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【90年代小説】 シトラスの暗号 #4
正門前の坂道から、「ファイオー、ファイオー」と、ランニングの掛け声が聞こえてくる。たぶん野球部か卓球部あたり。
うちの野球部は、強くはないが弱くもない。県大会ではいつもベスト8に勝ち残る。でも、決してそれ以上に進んだことがないのだった。
中途半端に頭がいいからだと、誰かが言ってた。
うちの学校の偏差値はだいたい64くらい。一流とはとても言えないし、かと言って三流では断じてない。二流なのだった。
だから中途半端で、スポーツにも勉強にも絞れずに、どちらもそこそこになってしまう。なるほどな、と思った。当たっているかもしれない。
そしてそれは、そのままS高校の校風を指しているようでもあり、同時に、わたしがこの学校を嫌いな理由でもあった。
中途半端って嫌いなんだ、わたし。
「実はねえ、真実、皆様にお目にかけたいものがありますのよお」
わたしの3回連続大貧民が決定したところで、真実が言った。
可愛らしく小首を傾げて、にっこり笑う。シュークリームの上に生クリームとイチゴをトッピングして、あんみつの中に浮かべたような笑顔。見ているだけで胸焼けしそう。
「貴乃花の使用済みまわしでも手に入れたんか?」
平然とした顔でお下劣なことを言う美奈に、上目遣いの視線を送って、
「ちょおっと違うわねーえ」
学校指定のサブバッグをゴソゴソやる。紺色のファスナー付き布バッグ。校章が目立って恥ずかしいから、みんな前後逆にして持ち歩いている。
語尾をいちいち甘ったるく伸ばすのは、お相撲お嬢様真実の癖。ほら、なんたってお嬢様だから。
「ジャーン! ほおら、すっごいでしょお」
若草色の地に、スヌーピーのイラスト入りの表紙。日本で1番店舗数が多い(らしい)銀行の通帳だった。
「何? パパにもらったお年玉がとうとう7桁超えたとか?」
「いや、アメックスの支払いが100万超えたとか言うのかも」
「ウッソー! 弁護士ってそんなに儲かるの?」
「当ったりめえだろ。悪事の片棒担いで金儲けしてんだから」
各々勝手なことを言う。
「ちょっとお、パパは悪いことなんかしてないわよお」
と、パパっ子の真実。
「なんだ、おはじめ1万円しか入ってないじゃん」
中を見た美奈が、つまらなそうに通帳を放り出す。
「お嬢様のくせに、貯金なんかすんなよなあ」
すると真実は含み笑いをしながら、表紙の一部を指差した。
「ダメよお。ちゃあんと見てくれなくっちゃ。ほらほら、こ・こ・よ」
ガッターン!
真実の手から通帳を奪い取った佐智子が、スチール椅子を蹴倒して立ち上がった。クサい学園ドラマじゃあるまいし。
「何よ、この〈榎木シュージ様〉ってゆーのは!?」
ゲーッ! 結局そこへ戻るのか。マジでブルー入ってくる。
「うちのワンコよおん。ラブラドールのシュージくん」
そういう話もあったっけ。
榎木家のペット、5月の初めに彼女のパパが知人からもらってきたという、ラブラドール・レトリバーのオスは、シュージと呼ばれている。
が、初めからそういう名前だったわけではないらしい。
もともとは、小学6年になる弟の希望でもらい受けた子犬なのだ。当然、命名権は彼にある。
ところが、彼が付けたMAXという名前が家族内に浸透し始めた矢先。織田修司に熱を上げた真実が改名させたのだと言う。
それも、エアマックスだかG-SHOCKだかのレアモデルを握らせて、力業で寄り切った形でだ。
迷惑しているのは、当のお犬様だと思われる。
いくらアイドル大好き小学生らしい安直なネーミングとはいえ、やっと覚えかけた自分の名前を、本人(犬)の希望も聞かずに、しかもおよそ犬らしからぬ名前に変更されてしまったのだから。
もっともそのお陰で、裕福な弁護士家庭のペットにしても分不相応な、銀行口座所有者(犬)になるという恩恵に浴せたのは、不幸中の幸いと言うべきか。
ちなみに、犬のシュージくん名義のその預金が、果たして彼のために使われることがあるのかどうかは、定かではない。
それから、これは余談になってしまうけど、真実の弟の名前は正義くんと言う。
弁護士の子供の名前が真実と正義。
榎木姉弟の思い込みの激しさは、父親からの遺伝と考えてまず間違いないだろう。
真実はさらに、バッグの中からモスキーノのお財布を取り出した。口金がハート型になってるやつ。
あれもきっとパパにねだって買ってもらったに違いない。
「それでねーえ、一緒にキャッシュカードも作ったんだけどお」
プラスチックのカードを得意げにかざす。
「実はねえ、暗証番号が、4711なのよお。キャーッ!」
手のひらでプクッとした頰をはさんで、頭をブンブン振り回す。耳からカスタードクリームが飛び出すんじゃないか。心配になる。
このパワーは一体どこから湧いてくるんだろう。恋をするってすごいことだよね。見てるこっちが疲れちゃう。
それはそうと、4711って何だっけ。
「その4711って何なのよ」
ポケベル用の暗号だったかな。思い出せない。
「ニブいわねえ。サーヤったらあ。シュージの誕生日よお」
「え、あの、犬の?」
「バカかお前。25歳の子犬なんて居るわけねえだろ」
叱られた。ボケたつもりは毛頭ないのに、ものの見事にスベってしまった。
それにしても、美奈は口が悪すぎる。これではお里が知れるってものだ。足立区民がみんなこうだとは思いたくない。
すっかり興ざめした顔の織田修司親衛隊を前に、ひとり疎外されたわたし。ペット預金なんてふざけた商品を作った某銀行を、思わず恨んでしまった。ゴメンねスヌーピー。
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