朝日の当たる家 (02)
ドラマ『秘密の森』+東野圭吾著『容疑者Xの献身』の二次創作です。
(4)
ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、家庭裁判所に行って、キムジングの離婚調停の記録を調べた。
キムジングとイジョンアとは、5年前に離婚した。
キムジングは、6年前まで、高級な輸入車を販売する会社に勤めていた。
イジョンアは、10年前に離婚して、クラブのホステスをして、娘のミリを育てていた。8年前、キムジングと再婚して、勤めを辞めた。しかし、キムジングが失業すると、再び、同じクラブに勤めるようになった。
キムジングは、妻が稼いだ金を奪って賭け事に費やした。イジョンアが抗議すると、彼女に暴力を振るうようになり、そのうえ、子供にも暴力を振るうようになった。
記録によれば、イジョンアが仕事に行っている間に、キムジングが暴言暴力を繰り返すので、まだ小学生だったミリが逃げ出して、母親の勤め先に駆け込んだ、とあった。
イジョンアはミリを連れてアパートを出て、チムジルバンに泊まり込み、弁護士を頼んで、離婚したのだった。
ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、キムジングが6年前まで勤めていた輸入車販売会社に行った。キムジングは、そこには20年以上、勤めていた。
ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、キムジングについて、ひとりひとりの社員に、尋ねて回った。
キムジングは、腕のいいセールスマンだった。稼ぎも良かったが、金遣いも派手だった。そして、行きつけのクラブのホステスのイジョンアと結婚した。
そのときの結婚式の写真を、社員の一人が、今も持っていた。その社員の家まで行って、結婚式の写真を見せて貰った。
皆で撮った記念写真の真ん中に、キムジングと、その妻のイジョンアと、イジョンアと前の夫との間に生まれた娘のミリがいた。
住民登録によれば、キムジングの両親は、この時、既に亡くなっていたが、弟がいたはずなのに、皆で撮った記念写真にいない。チャンゴン刑事が尋ねると、そんな人は来ていなかったと思うと、写真を見せてくれた社員は答えた。もっとも、その弟というのも、去年、亡くなっているが。
この結婚式の2年後、キムジングの横領が発覚した。横領は、何年も前から続いていたのだった。長年の横領を見抜けなかった上司たちが、責任の追及を恐れて隠蔽し、訴訟にはならず、ただ、キムジングは解雇された。
キムジングと暮らしていた当時、イジョンアが勤めていた店は、ウィルス感染症のパンデミックの対策で外出規制が布かれたときに、営業を停止していた。しかし、現在は、営業を再開している。
ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、その店に行って、マダムに話を聞いた。
イジョンアは人気があるホステスだったが、キムジングに暴力を振るわれていることは、化粧で傷跡を隠しても、同僚たちには、わかっていた。キムジングが、イジョンアの給料日に彼女よりも先に来て、給料を受け取っていったこともあった。今のマダムは、その頃はホステスの一人だったので、後からその話を聞いて、自分のことのように、悔しい思いをした。イジョンアの贔屓客のなかに、キムジングの暴力に気づいた人がおり、離婚を勧めて、弁護士を紹介した。それで、イジョンアは、キムジングと別居し、次いで、離婚を成し遂げた。イジョンアとミリとは、泊まり込んでいたチムジルバンを出て、ヴィラ(低層集合住宅)に入った。
しかし、離婚した後も、キムジングは、イジョンアの勤めている店に来たり、イジョンアと娘のミリが住んでいるヴィラ(低層集合住宅)に来たりした。イジョンアが、店の人に庇って貰って、キムジングが来ても、会わないようにすると、彼は、ミリを、小学校の近くで待ち伏せした。
イジョンアは、キムジングが強引に家に入ろうとするので、警察に通報したことがある。だが、警察は、ちゃんと対応してくれなかった。
そういうことが繰り返したので、イジョンアは、引っ越しして、ミリを転校させ、勤める店を変えた。他にも、その店に移ったホステスがいて、今は、そのホステスが、マダムになっている。
イジョンアとミリとが、キムジングとの離婚成立後、チムジルバンを出て、最初に住んだのは、高陽市徳陽区のヴィラ(低層集合住宅)だった。
ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、地元の警察署を訪ねた。イジョンアが通報した記録が残っていた。
キムジングがアパートに来て、金をねだって帰らない、というのだった。対応した巡査は、キムジングを派出所に連行して、彼の話を聞き、今後は金の強要をしないようにと注意して、帰していた。
その後、また、イジョンアからの通報の記録があった。
ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、通報を受けた警察官のいる派出所に出向いた。巡査は、イジョンアを説得してキムジングを家に入れさせた、と話した。
ハンヨジン「どうして、そんなことをしたんですか」
巡査「どうして、と言われても。夫婦のことですから」
ハンヨジン「キムジングさんの暴力が原因で離婚したことを、聞かなかったんですか」
巡査「聞きました。でも、キムジングさんは、土下座して謝りました」
ハンヨジン「前にも、キムジングさんが土下座したので、イジョンアさんが同情して、お金をあげたら、その後、また、お金をねだりに来て、暴力も振るったとのことですが」
巡査「それも聞きました。でも、キムジングさんは、水商売の女がひとりで子供を育てているのが心配でたまらなかったんだと」
ハンヨジン「その水商売のおかあさんの店に、小学生の女の子が逃げ込まなければならないほど、キムジングさんが虐待したと、聞かなかったんですか」
巡査「そういうようなことも聞きました」
ハンヨジン「じゃあ、なぜ」
巡査「イジョンアは再婚で、ミリは連れ子で、懐いてくれなくて、苦労したと、言っていました。だから、虐待というのも、一方的な主張じゃないですか」
ハンヨジン「家庭裁判所の調停でも、離婚事由足りうる重大な事実とされているんですよ」
巡査「だけど、イジョンアさんは、慰謝料を請求しなかったんでしょう」
ハンヨジン「慰謝料を払える相手じゃないし、できるだけ早くわかれたかったんでしょう。それほどいやがっている人につきまとうのは、ストーカーですよ」
巡査「そんな、夫婦だったのに、ストーカーだなんて、女性家族部みたいなことを言わないでください。人情ってもんが、あるでしょう」
今回の大統領選挙では、女性家族部廃止を公約に掲げた候補者が、当選していた。
ハンヨジン「警察の仕事は、夫婦によりを戻させることではありません。暴力の発生を防ぐことです。今後は、夫婦だからとか、離婚したとかしないとか、法律上の関係が、どうであろうと、ストーカーに悩まされている人からの通報には、適切に対処してください」
巡査「今までも、適切に対処してきたし、これからも、適切に対処します」
ハンヨジン「イジョンアさんからの通報への対処は適切ではありませんでした。今後も同じ対応を続けていたら、犯罪を誘発する危険があります。ストーカー処罰法の講習を受けて、改善してください」
昨年の三月、2021年3月24日、ストーカー処罰法が成立していた。もっとも、半年後、被害の訴えに対して加害者が処罰される割合は5%未満だと、報道されていた。
イジョンアとミリの母娘は、高陽市徳陽区のヴィラ(低層集合住宅)から、麻浦区のヴィラ(低層集合住宅)に引っ越した。ミリは、麻浦区の小学校に転校した。イジョンアは、先に勤め先を変えた同僚の伝手で、その人がいる、中区のクラブに移った。その、中区のクラブに手引きしてくれたホステスが、今は、マダムになっている。
ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、イジョンアが勤めていた、中区のクラブに行った。キムジングに会ったと警察に話に来た、ホステスのコ某さんがいるクラブである。
ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、マダムに会って話を聞いた。
ハンヨジン「キムジングさんが、最近、こちらに来たことがあったと、ホステスのコさんから、聞きました」
マダム「はい。確か、選挙があったのが水曜日で、キムジングさんが来たのが、その前の土曜日でした」
ハンヨジン「キムジングさんは、こちらで、イジョンアさんが、御弁当屋さんの店員になったことを、聞いたんですね」
マダム「わたしは教えませんでした。御弁当屋を始めたのは、わたしの前のマダムです。その人も、イジョンアさんが、キムジングさんに苦労させられて、つきまとわれて、それから何とか逃れるために、勤め先を変わったことを知っていました。だから、わたしも、御弁当屋になったパクさんも、イジョンアさんが御弁当屋の店員になったことを、誰にも言わなかったんです。でも、キムジングさんのなまえがニュースで出たでしょう。びっくりして、うちのホステスたちが、キムジングさんのことを話しだしました。みんな、ひとりひとり、全員、イジョンアさんの行方をきかれていました。それでも、半分以上のホステスは、そもそも、イジョンアさんを知らなかったんですけど、コさんが、パクさんの御弁当屋でイジョンアさんに会ったと、キムジングさんに教えていたことが、後からわかりました。コさんは、イジョンアさんが前にいた店のことを知らないんです。その頃は大学生で、アルバイトでホステスを始めた人です。大学に入った年は学生寮にいたけれど、新入生と入れ替わりに出なければならなくなって、そうすると、チョッパンしか、家賃の払えるところがなくて、それでホステスを始めて、ましな部屋を借りたんです。卒業してからも、給料の高い会社に就職できなかったので、ホステスを続けています。コさんは、キムジングさんの話を真に受けて、イジョンアさんが苦労したことが、わからなかったんです」
漢江は、ソウル市内を、東から西へ、Wの字を描くように流れている。
龍山区は、Wの左側のVにある。
漢江の北岸の、南に半円形に張り出した土地にある。
中央部を鉄道が南北に通り、北から南に、ソウル駅、ナミョン駅、ヨンサン駅がある。ヨンサン駅の東側の土地が、一番南に張り出している。そこが二村洞と西氷庫洞で、地下鉄が、西から東に、ヨンサン駅、イチョン駅、ソビンゴ駅とある。
イジョンアが勤めることになった弁当屋は、イチョン駅の南の町にある。東西に走る地下鉄と漢江の岸との間の町である。
ミリが中学校に進学するときに、麻浦区のヴィラ(低層集合住宅)から龍山区のヴィラ(低層集合住宅)に引っ越した。ソビンゴ駅の北の町である。イジョンアは、自転車で、御弁当屋に通勤していた。
龍山署には、イジョンアからの、キムジングによる迷惑行為の通報は、なかった。ただ、3月9日午後7時に、自転車の盗難届が出ていた。
(5)
ヨンサン駅の南東側の二村洞にある、御弁当屋「あったかごはん家(ち)」。
ウィルス感染症のパンデミックが始まってから開業して、繁盛が続いている。外出規制が厳しい間は、自宅勤務の人々が、運動と気晴らしのために、歩いて買いに来た。慢性的な病気を抱えた老人のための献立もあり、配達の注文も多い。外出規制が緩和されてから、通勤途中に買って行く客がふえた。自宅から、運動と気晴らしのために歩いて買いに来る客も、相変わらず、多い。郊外に遊びに行くので御弁当を買っていく客もいる。
ハンヨジン警部は、普通はそんなことをしないのだが、「あったかごはん家(ち)」に電話をかけ、お忙しいところを申し訳ありませんが、お店の方々にお話を伺いたいので、都合のあく時間を教えてください、と頼んだ。「あったかごはん家(ち)」は夫婦の共同経営で、電話を受けたのは妻のパクナヨンであった。イジョンアが勤めていたクラブのマダムだった人である。ハンヨジン警部は、経営者の方、お二人共と、従業員の方も、いてほしい、と言った。従業員は、配達のイムさんと、店頭販売のイジョンアである。配達のキムさんには、先日、龍山署のチャン刑事が話を聞いたので、今回は、はずしてもらっても構わないと、ハンヨジン警部は言った。イムさんが、配達から帰る途中、刑事から質問を受けたことは、パクナヨンも、イジョンアも、本人から聞いていた。
パクナヨンは、朝の忙しい時間帯が過ぎてから、昼までの時間を指定した。その時間帯は、店頭に来る客は少ないが、店の奥で昼の仕込みをする。その間に休憩もする。
ハンヨジン警部は、自分が厨房に入ったら食品衛生法に触れるのではないかと、懸念を表明した。パクナヨンは、売り場と厨房との間に窓仕切りがあるので、そこから中に話しかけてください、と言った。ハンヨジンは、そうすると返事をした。
すっかり、春らしくなって、桜の花を見に出かける人々もいる。
今日も、そうしたいような、晴れた、ほどよく暖かい日である。
「あったかごはん家(ち)」でも、お花見の御弁当を買っていく人たちが、引きも切らなかった。
ようやく、お客さんの波が引いた頃、ちょうど、約束の時間となって、ハンヨジン警部が、チャンゴン刑事とともに、「あったかごはん家(ち)」に、入ってきた。
イジョンアが、売り場のカウンターにいた。
ハンヨジン警部が、御辞儀をして、公務員証を差し出して、言った。「ソウル特別警察庁のハンヨジン警部です。イジョンアさんですね」
イジョンア「はい」
チャンゴン刑事も、公務員証を差し出して、言った。「龍山署のチャンゴン刑事です」
イジョンア「恐れ入ります」
ハンヨジン「先日は、チャン刑事が、こちらの配達係のキムさんから、お話を伺いました」
イジョンア「存じています」
ハンヨジン「今日は、お忙しいところを、お時間をあけていただいて、恐縮です。しばらくの間、イジョンアさんと、パクナヨンさん、カンイルさんと、お話をさせてください」
イジョンア「はい。わたしは、こちらにいたままのほうが、よろしいでしょうか」
ハンヨジン「厨房で、お仕事をされると聞いてきました。どうぞ、奥に入ってください。わたしは、ここの窓から、お話しさせていただきます」
イジョンアは、一礼して、厨房に入った。
ハンヨジン警部が、カウンターの内側にまわった。
チャンゴン刑事が、客のような顔をして、カウンターの外側に立っていた。
ハンヨジン警部が、窓仕切りから、厨房の中を見た。主人のカンイルと、パクナヨンとが、御辞儀をした。
ハンヨジン「先程、お電話した、ハンヨジン警部です。パクナヨンさん、カンイルさんですね」
パクナヨン「そうです」
ハンヨジン「今日は、お忙しいところを、お時間をあけていただいて、ありがとうございます」
カンイル「いえ、こちらこそ、お運びいただきまして」
カンイル、パクナヨン、イジョンアが、仕事に手を付けずに、並んで立っている。ハンヨジンは、手で、すわってください、という仕草をした。それで、3人共、椅子にすわった。
ハンヨジン「お聞き及びでしょうが、先日、配達係のキムさんに質問をしました。この近くで、キムジングさんらしき人や、マフラーで顔を隠した男性を見かけなかったか、と。キムさんの返事は、キムジングさんみたいな恰好をした人を見たけど、キムジングさんだったかどうかはわからない、マフラーで顔を隠した男は見かけていない」
カンイル「ええ、キムジングさんは、ニュースになっていたから、わかりますが、マフラーで顔を隠した男性ってのは、何のことか、わからない、って、わたしたち、みんなで、言ってたんです」
ハンヨジン「先月、わたしは、記者会見で、こう、発表しました。3月10日の朝、ヨンサン駅西側の空き地で発見された死体は、損傷が激しく、遺留品から、キムジングさんと推定されますが、断定はできません、と。その後、キムジングさんの姿を見かけた人たちから話を聞ながら、DNA鑑定の結果を待ちました。ようやく、その結果が出ました。結論から言うと、死体をキムジングさんと確定することができませんでした」
しばらく、沈黙が続いた。
ハンヨジン「3月10日の朝、ヨンサン駅の西側の空き地で発見された死体は、3月9日の午後8時から午後10時までの間に死亡したことが、剖検によって、わかっています。そして、3月9日の午前7時40分から午後8時前まで、空き地の1km北のブチェ旅館の305号室にいた人の遺体であることも、わかっています。
確かなことは、それだけなのです。3月9日の午前8時前から午後8時前まで、ブチェ旅館の305号室にいた人が、午後9時以後に、ブチェ旅館から1km離れた空き地で起こったガス爆発によって、遺体を損傷された。実は、そのガス爆発によって死んだのか、その前に死んでいたのか、それさえ、はっきりしません。
ブチェ旅館の宿泊簿には、305号室にキムジングさんの姓名と住所が記入されていました。キムジングさんが住んでいたのは、龍山区東子洞のチョッパンでした。しかし、そのチョッパンのキムジングさんの部屋でも、ブチェ旅館の305号室でも、DNA鑑定に使える資料を採取できませんでした。すっかり掃除されていたんです。
ヨンサン駅の西側の空き地にあった遺体を、キムジングさんと推定する根拠となった遺留品とは、紺色のジャンパーと、そのポケットに入っていた、住民登録カードでした。紺色のジャンパーは、3月8日に、キムジングさんが着ていったものだと、チョッパンの隣人たちが、証言しています。
キムジングさんの隣人たちは、キムジングさんが、3月8日、大統領選挙の前の日に出かけて行って、その晩も、その次の晩も、つまり、3月9日、大統領選挙の投票日も、帰ってこなかったと証言しています。
その3月9日の夜、8時から開票速報をテレビで見ていた隣人たちは、ようやく結果が決まった、3月10日午前3時頃、キムジングさんの部屋から物音がしたのを聞きました。その少し前に、チョッパンの玄関の扉が開く音がしたので、キムジングさんが帰っているのだと、皆、思ったのです」
弁当屋の主人夫婦が、息を飲んだ。イジョンアは、息が継げず、蒼白になっていた。
ハンヨジンが、ちょっと、頭を下げて、頼んだ。「すみません。お茶を一杯、いただけませんでしょうか」
カンイルが、伸ばした人差し指で膝を叩くような仕草をして、立ち上がった。「ちょっと、待ってください」
パクナヨンも立ち上がった。彼女は、カンイルを手伝いに行きかけた。カンイルが、いい、というように手を振った。パクナヨンは、イジョンアの方へ行って、肩を抱いた。
やがて、カンイルが、5人分のお茶をお盆に載せて運んできた。ひとりひとりの前にお盆を持って行く。最初に、イジョンア。イジョンアは、ありがたく頭を下げて、受け取った。
次にパクナヨン。パクナヨンも、ありがと、という顔つきで受け取り、イジョンアから離れて、元の椅子にすわった。
次に、カンイルは、窓仕切りのところに、お盆を持ってきた。ハンヨジンが、御辞儀をして、両手に一つずつ、二人分、受け取った。
ハンヨジンが、カウンターの外に立っている、チャンゴン刑事に、お茶を渡し、カンイルは、お盆を調理台に置いて、自分のお茶を持って、すわった。
皆で、お茶を、一口、すすった。
ハンヨジンが、お茶を、窓仕切りに沿った台に置いた。チャンゴン刑事も、お茶を、カウンターに置いた。
弁当屋夫婦も、イジョンアも、ハンヨジンを見つめた。
ハンヨジン「3月8日、大統領選挙の前の日に出かけたキムジングさんは、こちらに来たことが、明らかになっています。それというのも、それに先立つ、3月5日、土曜日に、キムジングさんは、イジョンアさんの以前の勤め先を訪ねて、前のマダムが御弁当屋を開業して、イジョンアさんもそこで働いている、と聞いた。そして、3月8日、火曜日に、このお店に来ました。
このお店には監視カメラがありませんが、近くの道路に監視カメラがあります。目撃者もいました。イムさんは、その一人です。配達に行くとき、紺色のジャンパーを着た、住民登録証の写真と同じ年配の人が、お店に入るのを、見ていました。
さらに、あるカフェの従業員が、キムジングさんが窓際の席にすわってコーヒーを飲んでいた、と証言しました。ほとんどの人が、紺色のジャンパーを着た中年の男性なら、見た、という人たちのなかで、ただひとり、マスクをしていない顔、住民登録証の写真と同じ顔を見た人の証言です。
そうやって、キムジングさんの足跡を辿っていくと、キムジングさんは、御弁当屋さん、カフェ、それから、西氷庫洞の、イジョンアさんの住んでいるヴィラまで行ったことが、わかりました」
ハンヨジンは、口を閉じて、3人を見守った。弁当屋夫婦が、イジョンアを、右と左とから心配そうに見ている。イジョンアは、蒼白で、しかし、落ち着いて、待ち受けるように、ハンヨジンの顔を、見返している。
ハンヨジン「3月9日、アパートの管理人が、警察に消火器の盗難届を出しました。それより少し遅れて、イジョンアさんも、自転車の盗難届を出しましたね」
弁当屋夫婦は、あっというような顔をして、ほっとしたように、イジョンアを見直した。
イジョンア「はい」
弁当屋夫婦も、口を揃えた。
パクナヨン「イさんから、いつもの時間に、さあ、自転車に乗ろうと思ったら、なくなってた、って、電話がかかってきたんですよ。あわててましたよ」
カンイル「キムさんに車で迎えに行かせるから、待っててくれ、って言って、それで、まあ、ちょっと、遅れたけど、たいしたことはありませんでしたよ」
イジョンア「自転車の盗難届は、仕事が終わってから、出しました」
ハンヨジン「イジョンアさんが自転車の盗難届を出したのは、3月9日の午後7時でした。こちらのお店が終わるのは、午後6時だと聞いていますが」
イジョンア「お店が終わってから、すぐに警察に行こうと思ったんですけど、その前に、家に帰ったら、大統領選挙の日だったことを思い出して、投票に行ったんです」
ハンヨジンは、大きく肯いた。「よく、わかりました。実は、今回、キムジングさんの3月9日の足取りを追っていて、ソウル駅のロッテマート、ナミョン駅の近くのチムジルバン、ヨンサン駅の近くのブチェ旅館、そして、その間のコンビニエンスストア、と立ち寄り先は、明らかになったんですが、その間の移動時間に疑問が残っていました。ようやく、自転車を使ったことがわかりましたが、今度は、それを使わないときに、どこに置いていたのかが、問題になりました。盗難届が3月9日午後7時だったので、それまでは、駐輪場に停めておいても、摘発されなかった。誰にも気づかれずに、イジョンアさんの自転車を乗り回していられたんです。
警察では、今、次のように、考えています。
3月8日、キムジングさんは、紺色のジャンパーを着て、ソウル駅の近くのチョッパンの自宅を出た。大統領選で誰が当選するか、賭けをしようという隣人たちの誘いを断り、よそでたまった借金を返す、金策に行くと言った。
その日の夜、ソビンゴ駅の近くのヴィラのイジョンアさんの家に行った。その家を出たときに、自転車と消火器を盗んだ。
自転車で、ソウル駅のロッテマートまで行って、カセットコンロとホットプレート、紺色の庇付きニット帽とマフラーとジャケットなどを買った。
そして、紺色の庇付きニット帽を被って、ロッテマートを出たのが、午後11時過ぎです。
また、自転車で移動して、日付が変わってまもなく、ヨンサン駅の近くのブチェ旅館に入り、305号室に泊まった。そこには、カセットコンロなどを置いて、すぐに出た。
また、自転車で移動して、午前0時半を回った頃に、ナミョン駅の近くのチムジルバンに入った。
そして、キムジングさんの紺色のジャンパーを着て、キムジングさんがソウル駅のロッテマートで買った紺色の庇付きニット帽を被った人が、チムジルバンを出たのは、朝の7時過ぎです。
その、キムジングさんの新しい紺色のニット帽と古い紺色のジャンパーを着た人が、コンビニエンスストアに寄って、買い物をして、ブチェ旅館に入るまでの間、そのそばに、キムジングさんがロッテマートで買った紺色のマフラーで頭から顔の下半分と肩まで覆って、キムジングさんがロッテマートで買った紺色のジャケットを着た人が、いました。
その、キムジングさんの新しい紺色のマフラーとジャケットを着た人は、キムジングさんの新しい紺色の帽子と古い紺色のジャンパーを着た人が、ブチェ旅館に入るのを、見届けると、チムジルバンに、引き返しました。そして、午後7時頃、チムジルバンの受付にロッカーのカギを返して、玄関から出ていきました。
ここまでは、監視カメラの記録で、確かめられています。
わたしたちは、3月9日午前0時20分にブチェ旅館に入った、紺色の庇付きニット帽と紺色のジャンパーの人は、キムジングさんだが、午前7時40分にブチェ旅館に入った、紺色の庇付きニット帽と紺色のジャンパーの人は、キムジングさんではなかったと、今では、考えています。
キムジングさんは、午前0時40分から午前7時まで、チムジルバンにいた間に、どういうやりかたをしたのか、今もってわかりませんが、別の人と入れ替わりました。自分は紺色のマフラーで顔を隠して、自分の代わりに、新しい紺色の帽子と古い紺色のジャンパーを着た人を、自分が宿泊したブチェ旅館に送り届けました。そして、これもまた、どうやったのか、わかりませんが、その自分の身代わりになった人を、3月9日午後8時前、ヨンサン駅の西側の空き地に呼び出しました。
そして、その身代わりの人が、3月9日の午後8時から10時までの間に死亡し、カセットガスコンロの爆発によって、肩から上を吹き飛ばされた遺体となって、3月10日の朝、発見されたのです。そばには、キムジングさんの古いジャンパーと住民登録証が、火の粉一つ被らずに、置いてありました。
そのガス爆発は、身代わりの人のからだが全部燃えてしまわないうちに、火を消されたのです。イジョンアさんが住んでいるヴィラから盗まれた消火器で」
カンイル「その、自転車は、チムジルバンで、見つかったんですか」
ハンヨジン「いえ、空き地まで、乗って行ったんです。その後が、わからなくなったままです」
カンイル「ガス爆発で、燃えちゃったんじゃないんですか」
ハンヨジン「爆発の現場に、自転車が燃えたり壊れたりした跡はありませんでした。思い出していただきたいのは、3月10日午前3時頃、キムジングさんの部屋から物音がしたと、隣人たちが言っていることです。わたしたちは、3月10日午前2時から4時までの、キムジングさんの住居付近の道路の監視カメラの記録で、自転車に乗った男性の映像を探しました。付近といっても、キムジングさんの住居のまわりは監視カメラがないので、少し離れた大通りになります。そこは、夜間に自転車で配送をする人たちが通っていました。しかし、わたしたちは、イジョンアさんの自転車に乗った人を見つけることができませんでした。
イジョンアさんの自転車にも、登録ステッカーが貼ってあるでしょう。後になって、わかったんですが、キムジングさんは、あきれたことに、3月8日、龍山署に電話をかけて、自転車を盗まれた、と言って、イジョンアさんの自転車の登録番号を言い、妻の自転車を借りて乗ってきて、コンビニエンスストアに入って、出てきたら、盗まれていた、妻にばれないうちに見つけたい、などと泣きついて、わざと、こちらの御弁当屋さんの住所と電話番号を言ったりして、警察と遣り取りするうちに、うまく、イジョンアさんの住所を聞き出してしまったんです。しかも、勘違いだった、自転車を見つけた、と言って、盗難届を取り消していました。
キムジングさんは、こちらの御弁当屋さんにイジョンアさんが乗ってきて置いてあった自転車の登録ステッカーを見て、龍山署に電話を掛けたんですね。
イジョンアさんは、3月9日に、西氷庫洞の派出所に行って、盗難届を出したでしょう。龍山署でキムジングさんと電話の遣り取りをした担当者は、そのことを知らなかった。
わたしたちが、イジョンアさんの自転車が盗まれていたことを知って、調べ始めたのは、3月12日の土曜日以後で、同じ自転車で二回も盗難の被害の報告があったことがわかったのは、3月14日の月曜日に、キムジングさんと電話の遣り取りをした担当者が出勤してきて、だいぶ、たってからでした」
カンイル「まったく、あきれた」
パクナヨン「だいたい、なんで、警察は、もっと早く、キムジングを捕まえなかったんですか。離婚しても、何度も、イさんの家に押しかけて、子供の学校にまで押しかけて、小学校のそばで待ち伏せしてたんですよ。そのときに、捕まえておけば、よかったじゃないですか」
ハンヨジンは、俯いて、大きく肯いて、謝罪を表わした。「おっしゃるとおりです。今回、わたしたち、警察は、キムジングさんの足跡を辿るうちに、イジョンアさんとミリさんを、どれだけ危険に曝し続けてきたか、改めて思い知りました。キムジングさんが、こちらの町に来て、イジョンアさん、ミリさんを、危険な目に遭わせたのは、まったく、警察の不作為と無責任の結果です」
パクナヨン、カンイル、それに、イジョンアも、意外そうな表情をした。
イジョンア「そんなふうに言っていただけるとは、思いもよりませんでした。今まで、一度も、わかってもらえなかったから、警察は頼りにならないと思っていました」
ハンヨジン「だから、今回は、家まで押しかけてこられても、警察に通報しなかったんですね」
イジョンア「はい」
ハンヨジン「お金を取られましたか」
イジョンア「はい」
ハンヨジン「わたしたちも、キムジングさんは、イジョンアさんを恐喝してお金を巻き上げたと推測しました。ただ、わからないのは、それなのに、つまり、キムジングさんは、金策に行くといって出かけて、金策に成功したのに、どうして、自殺を擬装したのか。借金の取り立てを免れるためか。イジョンアさんの自転車を盗んだり、共用の消火器を盗んだりしたのは、イジョンアさんに仕返しをしたかったのか。カフェで、イジョンアさんに、熱いココアを掛けられて、やけどをしたそうですね」
イジョンア「わざとやったんじゃありません。あの人が、わたしの手にさわろうとしたので、振り払ったら、ココアが掛かってしまったんです」
ハンヨジン「振り払っても、振り払っても、つきまとってくる、ストーカーですね」
イジョンア「あの、借金の取り立てを免れるために、自殺を擬装したというのは、それがわかったら、その、借金を取り立てる人は、どうするんでしょうか」
ハンヨジン「イジョンアさんには、何の関係もありません。キムジングさんは、何とか、イジョンアさんと復縁して、引きずり込もうとしたようですが、法律上、離婚した配偶者に返済の連帯責任を負わせることができないと、取り立て側も、承知していたからです」
パクナヨン「キムジングは、まだ生きているんですか」
ハンヨジン「断言できません。99%、ヨンサン駅の西側の空き地の遺体が、キムジングさんではないと、わかっていますが、DNA鑑定のできる証拠が揃わないんです。今の段階では、法律上、キムジングさんが、生きているとも、死んでいるとも、発表できない」
パクナヨン「死んでいてくれれば、すっきりするのに」
ハンヨジン「一つ、確かなことは、ここまでやった以上、二度と、イジョンアさんの前に現れることはありません。そんなことをすれば、せっかくの偽装工作が、水の泡だから」
カンイル「身代わりになった人は、どこのだれだか、調べようがないんですか」
ハンヨジン「その人が、3月9日の朝、ナミョン駅とヨンサン駅の中間の、地下鉄の駅に近い、コンビニエンスストアで、CDプレーヤーの電池を買ったことが、わかっています。夜、ブチェ旅館を出て行くときも、イヤホンを挿したままだったし、空き地で遺体が見つかったときも、CDをかけたままでした。そばに、キムジングさんの紺色のジャンパーが置いてあって、ポケットの片方に住民登録証が、反対の方にCDが入っていたんです。イジョンアさんにおききしますが、キムジングさんが、特に好きな曲とか歌手とかは、ありましたか」
イジョンア「え……」
ハンヨジン「パクインスという歌手とか、"House of Sunrise", または、"The House of the Rising Sun"という歌が、好きでしたか」
イジョンア「その歌は知っていますし、キムジングも知っていたと思います。でも、CDは持っていませんでしたし、そんなに、特別に好きな歌ではありませんでした」
カンイル「いったい、なんていうことだろう」
パクナヨン「身代わりを立てるなんて、ねえ……」
イジョンアは、今までと比べようもないくらい、考え込んだ表情になってしまった。宙の一点を見つめているが、何も見えていないようである。その顔を、ハンヨジンは、じっと見つめた。つられるように、カンイルと、パクナヨンも、見つめた。
やがて、イジョンアが、つぶやいた。「わからない……」
ハンヨジンが、肯いた。「ええ……わかりません」
(6)
チャンゴン刑事が、ギターの弾き語りを、youtubeにアップロードした。チャンゴン刑事の弾き語りは、文字通り、「語り」であって、歌わない。
チャンゴン刑事は、ギターを弾きながら、語った。
「春来不似春
そんな朝だった
だだっぴろい空き地が、漢江のように、金色に、反射していた
『朝日が当たる家』が、聞こえていた
俺の母親は 仕立屋だった
俺の 新しいブルージーンズを 縫ってくれた
聞こえていた
ジャンパーのポケットから
地面に畳んで置いた、ジャンパーのポケットから
CDプレーヤーをかけたままだった
CDをかけた男は、隣にいた
地面に畳んで置いた、ジャンパーの隣で、死んでいた
どのアルバムから、抜いたのか
パクインスの、"해뜨는 집, The House of Rising Sun"だけを、ダビングしたCDだ
パクインスの、"해뜨는 집, The House of Rising Sun"を聴きながら、死んでいった
死んだあとも、パクインスの、"해뜨는 집, The House of Rising Sun"を聴き続けていた
生きて、歩いていたときは、イヤホンで、パクインスの、"해뜨는 집, The House of Rising Sun"を聴き続けていた
死んだときは、イヤホンをはずしていた
みんなにも、"해뜨는 집, The House of Rising Sun"を聞かせたかったんだ
みんな、聴いてくれ
俺の好きな歌を、聴いてくれ
この歌が好きだった、この俺を、覚えていてくれ
そいつの死体には、顔がなかった
そいつが誰か、わからない
そいつのなまえが、わからない
そいつが、どこから来たのか、わからない
そいつが、どこで生まれたのか、わからない
誰か、俺に、教えてくれ
どのアルバムか、わからない
パクインスの、"해뜨는 집, The House of Rising Sun"だけを、ダビングして、CDを作って、死ぬまで聴いていた
それほど、パクインスの、"해뜨는 집, The House of Rising Sun"が好きだった、あいつが、だれなのか」
*参照
https://www.youtube.com/watch?v=QZQcGxATa9g
The Animals - The House of the Rising Sun - Acoustic Guitar Cover by Kfir Ochaion - Furch Guitars
ユーチューバー・チャンゴンは、これは警察の公式アカウントではないが、警察官として、市民として、身元不明の死者を無名の人として葬るに忍びず、自分と同じ音楽の好きな人だったと思われる死者の情報を、音楽の好きな人たちに求める、と表記していた。警察の公式アカウントではないと言いながら、連絡先は龍山署となっていた。
実際、警察の公式アカウントならば、公共広告として他の人気youtuberの番組に流すこともできるのだが、それはしていないのである。費用対効果が不明だったから。
チャンゴン刑事のギターの腕前は、ハンヨジン警部の絵の腕前と、似たようなものだが、それでも、それなりに味わいがあるからか、チャンゴン刑事の真摯な姿勢が共感を呼んだのか、再生回数がふえていった。
2週間後、龍山署に、チャンゴンのギター演奏動画「朝日の当たる家」で、身元不明とされている死者は、自分の知っている人かもしれない、という人が、名乗り出て来た。自分の持っているCDから、パクインスの"해뜨는 집, The House of Rising Sun"だけをダビングしてCDを作った人が、音信不通、消息不明になっている、という。
名乗り出た人は大手の企業の社員で、キム某さんと言った。自分の同僚が、パクインスの"해뜨는 집, The House of Rising Sun"だけをダビングしてCDを作った、と言う。
「彼の持っているアルバムから、パクインスの"해뜨는 집, The House of Rising Sun"だけをダビングしてCDを作って、そのアルバムを、わたしにくれたのです」
キム某さんは、そう言って、韓国の懐メロのアルバム、"Good Old Pop Songs By Korean Singers Vol. 1"を見せた。
「パクインスの"해뜨는 집, The House of Rising Sun"が好きだったことは確かですが、ダビングCDを作ったのは、それよりなにより、歌手が自分と同姓同名だったからです」
これには、チャンゴン刑事も、ハンヨジン警部も、チェユンスチーム長も、心底、拍子抜けした。
「パクインスさんは土木設計技士で、わたしは電気設計技師でした。二人とも、会社が社宅にしているアパートに、隣同士で住んでいました。単身寮ではなく、家族向けのアパートです。だから、一世帯分が広いのです。独身でも、結婚した時のために、会社で地位が上がってくると、家族向けの社宅に入ります。わたしとパクインスさんとは、既に、古株でした。独身のまま」
だが、パクインスは、会社を解雇されて、アパートの家賃を払えなくなり、出て行く前に、持ち物の多くを処分した。そのときに、一枚のアルバムをキム某さんに譲り渡して、自分と同姓同名の歌手の一曲だけをダビングCDにして、持って出たのだった。
キム某さんは、会社の行事で、社員一同で撮影した記念写真を持ってきていた。龍山署では、パクインスの住民登録を照会した。住民登録の写真と、会社の記念写真とを照合して、お互いに、パクインスに間違いないと確認した。
キム某さんに、ブチェ旅館のCCTVの305号室の客の映像を見て貰ったが、どれがパクインスで、どれがキムジングと、見分けられるものではなかった。
キムジングは6年前まで高級な輸入車のセールスマンだったが、パクインスは彼から車を買ったことがあっただろうかと、キム某さんに尋ねると、いや、自分もパクインスも国産車しか乗ったことがない、とのことだった。パクインスは、会社を解雇されてアパートを出る時に、その車も売ったのであった。
パクインス氏の遺体は、元々、一部しか残っておらず、剖検の後で火葬して、遺骨を保管している旨を、ハンヨジン警部が告げると、キム某さんは、自分が引き取りたい、と言った。
「納骨堂を買って、埋葬します。わたしに譲ってくれた、アルバムと一緒に」
*参照
https://www.youtube.com/watch?v=q-fG2qPTfrk
House Of The Rising Sun (해뜨는 집)
House Of The Rising Sun (해뜨는 집) · Park Insu
Old Pop Songs Sang By Korean Singers
℗ 오아시스레코드 뮤직컴퍼니
Released on: 1992-08-04
キム某さんに、遺骨を引き渡したあと、ハンヨジン警部以下龍山署の捜査員たちは、ソウル特別市内の、民間の有料職業紹介機関と、自治体の無料職業紹介機関とに、土木設計技士パクインスの求職登録情報の開示を請求した。その結果、次のようなことが、わかった。
パクインスは、今年1月末に解雇されて、社宅を出てから、チムジルバンに逗留して、民間と自治体の職業紹介機関に求職登録した。しかし、2月末には、チムジルバンの宿泊費も、スマホの料金も払えなくなった。チョッパンの家賃なら払えたが、そうせずに、事実上のホームレスになっていた。スマホがないので、毎日、職業紹介所に来て、職員に求人情報を問い合わせていた。ホームレスになっても、地下鉄の交通カードを持っていた。3月9日以後、パクインスは、職業紹介所に来なくなっていた。
ヨンサン駅西側の空き地の遺体発見現場には、地下鉄の交通カードは、なかった。それがあれば、パクインスの利用歴を調べることができ、どの駅の近くにいたのかが、わかる。だから、ガス爆発を起こし、消火した人物が、持ち去ったのだ。
ハンヨジン警部とチャンゴン刑事とは、パクインスが通っていた、民間の職業紹介所と自治体の職業紹介所とに、出かけていって、キムジングが登録していないかと尋ね、また、彼の写真を見せて、ここに来なかったかときいた。キムジングは、どちらの職業紹介所にも登録していなかったし、来たこともなかった。パクインスとキムジングとが職業紹介所で知り合ったのではないかと考えたのだが、無駄だった。
5月になり、躑躅が、真っ盛りになって、大学や、図書館や、地方検察庁を、彩っていた。
龍山署のチャンゴン刑事宛てに、キム某さんから、はがきが届いた。きれいな躑躅の咲く庭で撮った写真を、絵葉書にしてある。
「先日、漢江教会で、パクインスのお葬式をしました。神父様は、毎週、日曜日に来ていたパクインスが、3月の第2週から来なくなったのを、心配していました。亡くなったと聞いて、ほんとうに驚かれました。パクインスは、礼拝に来るたびに献金を欠かしませんでした。神父様が、教会の慈善昼食会に招待しても来ませんでした。最後の週に、大橋の下にいる人たちの仲間になれない、と言ったそうです。教会の近くの大橋の下で、青いビニールシートの家に住んで、段ボールを集めたり、空き缶を集めたりして、わずかな収入を得て、教会の慈善昼食会や朝食会に行く人たちの、近くにいながら、混じれない。少し離れたところで、ベンチにすわっている。工業系の雑誌を読んだり、漢江を眺めたり、しているだけで。会社にいたときの彼を思い出して、彼らしい、とわたしは思いました」
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