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【しもつけ回想録】国本編⑥
四大節の記憶
(12)小学校の教室は、仕切りで仕切っただけの教室であり、仕切りを外すとそのまま大きな会場として使用することができた。
(13)四大節のとき、校長がつまらない祝辞を述べていた。会場で立ったままの生徒たちは、もじもじしながら校長の話が終わるのを待っていた。早く紅白饅頭をもらって家に帰りたかった。
私の所感
まず(12)について。現代の小学校は、1つ1つの教室はコンクリートの壁で完全に区切られ独立した1つの部屋になっていますが、戦前の地方(栃木)の尋常小学校は、大きな空間を仕切り板?で区切って教室としていたようです。このような構造は他の地域(特に東京)でも同じだったのでしょうか?そして、現代の入学式や卒業式、学芸会、音楽会、出前授業など、多くの生徒が集まるイベントは体育館で行われますが、当時は体育館がなかったのでしょうか。仕切り板をどかせばそのまま会場になるというのはなるほどですね。
また、メモには残してありませんでしたが、教室には御真影が飾られていたとK子は言っていました。御真影というのは、天皇皇后両陛下のお写真のことです。本やテレビ、ネットの記事で見聞きするより、身近な親族から見聞きする方が、はるかに実感が湧くのと信ぴょう性が高まるのは不思議です。御真影が教室に飾られていたというのは本当のことだったのです!
次に(13)について。四大節という言葉は初耳でした。戦前に存在した以下4つの祝日を指します。
■四方節
1月1日。法定祝日ではなかったが事実上の祝日で、現在の元日に相当。
■紀元節
2月11日。神武天皇の即位日。現在の建国記念の日に相当。
■天長節
4月29日。今上天皇(当時は昭和天皇)の誕生日。現在の昭和の日に相当。
■明治節
11月03日。明治天皇の誕生日。現在の文化の日に相当。
詳しくは以下の記事などをご参照ください。
「つまらない祝辞」という部分が非常にリアリティあふれてますね。私も小学生の頃、毎週月曜の朝礼で校長先生のつまらない話を聞くたびに「まだかなまだかな」と思ってましたから、まったく同じです。現代の子どもたちの感覚と差異がありません。戦前の人たちとの距離感がギュッと縮まった気がします。とても共感できる話です。そして、どこかの校長先生が本記事をご覧になっているかもしれません。大変申し訳ございません!どうかお許しください。
結局子どもたちの関心事は祝辞の内容ではなく紅白饅頭(まんじゅう)だったということです。K子が小学生だったのは1930年代半ば。軍靴の足音が忍び寄る中であっても、子どもが子どもらしい一面を持ち合わせていたというのは微笑ましい限りです。ちなみに、私も昔紅白饅頭を小学校からもらったことがあります。当時平成の初期で、場所は横浜です。一方、私の娘はもらったことないですし、最近は全然見聞きしないですね。替わりに記念品としてクリアファイルとかもらってました。紅白饅頭はすっかりレアな存在となってしまったようです。寂しくないと言ったらウソになりますが、進化を見ていくというのは楽しいです。次は何が出てくるのだろうとワクワクします。寂しさとワクワクを共存させるよう心がけています。
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