Queensboro Bridge
2019年の4月、凍てつく冬が終わった頃、ニューヨーク。クイーンズのアパートにも少しずつ明るい日差しが感じられた。
自分が生まれ育った場所とは対極のこの街で過ごす日も限りがあった。そして、自分の年齢でできることにも限りがあった。
酒も買えない。正確には飲みたいという気分にもならなかったけれど。Marlboroも買えなかった。ただ、隣の部屋の台湾人が何故か割引いてくれる。
彼がどうやって安くタバコを手に入れているのか、そもそもどうやって生きているのか気にはなったけれど、結局よく分からない。確かなのは、彼には子供がいたらしいことくらいで。
この国において、移民でもない自分は何にもカウントされていない。不安と自由は両立した感覚。
誰も知らない、誰も自分を知っていない、何者にもなれないとてつもなく大きなこの自由のなかで。
ダンキンドーナツのグランデサイズのカップが飛び散ったエルムハーストの90th Street。
マンハッタンへ向かう海峡を渡りながら軋む7号線。ここに行く目的なんて後から考えればいい。
そして街で目にした自転車に飛び乗る、深夜2時。
ルーズベルトアイランドの鉄橋を駆け抜けながら、頭の中ではSupercutを流している。
横目に見えるマンハッタンの摩天楼の輪郭線を前にして、すべての意味は消えていってしまう。例え、何もかもが不均衡で、虚構で、矛盾していたとしても、この街の持つ輝きの美しさに永遠にすがり続けていたい。騙され続けていたい。
振り返って、すべての思い出は美化されて、ただの切り取られた思い出になるのだとわかっていても、この景色をみるために、そのためだけに再びここに戻ってこよう。
この国の酸素を、思い出を、この瞬間を切り出していく。苦しささえも昇華してくれる。
ペダルを漕ぎ続ける。そして空を見上げてみる。
満月だった。
気づかなかった、いや、正確には見ようともしてなかった。私は何者でもないかもしれない。けれど、何者かになれる日が来るかもしれない。
想像していなかった未来を生きている。
自由の味がする愛しい街、Qeensboro Bridgeの上で。
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