9月1日 (短編:20世紀の情景②)
9月1日
この日は40日ぶりにクラスメイトが再び顔を合わせる日。
18歳の40日は、外見も内面ともに大きく変わるのに十分すぎる期間だ。
特に部活を引退した男女はそう。
丸坊主だった男子やショートカットだった女子がそろって就職や進学に向けて一斉に髪を伸ばし始めている。
まだ数センチしか髪は伸びていないけど青々としていた男子の頭は黒くなり、ベリーショートだった女子も段を取りながら髪を伸ばそうとしていて雰囲気がガラリと変わっている。
教室の中に夏服の白いワイシャツを来た生徒が徐々に集まり、賑やかになってきた。
もうすぐ始業の時間だ。
その時、ガラガラと後ろのドアが開いて、誰か教室に入ってきた。
なぜか浮ついていた雰囲気の教室が一瞬にしてシーンとなった。
教室の入り口を見る。
ああ妙恵ちゃんか…。
みんなは知らないだろうが、俺はみんなが沈黙した理由を既に知っていた。
妙恵ちゃんとは幼馴染だ。詳しいことは知らないけれど、彼女は山の上にある寺の養女として、年老いた尼さん姉妹と一緒に生活している。
この尼さん姉妹と俺のおばあちゃんは仲がよくて、しょっちゅう料理をご馳走したりされたりしている。
小さい頃の妙恵ちゃんは、おてんばで一緒によく遊んだけど、大きくなると物静かで全く目立たない子になってしまった。
いつも大きなメガネをかけていて、長く伸ばした髪はピッチリと分け目を作って2本の三つ編みにしている。
だけど、おばあちゃんはいつも「涼しげな目鼻立ちをした美人だ」と褒めている。
要するに今風の流行りには取り残されているのだろう。
妙恵ちゃんは毎日山道を歩いて、ふもとにある俺の家までやって来て、そこに置いてある寺の原付で中学校に通っている。
お寺のお手伝いをしているから、部活もしないで学校が終わるとすぐに帰っていたし、休み時間もだいたい1人で読書をしていて仲のいい友だちもいない。
だけど、今朝は違った。
クラス中の目が集まって、何人かは「どうしたの」って即座に話しかけている。
妙恵ちゃんは髪を全部剃り上げたツルツルの坊主頭で登校してきたのだ。
夏休みが始まって数日が経った日のこと。
俺はおばあちゃんに大きなスイカを2つも持たされて、山の上のお寺に行った。
沢の水の音と蝉の声だけが聞こえる夕方の山。
小さい門をくぐると、作務衣を着た見慣れない丸い頭をした尼さんが柄杓で庭木に水をやっていた。
誰だろう。近づくと「こんにちは」と聞き覚えのある声がした。
よく見たら見覚えのある大きなメガネをかけている。
なんと丸い頭の尼さんの正体は妙恵ちゃんだ。
「あらー妙恵ちゃん。髪を落としちゃったのねえ」
おばあちゃんはありがたそうに妙恵ちゃんの手を握った。
妙恵ちゃんはちょっと困ったように
「はい。今朝剃っていただきました」と頭をさすりながら答えた。
そして俺に言った。
「変でしょこの頭」
俺は言葉に詰まった。
頭の形はきれいだし、決して似合っていないわけじゃない。
だけど髪を失ったばかりの女の子に「似合っているよ」と軽く言えない気がした。
長い髪を全部剃り上げて今まで隠れていた頭皮が剥き出しになり、恥ずかしげな妙恵ちゃんを見ているとなんだか裸を見ているような変な気持ちになってしまう。
しかも頭皮に太いメガネのツルが横切っていて余計に不思議な感じだ。
おばあちゃんは妙恵ちゃんの頭を「ありがたい頭だねぇ」とすりすりと撫で始めるから、俺はたまらなくなっておばあちゃんの手を掴んで、庵主さんがいる場所へ急いだ。
妙恵ちゃんは坊主頭の上に手ぬぐいを被り夕ご飯の手伝いを始めた。
きっと俺たちに見られるのが恥ずかしかったのだろう。
ご飯を食べ始めても頭からその手ぬぐいを取ることはなかった。
庵主さんが「18になったら本格的に修行をさせることに決めていて、夏休みの間、京都の寺に行かせることにした」と話している。
そのために今朝、偉いお坊さんが来て、髪を剃ってもらったらしい。
年頃の女の子が髪を落とすにはさぞ辛かっただろうが、妙恵は泣かなかった。立派だったと褒めている。
そして妙恵ちゃんは立派な尼僧になるためにお寺に住み込みながら京都の大学に通わせてもらうそうだ。2学期が終わったら関西の方に引っ越して生活を始めて、たぶん卒業式にも出ないと言っていた。その後大人になってもたぶんここに戻ってくることはないだろうとも…。
妙恵ちゃんは横で黙って話を聞いている。
このことは妙恵ちゃんが自分で決めたことなんだろうか。
今までもお寺の手伝いばかりで遊んでいなかったし、これからも坊主頭でずっと修行をしなきゃいけないなんてかわいそうだと思った。
だけどなにも言えなかった。
8月の終わりに妙恵ちゃんが「修行から戻りました」と家に京都のお土産を持ってやってきた。青白かった剃りたての頭が日に焼けて馴染んでいたし、少し痩せた妙恵ちゃんがすごく大人に見えた。
チャイムが鳴って、先生がやってきて全員が席につく。
俺の席は彼女のすぐ後ろの席だ。
どうしても妙恵ちゃんの丸い頭がどうしても視界に入って気になってしまう。
至近距離で見ると短い髪が頭皮全体にゴマ塩を振ったようにブツブツと存在していて、カミソリの小さな切り傷が2、3カ所あって赤くなっていた。
あんなに長かった髪をどんな感じで剃ったのだろうかとか、剃られている間妙恵ちゃんはどんな気持ちだったんだろうかとか、あれからはどんな気分で自分の頭を剃っているんだろうかとか妄想が広がって興奮を覚えてしまう。
恋心とはまた違う何か悶々とした感情だ。
俺はこの日以降、坊主の女性に興奮を覚えるようになってしまった。
冬休み以降、妙恵ちゃんは学校に来なくなったし、寺にもいなくなった。
坊主頭になった後、2学期の短い間妙恵ちゃんはクラスメイトと少しだけ打ち解けた感じになって、文化祭にも参加して女子と楽しそうにおしゃべりをしていた。きっと最後の思い出作りだったのだろう。
俺も何回か彼女と話をする機会があった。
だけどよそよそしい態度をとってしまって上手に話せなかった。
あれから30年近く経った。
妙恵ちゃんはどこで何をしているだろう。
9月になると思い出すのだ。
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