【しもつけ回想録】那須編③
K子の母の親族に関して1
私の所感
まず(4)について。K子の話を聞くまでは喜連川という土地があることも知りませんでした。その後、都内の電車の中吊り広告で『びゅうフォレスト喜連川』を見たときは思わず「あ!」ってなりました。喜連川も那須郡に含まれていたっぽいので、ハツエの叔父は比較的近くに住んでいたのでしょう。昔は(今も地域によっては?)親戚が近くに住んでいるというのはごく普通のことかと思われますので、それを裏付けるような話かと。
次に(5)について。ややセンシティブな内容ですね。戦前であれば後妻を迎えるというのは現代よりも頻繁に行われていたのではないでしょうか(家制度というものがあったから?)。よってこの話も珍しい話ではなさそうです。なお、『5歳のとき』というのは『ハツエが5歳のとき』と考えるのが自然ですね。
最後に(6)について。昔は兄弟が多いのもまた普通ですから、5人兄弟というのも別に珍しい話ではないですね。ハツエは5人兄弟の長女ということになりそうです。そして義弟の件は興味をそそられます。技術者・研究者だったとは!武蔵工大は今は名前が変わって『東京都市大学』のことです。『テレビの研究』だけですと、放送の方なのか筐体の方なのかはっきりしませんが、テレビの歴史を調べれば何かヒントを得られるかもしれません。今後の宿題とします。以上。
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