスで40分ほど。
芦田川沿いを海に向かって下って行く。瀬戸内に育つと当たり前なのだが、他所から来た人は、海に向かっているのに、行く先に小高い山が見えるのが不思議だそうだ。実は山ではなく、島、なのだ。その地形を理解していないと、バスを乗り間違えたかと勘違いしそう。
バスを降りると、早速の絶景に感動。

今回宿泊するのは、リノベーションした旧い商家だが
ここは、おそらく鞆の浦で一番有名で大きいホテルのロビー

荷物を預けて、町を散策。夕飯までの時間でとりあえず廻れそうな所を探す。常夜燈を目指すとこんな風景。

いかにも昔の町並みがそのままの雰囲気
港町らしい看板が

案内MAPに従って常夜燈に着く。思ったより近く、これは町内を散策するのにそんなに時間はかからないかな、明日はもう一か所、別の行き先を探した方が良いかもしれない、とこの時は思っていた。
福山市教育委員会設置の案内板を見ると、常夜燈の漢字が【常夜灯】になっている。地元の人は【とうろどう】と呼んでいるそうで、燈の字も、もしかすると地元の方が使われる表記なのかも。
この鞆の港は、瀬戸内海の真ん中あたりで、潮の流れが変わる分岐線になるらしい。そこで潮流と風に乗って航海をしていた当時の商船が、ここで荷揚げをし、潮と風の変わる時刻を待って、元来た海路を戻って行ったということだ。
常夜燈のすぐ横が船着き場になっている。

雁木(がんぎ)と呼ばれる階段状の船着き場
潮の干満に合わせて、荷揚げがしやすいように工夫されている

且ては多くの廻船で賑わい、江戸時代には港の周辺に多くの豪商や廻船問屋が軒を連ねた。それらの歴史的建造物や美しい瀬戸内の風景、港町の文化を評し、2018年に国の日本遺産に認定されている。

坂を上れば見えて来る 瀬戸内海国立公園の多島美

宿の方に教えてもらった、医王寺に向かう。案内MAPで見れば、すぐ歩いて行けそうな距離だ。途中、交番を見かけたが、この町の景観に溶け込む趣のある建物だった。これもリノベーションかしら。
狭い路地を進むと、今度は白壁の立派なお屋敷が。先ほども見かけた【保命酒】の看板があり、どうやら造り酒屋のようだ。

実はこの建物、福山城から払い下げのあった長屋門と番所
明治6年 廃城となった福山城の名残を留める
びっくりするほど立派な龍の看板だったので、立ち入らせて頂いて撮影

お店の方に伺うと、【保命酒】は、江戸時代にこの地で生まれた薬膳酒で、みりんをベースに数種の薬草を漬け込んだものだそう。江戸時代に大阪からやって来た漢方医の中村吉兵衛が造ったとされている。当時は甘くて身体にも良い【保命酒】は高級酒とされ、容れ物も備前焼などの美術品のような陶器の徳利に入っていたそうだ。かのペリー来航時にも振る舞われたとか。
みりんに漢方の薬草、と聞いて、お屠蘇好きの私としてはぜひお土産に買いたいと思った。こちらのお店では、みりんも醸造なさっているらしい。
重たいのでお土産購入は明日にして、日の暮れないうちに医王寺へと急ぐ。

医王寺へは上り坂だと聞いていたが、どこから上がるのか行きつ戻りつして、道も細くて見つけるのに時間がかかってしまう。ようやく分かって坂を上るのだが、けっこうキツイ。ふうふう言いながら上った。
境内に着いて軽くお詣り。さらに上へ登ると『太子殿』という絶景スポットがあるらしいのだが、私はもうムリ。

上がった人だけが見ることができる景色❣
境内からの眺めでも充分満足

瀬戸内海は、《多島美》と謳われるが、空から眺めるとそれが本当によく実感できる。何度か、飛行機で瀬戸内海上空を飛んだことがあるが、たくさんの島々が穏やかな海に浮かんでいる様は、本当に美しい。特に海外からの帰りにこの景色を見ると、「ああ、日本は【美し国】だ」と誇りに思える。
境内の鐘付き堂に置かれたベンチで海を眺めていると、3人の女性観光客がお喋りしながら上がって来た。その3人に、案内役らしきおじさんがここから見る景色を説明しているので、聞き耳をたてる。他に人の姿は無い。
ジブリの「崖の上のポニョ」の作画スタッフが、ここでずっとスケッチをしていた、宮崎駿監督は、数か月、部屋を借りて鞆の町に滞在して「ポニョ」の構想を練ったんだ、など。ああ、なるほど、と思った。
「宮崎監督が住んでたのは、どの辺りですか?」私も話の輪に入れてもらう。聞けば、女性のうち二人は親子、もう一人の外国人の方は、たまたまさっき会って、お父さんと同じ国の人(確かに娘さんの方は外国人の血が入っている顔立ち)だったので話がはずんで一緒に上って来た、そして案内してくれているおじさんも、たまたま会って、ここが景色の良い場所だと連れて来てくれたとのこと。おじさんは、鞆の浦出身だけれど、今は別の町に住んでいるらしい。別に観光ガイドのボランティアをされている訳でも無さそう。
私が「ええっ? 皆さんお知り合いじゃなかったんですか?」と驚いていると、親子連れのお母さんの方が「そうよ。ただ道で出会っただけ。でもこういうのが旅の醍醐味よね~。」とおっしゃって、私も本当にそうだな、と思う。美しい景色を眺めながら、他愛もないおしゃべりをする、楽しい時間をありがとう。
この方たちに限らず、町の中で人に出会うと「こんにちは。」と声をかけてくれる方が多い。そして心地よい広島弁を聞かせてくれる。前からの私見だが、広島と静岡の人は、のんびりと優しく人懐っこい。穏やかな気候と豊かな恵みに育まれた人間性とでもいうか(全くの個人の感想です)。

常夜燈の反対側にあたる波止(防波堤)から  西の空は茜色  岬の上には淀媛神社

泊まった宿は、情緒たっぷりの元商屋で、大きな柱に支えられた天井が高く時代を感じる漆喰の壁の、しかし古さを感じさせない清潔なお部屋でした。

仙酔島に渡ってみた  

鞆の浦に行くと決めて、下調べをする中で、【仙酔島】には渡ってみよう、と決めていた。仙人が酔うほどの美しい島、だなんて!!
意気込んで渡船の時刻を尋ねると、意外にも1時間に2~3便はあるんじゃないか、とわりかしテキトーなお答え。渡し船の船着き場に行ってみると、なるほどお客さんが降りたら次のお客さんが乗って、しばらくすると出発、
ぐらいの間隔で頻繁に行き来している。乗船時間は5分ほど。船酔いする暇も無いほどあっという間に、酔える島に着く。

仙酔島へは、この船で渡る
この町に身を潜めていた坂本龍馬に因み、船名は『平成いろは丸』

医王寺から見た景色も、その中心に浮かぶのは仙酔島。
昨日お会いした親子連れから聞いていたのだが、今夏の台風の影響で崖崩れが島のあちこちで起こり、島の周りを巡る遊歩道が通行止めになっていた。非常に残念だ。
なので以下は、島内の案内板や調べた資料に依るもの。
この島は、およそ9千万年前の大規模な地球の火山活動によって形成された地層が判る断崖や、波に浸食されてできたいくつもの洞窟など、太古の地球のエネルギーを直接感じられる稀有な場所だと言われている。中でも青・赤・黄・白・黒の五つの色の地層が見られる『五色岩』は自然の作り出した強力なパワースポットだとか。
七福神や龍神の鎮座する神秘の島だ、という説も。
私が気になったのは、島の小高い場所が《中弥山・ちゅうみせん》《大弥山・おおみせん》と名付けられていること。平清盛は、本当は宮島でなくここ仙酔島に厳島神社を建てたかったのだろうか。
そしてもう一つ、仙酔島のすぐ側には、禁足地の弁天島と皇后島がある。
後ろ髪を引かれつつ仙酔島に別れを告げる。

仙酔島から皇后島を望む  なんだか神気を感じる

福禅寺・対潮楼~歴史民俗資料館~沼名前神社

仙酔島が短時間で済んでしまったので、それならば、と町の中の観光スポットを駆け足で巡る。
まずは【日東第一形勝】(日本で一番美しい景勝地)と朝鮮通信使が賞賛したという福禅寺・対潮楼からの景観を見に、坂を上がる。窓枠を額縁に見立て朱塗りのお堂が立つ弁天島や仙酔島、他にも広がる瀬戸内の島々の景色。この記事のタイトル写真がそれ。そして、夏至の日、春秋分の日、冬至の日、それぞれの日の出の位置が示され、四季折々の風景が想像される。畳に座ってじっくりと味わいたいところだが、ここは町一番の観光スポット、続々と人が集まって来る。
人混みを避けて、次は歴史民俗資料館を目指す。ここもまた、石段を上らねばならない。ここではちょうど【八朔の馬】の企画展が行われており、町内のいろいろな場所でチラシが貼られていた。旧暦の八月朔日に男児の誕生を祝い健やかな成長を願って行われている《八朔の馬出し》に使われる木製の白い馬の展示があった。

子供が数人乗れるほどの台に載せて、町内を引き廻す行事
大きいものは、馬の実物大である  

資料館は、かつての鞆城跡に建っており、高台から急な石段を急いで下りて、宿の方にぜひ、と勧められていた沼名前神社へ。
沼名前(ぬなくま)神社は、地元の人には「祇園さん」と呼ばれ親しまれている。海の神である大綿津見の命・須佐之男の命をお祀りしている。
ここは、キチンとお参りせねば、と本殿を目指すが、これまた長い石段が💦
一年を通してさまざまなご神事、お祭りが行われるそうで、中でも勇壮な火祭り《お手火神事》に使われる巨大なたいまつ【大手火】が展示されていた。
そして立派な能楽堂も備えているのだが、残念ながら戸が閉められ、中を見ることは出来なかった。

沼名前神社 本殿  なんだかカラフル!

このあたりで帰りのバスの時間が迫り、保命酒を買いに走る。
結局、鞆の浦だけを愉しんで帰途に就く形になった。最初、距離的に近いと思った場所も、高低差で体力と時間を要し、やはりここは【崖の上の】と形容される町なんだな、と。
そして3日ぐらい経ってから、足腰やひざに痛みがやって来た( ;∀;)
次からは、欲張らずにもっと余裕をもって旅しよう、と思う。

やっぱり鯛めしは、はずせません!  美味しかった~( ´∀` )

令和6年 9月の旅。







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