6年「6年生の責任って?」はこんな展開でどうでしょう?
お久しぶりです、次元です! 猛烈な筋肉痛(主に大胸筋)に悩まされながらこの記事を書いています。
さて、久しぶりになりました道徳実践の投稿です。
ぼくが道徳の授業をデザインする流れとしては発問をブワッっと洗い出し、板書の形をイメージできればあとは子どもたちと創っていく・・・そんな形で考えていくことが多いです。これがどなたかのお力になれば幸いです。
1.板書に困ったら・・・
高学年の道徳教材は、低学年教材と比べると登場人物が多く、読み取る力が高くない子どもにとっては「そもそも誰がどう考えているのか」が分かりづらいことが多いです。
ぼくの学級も登場人物が増えれば増えるほど「誰が誰かわからん…」となるので、思考を可視化は必須だと思っています。
この辺りについては前回記事(https://note.com/983016dai/n/nf063460a52cf)でも書き起こしましたが、最近では東京都世田谷区立玉川小学校教諭である沼田拓弥先生の著書「立体型板書の国語授業~10のバリエーション」を参考に組み立てることも増えてきました。この板書構造は道徳との親和性が非常に高く、学習中に子どもたちが立ち止まったり、振り返ったりするのに最適だと思っています。ぜひお試しください。
2.どんな板書ができあがった?
結論からいきます。子どもたちと創り上げた板書はこんな感じになりました。今回の教材は出てくる三者それぞれが「自身が考える”6年生としての責任”」を主張しています。「どの子の主張も間違いではない」ゆえに、これを読む子どもたちとしては何が6年生の責任と言えるのか見えにくくなってしまうのではないでしょうか。
「学校のため」を考えて動こうとする思いは三者共通です。では一段掘り下げたところに相違点はあるのでしょうか。本教材で考えられるのは「視点の位置」です。もっと具体的に言えば「今を見るか」「未来を見るか」というところでしょうか。どちらにも良さはあるし、その場で動こうとする即効性の高い6年生らしさももちろん大切です。ですが、そこに留まらず「未来を見据えて行動する良さ」があることに気付けた子どもたちは「そんな6年生のいる学校ならこんな人たちが喜ぶんじゃない?」とさらに広いところまで思考を広げていきました。
ここの板書は、思い切って子どもたちに預けてみました。だいぶ好き勝手に書いてくれましたが、それぞれに思いがあり、聞いていた子どもも「それなら分かるわー」と納得顔でした。
黒板は教師のものだけではありません。時には子どもたちに開放して、空白を埋めてもらうのもなかなか面白いものだと思っています。大人には考えられないような思いがけない視点が飛び出し、そこからさらに考えが広がっていくかもしれませんよ!
3.発問は・・・
自分の授業計画用のノートを見直してみました。使ったものもそうでないものも、問い返しも切り返しも、用意していたものすべてを合わせると40ほどありました。この中から子どもたちの様子に合わせて引き出しから引っ張り出していきます。実際に使った発問はコチラ。
〇「6年生らしさ」って何でしょうか。
〇お話の中で一番「6年生らしさ」を感じるのは誰でしょう。
〇3人の考えに共通することって何だろう。
〇横山さんと、ぼく・山本さんとの違いって何だろう。
〇横山さんの主張通りにすると、”汚い学校”になるんじゃないか。
〇こういう「6年生」がいると、誰が喜びますか。
発問は用意した数が多ければ多いほど、子どもたちの思考に柔軟に対応できるので、「これ聞いて大丈夫かな?」と考えずに思いついたものをどんどん書き溜めておくといいと思います! ちなみに問い返しは(子どもたちとの現状の関係にもよりますが)ひねくれていればいるほど突っ込んできますよ。そこから新しい視点がたくさん生まれてきます!
4.1時間での思考の変容は・・・
「みんなさ、”6年生”になった実感って今更だけどある?」と授業初めに問いかけました。
3月の臨時休校を経て、区切りのないまま「6年生になってしまった」子どもたちからすると、その実感が湧かないのは当然だと思います。ましてや今はこんな状況。例年行っていた6年生の奉仕活動も行えていません。そんな子どもたちに「6年生としての責任」を考えさせるのは難しいかもしれないなぁと考えてました。ですから最初の窓口を「何ができたら6年生と言えるかな」から考えていくことにしました。
・「他学年の見本になっている」
・「恥ずかしくない行動を取れる」
・「基礎知識を身に着けている」
「では他にもあるか考えてみよう」がこの日のテーマになりました。
授業後の感想にこんなことを書き記している子がいました。
「私は最初、何かをしてあげるのが6年生としての責任だと思ってたけど、直接何かをしてあげるんじゃなくて遠いところから見守ってあげるのも6年生の責任だと思うようになりました。先を見て長い視野で考えるのが6年生の責任」(原文まま)
この子は普段の道徳では(今も)あまり発言しません。さらに言うと去年の道徳での感想も「楽しかった」「つまらなかった」「よく分からなかった」と一言日記のようなものばかりでした。そうした子がここまで考えを書ける(展開できる)ようになった要因には板書を構造的なものに変えてきたことと発問を練り上げてきたことが大きいと考えています。たった45分の短い授業ですが、この子の変容には驚かされました。こういう子はこれからの実生活でもきっと自分の道徳的価値をさらに広げていくと思います。
というわけで久しぶりの記事でした。今回も感じたことですが、やったものを「人に伝わるように整理する」ってホント難しい・・・。
最後まで読んでいただいてありがとうございます!