可視化していく 「存在しないもの」
この記事は、武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコースの授業で毎回、様々な分野で最前線でご活躍されている方々の講義を聞き議論する、クリエイティブリーダーシップ特論の授業内容と自身が感じ、考えた事のまとめです。
2021年4月19日 第2回 クリエイティブリーダシップ特論
ゲスト
デザイン研究者 岩渕 正樹さん
東京大学工学部 同大学院学際情報学府修了後、IBMDesignにて約10年勤務を経て、2018年より渡米しパーソンズ美術大学修了。
現在はNY在住で、東北大学客員准教授、米国パーソンズ美術大学非常勤教授を勤められており、デザイン研究者としてご活躍されている岩渕さんに講義して頂きました。
Social Dreaming through Design
20世紀では事実が人間の夢を叶えてきた。21世紀に入って夢とはなんだろう。
夢とは希望でしかなくなってきている。と言う問題定義からDremingを発して行かなければ21世紀はいけない。Social Dreaming ( ) Futuresの ( )の中にはSpeculativeやPositive,Humaneなどと言う言葉が入る。
Dreamは誰しもが持てるものであり、そこからVisionやInnovationに繋がる。
これまでの夢の見方では、未来には通用しなくなる。と岩渕さんは言います。
近年、テクノロジーの進歩によって夢自体が少なくなってきたと共に、夢見る人も少なくなってきた。人々の夢は、エンターテイメントっぽくなってきていると感じていた今。このお話を聞いて深く納得しました。
SPECULATIVE DESIGN
スペキュラティブという単語は思索的や投機的いう意味があり、"こうあるべき"と問題解決型のように考えるのではなく"こうもありえるのではないか"と「問いを創造するデザイン」がスペキュラティブ・デザインである。
Probable futures (起こりうる未来)
Plausible futures (起こってもおかしくない未来)
Possible futures (起こりそうな未来)
Anthony Dunne氏とFiona Raby氏が制作した未来は4種類あるとされている、PPPP図によると、現在から未来にかけて円錐状に広がっていると考える。その中で最も大きな部分にProbable futures(起こりうる未来)があり、まわりのぼんやりとしたところにPlausible futures(起こってもおかしくない未来)、Possible futures(起こりそうな未来)がある。それを、デザインを通してこれまでと違う視点や方向で考える。その中でもPlausible futures(起こってもおかしくない未来)、Possible futures(起こりそうな未来)に可能性があり想像していくことが重要である。
岩渕さんは、VisionはDreamingから見るものだと仰っていました。
スペキュラティブ・デザインは現在をより良く理解するためのレンズであり、可能性のある未来と社会を考えていかなければならないと思いました。
I WANNA DELIVER A DOLPHIN…
スペキュラティブ・デザインの例として、長谷川愛さんの《わたしはイルカを産みたい...》やスプツニ子!さんの作品があげられました。
人口増加問題や子どもを出産するという疑問から生まれた、絶滅危惧種の動物の代理母になって出産するという、とても考えさせられる作品。一見、ファンタジーのようでスペキュラティブ・デザインとしてPlausible futures(起こってもおかしくない未来)であると感じました。
Aesthetics of Unreality
Not Hare,Not Now. (ここではなく、いまでもない)
Aesthetics of Unreality (存在しないものの手ざわり)
Show us,Not Tell us. (語るのではなく、机に並べる)
ここではなく、いまでもない場所を考えていく。存在しないものを語っていくためには、言論で語るのではなくとにかく可視化していく事で、議論が生まれ議論していくことが可能になる。と岩渕さんは仰っていました。
今現在、私たちは何らかの節目に立たされているかもしれない。こんな時代だからこそ、未来を考えなければならない。
岩渕さんが仰っていたように、Dreamingだけでは未来には通用しない。
これからのビジネスや社会を考えていく上で、重要視されてくるであろうスペキュラティブ・デザイン。私にとってスペキュラティブ・デザインは感慨深い話題のひとつであり、アニメーションやフィクションを創造するというファンタジー要素が多いメディアを通して、デザイン思考を学んでいる私はスペキュラティブ・デザインとの向き合い方について考えさせられました。