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ゴールデンカムイとセクシー田中さんから感じたこと

ゴールデンカムイの映画を見たよ

友達に激推しされて見に行った!
そしたら一気に、この漫画の好きだったところを思い出した。

主人公の杉元が、アイヌの子どもアシリパに対して「アシリパさん」とさん付けで呼ぶところが好き。
アシリパに対し民族差別をした人に怒りを露わにし、「大丈夫だ、慣れてる」と返したアシリパの言葉に「慣れる必要がどこにある…!」と憤る、そんな杉元が好き。
杉元はアシリパを尊重している。
それが伝わってくる。

ゴールデンカムイは残酷なシーンが多くて変態もたくさん出てくるけど「倫理観の高い漫画だなぁ」と感じる、とっても不思議な漫画。
人の尊厳に対する解像度が高くて、だからこそ残酷な描写も描ける、そんな印象がある。(進撃の巨人にも同じ感想持ってる)

そんなゴールデンカムイの映画は随所から原作へのリスペクトがとっても感じられて、見ていてじんわりと嬉しい気持ちになった。
アシリパさんの凛とした感じがと〜っても良かったなぁ〜!!!

尊重し合う関係の中に自分を置きたい

最近、私の中で”尊重”が一つのキーワード。
友達とも「尊重し合う関係の中に自分を置きたいな」という話をした。

”尊重”について思いを馳せ始めたきっかけは、芦原妃名子さんの漫画「セクシー田中さん」だった。
ドラマで存在を知り、漫画を読んだ。
え!と思うような人の心の深いところ、悲しみ、弱さ、強さ、まっすぐさ、の描写にドキドキしながら続きを読んだ。

主人公のあかりは、若くて可愛い。
物心ついた頃からモテることを自覚していて、異性から好意を寄せられることは当たり前だった。それでも付き合いの中でぞんざいに扱われたり、アクセサリーのように扱われたりして傷つき、「私のために自分を変えようとしてくれる人はいなかった」と言う。
そして「私たちは甘い言葉やドキドキが欲しいんじゃない、いやそれも少しは欲しいけど… それ以前に人として”尊重されたい”んだ」という話をした。

”好き”と”尊重する”は、イコールじゃない。
尊重がない関係は、とてもさみしくて、虚しい… でも、そんなに珍しいものでもないような気がした。それが悲しかった。


もう一人の主人公田中さんは、人間関係を築かないまま40歳になっていた。けれども彼女はとても素直な人で人の良い面をまっすぐに捉える人だった。彼女との関わりの中で、とっても失礼極まりなかった人物が変化をしていく。あかりにとって天敵のようなその人物と、田中さんは信頼関係を築いていく。
その様子を目の当たりにしたあかりは
「田中さんが笙野に尊重されるのは、田中さんがすべての人を尊重しているからだ」と思う。

「セクシー田中さん」は、互いの尊重の中で生きていくことを描いた作品だと思った。登場人物たちから「在り方」を学ぶことが多くて、ドキドキしながら漫画を読んだ。

だから、とっても悲しかった。

あんなに人の心を細やかに描ける人が、こんなふうに生を終えてしまうのが悲しかった。
ただただ悲しくて、久しぶりに外側の出来事に大きく心がゆれてどうしようもなく、今、すべての情報を断って日々を過ごしてる。

私は周りの人たちを尊重できているかな。
そしてもちろん、私は私を尊重できているのかな。
今ずぶずぶとうちに潜りながら、考える。
この作品が伝えてくれた大切なことを、私は私の人生に色づかせていきたい。



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