【4711】 情熱の赤いバラ end
「じゅんじゅん、彌とは? しないの?」
「んー? えっち? しなーい」
「なんで?」
「帝は雲の上の人よ。あたしのファンタジーなの。帝があたしみたいな雑魚客に枕営業かけるようじゃ幻滅よ。夢が壊れちゃう」
「ええー、じゃあ俺は? 雑魚ホスト?」
「ヒカルくんはあたしがしたいんだもん。ファンタジーじゃないの。リアルにしたいのよ」
……よくわからない。
でも、手っ取り早く落とそうと思って枕営業してた俺は、雑魚ホストだろうな。
「ねえヒカルくん、もしあたしが帝の客じゃなくて、フリーの新規だったら枕した?」
「したと思う。いや、落とせると思ったら絶対してる。あの頃は、指名が取れるなら、金になるならなんでもよかったんだ。相手がじゅんじゅんなら、なんのためらいもなくしてたよ」
じゅんは俺の安らぎだった。
もし枕なんかしてたら、そのまま好きになっていたのかもしれない。
ホストと泡姫なんて、最悪のカップルだ。絶対うまくいかない。
「ふうん」
じゅんは上目遣いで俺を見て言った。
「うれしい。けど悲しい」
「悲しい? なんで?」
「あの頃しちゃえばよかったよ」
「それはマズイよ。彌と揉めるだろ」
「うーん、いろいろめんどくさいよねー。もう六本木通いなんかやめて、どっか地方に移っちゃおうかな。雄琴とか、金津園とか」
「じゅんじゅんはずっと仕事続けるつもりなの?」
「OLなんかはやる気ないけどさー、さすがに40過ぎたらこの業界じゃきついよね。もっと安いお店に移るか、デリに鞍替えでもしないと」
「でも結局そっちなんだ」
「だって他の仕事したことないもん」
「ホスト遊びやめれば普通の仕事でもやってけると思うけどな。売り掛けないんだろ?」
じゅんは何かしばらく考えている風だった。
「去年ね、お客さんと結婚してお店辞めた子が居るの」
「へえ、居るんだな客と結婚する人」
「うん。もう業界上がるねって言って、すっごく幸せそうだったのにね。戻ってきたのよ、春に」
「え、早っ」
「それがさ、どうも離婚したわけでもないみたいでさ。じゃあ旦那さん公認で働いてるわけ? って」
「公認て言ってんの?」
「気まずくて誰も訊けないのよ。公認でも内緒でも、どっちにしろ不幸じゃん。サラリーマンのお給料じゃやってけないのかなあ」
「確かに、君たちの収入と比べたら少ないだろうなあ」
「あたしはあんな風になるのやだ。一度高いお給料もらっちゃったら、もうそれに慣れちゃってお金ないと暮らせないんだよ。だから、稼げるうちは稼がなきゃ」
「無理すんなよ。デスクワークなんかよりよっぽどきついだろ。体壊したらお終いだからな」
「ありがとう。まだあと10年はイケると思うよ。40近くなったら考える」
「じゅんじゅん、すごいな。尊敬するよ」
「えー、なんでー? ヒカルくんの方が全然すごいよ。きっちり昼職やってるじゃん」
「別にすごくないの。ホストより全然楽。チョー楽」
「ふーん、そーなのぉ?」
店員が空いた食器を下げに来た。
「長居しちゃったねー。そろそろ帰ろっか」
伝票を取ろうとするじゅんの手を制して、先に取り上げた。
「俺はもう学生じゃないんだ。払うよ」
「マジでー。ありがとう。ごちそうさまー」
店を出て原宿方面に歩く。
「まだ上野に住んでる?」
「うん。ヒカルくんは? 大学の近くだっけ?」
「そう。地下鉄の千駄木」
既に日は西に傾きかけている。昼間のむっとするような暑さは収まっていた。
若い子でごった返す竹下口に比べて、表参道口は多少人が少ない。
上野までの切符を買ってじゅんに渡す。
「ありがと、ヒカルくん。会えてうれしかった」
「俺も。会えて良かったよ」
「ほんとぉ〜?」
「ほんと。昔のこといろいろ思い出したし。忘れちゃいけないことってあるよなって思った」
疎ましくもあり、愛おしくもある3年間。
親子ほど歳が離れてはいたが、説教めいたことはひとつも言わずに俺を許容してくれたあの人は絶対的な存在だった。そのお陰で、俺は憎んでいた世界を受け入れられるようになった。
他を許容するためには、自己が許容されていると実感することが何よりも必要なんだ。それがあの3年間で俺が学んだことだ。
だから次は、俺の大切な人に同じことを教えてあげたい。あの人がしてくれたように、何もかも受け入れて。
「ね、これ、今日会えた記念にあげる」
「テレカ?」
印刷された画像をよく見て吹いた。
店名の下で手ブラのじゅんがこっちをみて微笑んでいる。
「ちょ、鼻血出るからやめて!」
「アハハ、特別なお客さんにしかあげないやつだよ」
「……せいら? これが源氏名?」
「うん。18で入店したから、ついこの間までセーラー服着てましたよって」
「ふーん」
スケベなオッサンがゾロゾロ来そうだな。
「じゃね。ピュアな恋愛頑張って」
「おう、じゅんじゅんも体気を付けて」
「振られたらお店来てね」
「う、か、考えとく」
「じゃあねー」と手を振って、じゅんは改札の中に消えた。
地下鉄への階段を下りながら、ふと邪な考えがよぎった。
惜しいことしたかな。
いやいや、ダメダメ。一時の気の迷いが命取り。
こんなくだらないことでいまさら彌と揉めたくないし、誠実でいたいって吐かしたのはどこのどいつだったっけ?
ま、俺も健康な普通の男ってことで。
たまには俺から電話してみるか。すげえデザート出す店見つけたよって。
俺はわざとらしくない誘い文句を考えながら、改札への通路を歩いていった。
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