社会不適合者?
喋らないでじっとしていたら死ぬ、なんて病気があればきっと私はその病気にかかっているだろう。
このコロナ禍でバイトもせずただひたすら1年間就活試験に向けて勉強をし、つい先日試験が終わったあたしにはこれから始めるバイトもなにもない。ただひたすら一人暮らしを謳歌する日々だ。
世の中に貢献して働いている人には申し訳ないが、暇というのも一定を超えるとただひたすら辛いものがある。特になんの趣味もやることもないあたしにとってやることを見つけることがひとつの仕事かとしれないが、行きたかったトレーニングジムはコロナで潰れるし、家の周りにスーパーやコンビニがあるため遠くまで買い物に行くこともなく、それに加え田舎に住んでいるくせに車がないときたら、本当にもう、どこにも行けぬ状況にある。
友人と会いたいとは思うが、1年も就職試験で放ったらかしにしたあげく、アルバイトもしていなく、親の仕送りでくらしてるあたしは、気軽に遊びにもいけないし、コロナ禍だからもちろん飲みになど行けるわけもない。
今まで家にひきこもってた私は、コロナとは、無縁の生活を送っていた。そのためとても怖い病気の認識がぬけない。もちろん就職試験がおわったため、前よりは警戒はとけたものの未だに怖いものである。
話は冒頭に戻るが、あたしは1人で静かに黙って生活することが苦手だ。去年とっていた心理学の講義の中で大人のADHDというものをしった。その講義のなかにはセルフチェック項目があり何となく見たその内容はあたしそのものと言っても過言ではないほどあたしの性格に、ベストフィットしていた。まあ、よくあるネット診断と同じで大体の人が当てはまる項目が書かれていたのかもしれないが、何となく納得してしまう自分もいた。
たしかに幼いことから落ち着きがなく、よく言えばアクティブガールではあったし、高校生まで体育の体力テストでは学年女子1位をとるくらい運動には自信があった。しかし運動ができるからと言って、ASHDだとおもわないし、22年間色々あったもののこれと言って生きてく中で不便を感じたことはない。
しかしそれは今まで大して責任を持たない、学生や、アルバイトという立場だったからでは無いのかと、私は思う。社会に出れば責任の重さが変わるものだ。学生では課題の出し間違えは、大してダメージのあることではないが、社会に出てそれが通じるのだろうか。、さいきんはそんなことを考えるばかりである。