感じること②
01.
仕事が煮詰るとヘッドスパに行く。
ただただ心地よい時間に浸っていると、ふわっとアイデアが閃いたりする。仕事以外のことでも、なんとなく悩んでいたことを「あ、こうしたいな」と決められる瞬間が出てくる。
色々と考え抜いた先の結論というよりは、軽やかにぽんっと湧いてくるもので面白い。ヘッドスパ中の半分寝てて半分起きてるような心地よさが、瞑想の感覚に似てて良いのかな〜となんとなく思ってた。
02.
ある時、友人と連れだってマッサージに行った。
ふにゃふにゃに解され、心地よさ満杯の中「ああ〜… なんかもう… 嬉しい…ありがたい… 感謝しかない…」というモードになった。そのままの状態で友人と合流すると、ふわふわした声音でニコニコしかできない(真顔になれない)私がいて面白がられた。面白がられてもなお「そうだね、ふしぎだね、ふふふ」みたいな気持ちにしかならない。普段だったらもうー!くらい言ってそうだよねと冷静に思う私と、でもなんかもう、そういうからかいも含めて嬉しいね、楽しいねっていう私がいた。今まで気になってたような小さなことが全く取るに足らないもののようで、感じ方の明確な違いが興味深くて面白かった。全てOK!な、感謝でいっぱいの心地。
普段私が「ここは大事、守らなきゃ」と握りしめてたものってもしかしたらそんな頑ななものじゃないのかもしれない。そんなアウトラインがぼやける体験だった。
03.
韓国ひとり旅中、不安になる出来事が起きた。
もしかしたらとんでもないことになるかも… けどそれが確定するのはしばらく先かも… という生殺しのような、宙ぶらりんの大きめの不安に襲われた時、私はソウルの寒空の下疲れてお腹を空かせていた。
あ、これはよくないと思ってすぐにベンチに座った。そして、ご飯屋さんとマッサージ屋さんを検索する。すぐ近くにはなかったけど、急いで移動する。ご飯を食べる。お腹が満たされる。ほっとする。
マッサージに行く。足湯につかり、冷えた体があったまっていく。すると、「私はこのままではせっかくの韓国旅行を楽しめないのではないか?」という悲しさのような悔しい気持ちが湧いてきた。
その後足ツボをしてもらい、足の先から体が解されていく。痛くて気持ちの良い(痛いが勝つ)時間の中、じわじわと「なんで?楽しみに来たのに、旅行を楽しめないなんてなくない?」と怒りが湧いてくる。イライラの中、「不安になってるのが馬鹿馬鹿しくなってきた。最悪の事態でも、○○なわけでしょ?じゃあそうするよ。私は絶対に旅行を満喫する。はい!」と気持ちが整った。最終着地は怒りと開き直りだったけど、それで気が済んでその後旅行も楽しんだし、なんならすっかり忘れてた。そしてその後、事態も無事解決した。
何も解決していない状況の中で気持ちを切り替えて旅行を楽しめた自分がとても頼もしくて嬉しかった。
思考する前に、感じ方を整える
このいくつかの経験を重ねて、私はしみじみと「体と心は繋がっている」という言葉の意味を理解した。
今までは不安になったら思考して対策を練るという方法しか知らなかった。不安な気持ちのまま、ぐるぐると思考する(思考すると言えば聞こえはいいけど、どちらかというとただ悩んでいる状態)のはとても苦しかった。確実な解決策!が見えないことには不安は晴れることはなかった。(し、そんな解決策なんてそんなにないよね)
今は不安になったらまず体を温める。お腹が空いていたら満たす。眠かったら少し寝る。体が疲れていたら、マッサージを受ける。など。
思考をする前に体を整えることを大切にするようになった。
体が整った時の前と後では湧き出る思考が全然違うし、感情すらも違ってて面白いなぁと思う。
私は今まで随分「思考」に頼りきっていたなと思う。
その悩みをうーんうーんと抱えている時、自分がどんな気持ちでいるとか、どんな体の状態にあるとか、どんな感じ方をしているのかとか考えてなかった。
不快ではあったと思うけど、思考で解決した後に快がくるという順番だと信じて頑張っていたかもしれない。
先に快を作る。その後に、思考は整う。
そんな仮説が生まれたので、今は実験中。
考えるより感じるを優先にしてみている。
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