将来の夢は哲学者?!?!?!
大学院に合格した。哲学コースである。
身内ネタで「不祥事大学」とも称されるほど不祥事が多く(僕はこういう呼称はあんまり好きではないが)、ともかくあんまり学生目線であるとは思えない弊学の合格発表は、印刷して張り出された10.5ポイントのゴシック体だった。目が悪い僕は、人だかりの外からでは確認できず、とりあえず写真に撮って拡大した。
あった。
ある。
忘れていた雨の音が聞こえてきた。ひとり、スマホに映された小さな受験番号を確認して、濡れながら図書館の下まで行った。「え、意外と少ない」「○○さんは?」みたいな喧騒の中で、喜びを明らかにした当事者であることは避けたかった。
図書館の下で、とりあえず合格報告メールの雨あられである。音楽の先生を親に持つ僕は、音楽界スタイルの師弟関係を仕込まれてきた。こういう時は、いち早く先生にご連絡入れなさい。けなげにも「合格したら即連絡リスト」まで作っておいた僕は、リストにある通り順々にご連絡申し上げた。ありがとうございました。お世話になりました。おかげさまで無事合格することができました。等々。「即連絡リスト」のひとびとに全員連絡を入れた僕は、次にtwitterを開いた。息つく間もなく、友達たちからおめでとう!!のメッセージ。電車に乗っても続く、自分はこんなに友達に恵まれていたのか、と思うほどの間隙のないやりとり。…
とんでもないことをしてしまったのではないか。図書館くらいから抱えていた疑念が、ようやく鎌首をもたげてきた。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE065FY0W2A500C2000000/?n_cid=SNSTW005
こちら、僕がずっと死ぬほどネタにしている日経新聞の記事である。タイトルだけでわかる通り、学者は茨の道なのだ。ましてや、人文系博士の正規就職率は、50%である。これから、学を積み重ねて行けば行くほど、安定した就職と収入のある人生は遠のき、経済的負担の大きい「夢追い人」になるのである。その一歩を、ついに踏み出してしまったのだ。人文系博士の正規就職率は、50%なのである。
「もはや将来の夢は歴史家って言ってる」と言われて、ハッとした。同期に、なぜか同じように愚かなことを考え、歴史学を学ぶ尊敬すべき変人がいる――アッラーのご加護がありますように――のだが、合格報告と「お先真っ暗」自虐をかましたら(ここらへんは大阪人の呼吸である)そう言われた。確かに、開き直るしかないのかもしれない。
高校の先生に、言霊をやたら推してくる先生がいた。理科の先生なのに、「ええか、志望校は口に出して言うんや、それが合格を引き寄せるんや!」当時妙にリアリストだった僕は真に受けてはいなかったが、今となってはその意味が分かる気がする。言葉は、周りのひとびとを巻き込んで、良くも悪くも私を縛るのである。どうせ本気の夢なら、そうして叶えに行くのもやぶさかではない。
「将来の夢は哲学者です。」
ちょっと笑ってしまうくらい、お馬鹿な響きがする。なんとも、間の抜けた表明にしか思えない。宇宙飛行士とかのほうが可愛げがあるし、それと同じくらい叶いそうにない。小学生のころに夢なんぞ特になかった21歳、ここにきての所信表明である。「もはや」という接頭辞がこれほどしっくりくる言葉もない。「もはや将来の夢は哲学者です。」、これが正解。でも、そうやって親はもはや音楽家になってしまって(「それしかなかった」らしい。その気持ちももはやわかる)、そうやってご学友はもはや歴史家になろうとしている。
なんとも、この「もはや」は人生の決定について回るのかもしれない。夢追い人は、いろいろあって、もはや夢しか追えなかったような人の称号というほうが、概して正解かもしれないと思う―――もちろん例外はあろうが。
というわけで僕は、もはや誰も将来の夢を聞いてこなくなったこの歳に、もはや将来の夢は哲学者ですと言わざるを得なくなった。誰も聞いてこないのに。この若干のイタさと、結構な孤独を抱えながら、毒食わば皿まで、哲学者になると言い続けるか、と決心を固め終わったので、ひとまずこうして文章にしたためておくことにした。