『部品メーカー残酷物語』第八話 ©99right
第八話「1時間前行動」
この日、私はタコ部屋の誰よりも早く起きなくてならなかった。マッチョ係長から指定された集合時間が朝7時だったからだ。
当時この会社の始業時間は8時だったので、富江達同部屋の連中はおおかた朝7時に起床する。着替えて朝食を摂り、8時に現場に行くのには一時間もあれば十分だからだ。
この頃、私達新入社員は人事部の指揮下に入っていた。一部私のようなデザイナーという専門職の人間を除いて、残りの全員がまだ配属先は決まっていない。つまり私達の上司はマッチョ係長だった。
突然ですが、読者の皆さんは「5分前行動」という言葉を聞いたことがあるだろうか?
これは、当時の〇〇グループ内で極一般的に使われていた言葉である。
「5分前行動」とは、例えばミーティングの開始時刻が13時ならば、5分前の12時55分には会議室にいるように行動するということである。
途中で忘れ物をしたことに気づいたり、トイレに行きたくなったりと、何か突発的なことが起こるかもしれないと事前に想定し、常に余裕を持って行動するように、という意味である。
ところがこの会社の人事部は、私達新入社員に対して常に「1時間前行動」をするように要求した。何をするにも一時間前倒して行動するようにと命じたのだ。
会社の始業時間は8時だが、この日はその一時間前の7時に集合しろと命じた。もちろんマッチョ係長も芋洗係長も同じく7時には集合場所にいる。なので私達新入社員は彼らが来る前、指示された7時のさらに5分前に集合しなくてはならない。もちろん少々遅れてくる者も出るが、そう言う者にはあちこちから冷たい視線が向けられるのは言うまでもない。
さて問題は、始業時間の一時間前、7時に集合したとして何が起きるわけでもないということだ。朝7時、誰も出勤していない早朝に、全員が集合して乗り込んだバスはゆっくりと走り、○知県の山奥にある〇〇自動車の研修所に向かう。バスの中で何が起こるわけでもないので、わざわざ7時に集合する意味など特にないのだ。
ただ人事部の人間は、こう言う特に意味のない指示を出し、それにどれだけ従順に従うかを見て、私達新入社員の忠誠度を測るのである。
このバスの中でこれから三日間の予定が配られた。
ざっくりと予定を書くと以下のような内容だったと思う。
初日
7:00 集合
バスで研修所に到着
11:00 ミーティング
昼食
午後 各部署の説明会
夕食
夜 外部企業による研修
二日目
朝食
8:00 ミーティング
午前 外部企業による研修
昼食
午後 秘書検定試験
夕食
夜 外部企業による研修
三日目
朝食
8:00 ミーティング
午前 発表会
昼食
午後 総括
夕食 人事部主催の打ち上げ
予定表によると研修所に到着した我々は、11時にミーティングルームに集合しろと書いてある。しかしバスを降りた我々新入社員は、各自指定された部屋へ急いで移動し、荷物を投げ入れてミーティングルームに小走りで向かう。「1時間前行動」を指示されているので予定表に書かれた11時ではなく、10時にはミーティングルームにいなくてはならないからだ!
入社日当日に人事部は「5分前行動」では無く「1時間前行動」をしろと指示しているので、マッチョ係長も芋洗係長も黙ったままだ。二人は特に何も言わずに10時にミーティングルームに入っている。そして黙って誰が10時にミーティングルームに来るか、11時に来るかを見ているのである。
わかるだろうか? 彼らの異常さを……。
私は、この人事部が何をやろうとしているのか最初から気付いていた。朝はバスに乗り遅れたくなかったので嫌々ながらも7時に集合したが、この研修の三日間、私は常にこのいやらしい人事部にことごとく反発した。
こんなに意味の無いことをする気が全く無い私は、堂々と10時55分、つまり「5分前行動」で一人ミーティングルームに入った。
もちろんマッチョも芋も、そして同期達も全員が私のことを冷たーい目で見た。
(続く)