汽船
きっと15年位前の元旦、世界一の橋を超えて、冬が染みていく海岸のそばで。
この町の朝は早い。家と同じ数だけ漁船があるそんな集落に、珍しく人が集う特別な日。
おせちの中段の蛸と大皿に乗る鯛は、当然のようにこの町の誇りだ。りんごジュースと言われて飲んだのは日本酒だった。そんな陽気な時間と家族と共に。
VHSテープのようにリフレインされていく。記憶はいつまでも都合がいいものだから。
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それから何年が経ったのだろう。もう数えることもできない。
彼岸花と蝋燭と共に御影石を磨く。墓参りは善行を貯めるポイントカード。私はほとんど貯めることはできていないけれど。
愉快な記憶はいつの間にか、埠頭と漁船のあの海の隙間に捨ててしまった。後悔もなく、愛おしささえも。
この島を去って随分経った。当時の「陽気な家族」が私に言う。
「あなたは東京で十分好き勝手してたんだから、これからは嫡男らしくもうちょっと賢く生きなさい?」
「陽気な家族」は何も知らずに同じ時間を違う場所で生きていた。だからこそ、抽出された理想を語ることができる。
ディキンソンの一節がよぎる。
「失う術を習得するのは、難しくはない
二つの素晴らしい街を失くした。更に広大な
いくつかの領土、二つの河、一つの大陸も。
どれも懐かしいけれど、大惨事に至りはしなかった。」
私は大陸は失っていない。けれど、失うことは難しくはなかった。いや、正確には、もう必要のないものは捨ててしまった。VHSは懐かしいけれど、擦り切れてしまえば無価値になる。
縁のなかった都会で過ごした年月を、そこで出逢った愛する人を、今は抱きしめていたい。
「そうですね、いい歳ですし、そうするようにします。」
声と共に固唾が喉を伝う。口角を上げて、空虚を語ろう。
抗う必要はどこにもない。海に捨ててしまおう。
ただ、一つ、失っていない。
同じ行き先、世界一の橋の上は通らずに、海の上で空虚でない風を感じたい。「陽気な家族」になれなかった母と乗った船の思い出。
播淡汽船、岩屋行き。
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